いくらおにぎりブログ

邦画中心の映画感想ブログです。ネタバレがありますのでお気をつけ下さい。

【映画】浮草

2007-04-13 | 邦画 あ行

【「浮草」小津安二郎 1959】を観ました



とりあえず小津安二郎の映画を観ないと「邦画ファンとしてはダメ」な気もするので観てみました。とは言え、実は小津映画はあんまり得意ではないのです。今までに観たのは「秋刀魚の味」「東京物語」「宗方姉妹」だけなんですが「悪くはないけど、そこまで騒ぐほどなんだろうか」というのが正直な感想でした。特に、登場人物を真正面から捉えて、同じ台詞をひたすら繰り返させるところ。まあモノマネをするには最適ですが、正直どうなんだろうと思ってしまいます。極端に動きを排除して、ギリギリに絞った「静」の中から、人間の感情の「動」の部分を抉り出す技術はたいしたものだとは思いますが、それが映画的な面白さかと言うと、ちょっと首をかしげてしまいます。

さて、この「浮草」ですが、松竹ではなく大映の作品。ですから、中村鴈治郎はじめ京マチ子や若尾文子など大映の俳優が生き生きと動いていて、割と楽しく見ることができました。

おはなしは、志摩半島の突端にある港町にやってきた旅芝居の一座を巡るものです。灯台のあるその町は、眠ったような町です。舞台が夏ということもあって、余計に気だるいような雰囲気が漂います。
嵐駒十郎(中村鴈治郎)率いる一座がこの町にやってきたのは久しぶり。実は、この町には中村鴈治郎の連れ合いお芳(杉村春子)と息子の清(川口浩)が住んでいるのです。とは言え、旅がらすの中村鴈治郎は、一座にすみ子(京マチ子)という愛人もいますし、そもそも川口浩には自分が父親では無く、おじさんと名乗っているくらいですから、まあ杉村春子との間も港々にいる現地妻の一人という感覚なのかもしれません。

しかし、町にやってきた理由が理由ですから、一座の舞台にお客さんはマバラです。やっぱり一座の経営者たるもの、ビジネスに私情を混ぜてはいけませんよね。当然、閑古鳥が続いて、一座のデコボコトリオの吉之助(三井弘次)、矢太蔵(田中春男)、仙太郎(潮万太郎)あたりは、その日の酒代にも事欠く有様。さらに次の興業先を探していた先乗りが金を持って逃げてしまい、いよいよ一座の先行きは危なくなってきました。

さらに、杉村春子や川口浩の存在が京マチ子にバレてしまったから話はややこしい方向に。情が濃い分、嫉妬ももの凄い京マチ子は中村鴈治郎をなじりまくります。当然、中村鴈治郎も黙ってはいません。なにが悪いんだ、と雨の降る軒先でお互いに盛大な口げんかです。このシーンは中々良いものでした。それぞれが反対側の軒下に陣取り、土砂降りの道路を境に、息をもつかせぬ、といった感じで「あほう。どあほう」と詰り合う、小津監督らしからぬ激しいシーンです。

怒った京マチ子は、一座の妹分の加代(若尾文子)に、中村鴈治郎の隠し子である川口浩を誘惑するように命じます。なんとなくボヤっとしているようで、実は「かなりのタマ」な若尾文子は、少しのお小遣いで、誘惑を引き受けました。このシーンもオシャレで、郵便局に勤める川口浩のところに行った若尾文子が電報を出しに行きます。エンピツ貸して、「わたしペンでは書けんの、貸してエンピツ」と気を引いておいて、その電報の文面は「ソコマデキテクダサイ」。「宛名は?」と聞く川口浩に「あんたや」と答える若尾文子。そう目の前の川口浩に当てたものです。まだカワイイ頃の若尾文子に、こんな手練手管を使われて、オチない男はいないでしょうね。まあ、リアル川口浩に限って言えば、奥さんになる野添ひとみもこの映画に出ていますから、グッと我慢でしょうが。

ともあれ、計画は上手く行きました。ただ一つを除いては。それは若尾文子も川口浩に本気になってしまったこと。当然、生活の乱れる川口浩。そんな姿は、中村鴈治郎の知るところになってしまいます。もちろん中村鴈治郎は激怒。頭も良くて、上の学校に行きたいと言っている前途有望な息子だったはずなのに、旅回りの一座の女になんか惚れやがってというのです。もちろん、自分がその旅回りの一座の座主であったり、自分が女にだらしなくて、川口浩も隠し子だったりするというのはスルーの方向です。とりあえず若尾文子をドツキまくる中村鴈治郎。ついでに京マチ子もドツキ倒し「二度とお前みたいなもんのツラ見とうないわい、どこへなりと出て行け」と二人の仲も決定的な破局を迎えるのでした。

落ち目な一座の現状に、金でも持って逃げるかと言い出す田中春男と潮万太郎。「人間ってのはな。恩を忘れたら(一)文の値打ちも無ぇもんなんだぞ」と三井弘次はお説教です。人の良い二人はしゅんとしてしまいました。しかし待ってください。三井弘次がそんなマジメな男のはずもありません。案の定、三井弘次は一座の金から、田中春男のへそくりまで一切合財を持って逃げてしまいました。
こうなっては、一座も限界です。中村鴈治郎は一座の解散を決意。僅かに残った衣装やら何やらを売って、わずかばかりの現金を捻出して座員に分け与えるのでした。

もっとも自分は、杉村春子のところでのんびり余生を送ろうという下心があるのは言うまでもありません。でも計画はあくまで計画。そうそう上手く行くものでもありません。中村鴈治郎にとっての誤算は、若尾文子と川口浩が切れていなかったこと。心配して待っている杉村春子と中村鴈治郎をよそに、川口浩は朝帰り。ついでに若尾文子を連れてきて、結婚を言い出そうとしています。とりあえず、若尾文子をひっぱたく中村鴈治郎。うちの大事な息子に手を出しやがって、ということでしょう。さすがワイルドなじじいです。ついでに川口浩にも説教をかまそうとしますが、当たり前ですが川口浩は猛反発。中村鴈治郎は突き飛ばされてひっくり返ってしまうありさまです。そりゃそうです。なにしろ川口浩は中村鴈治郎が伯父さんだと言われて育っているのですから、四の五の言われる筋合いではありません。そこで杉村春子が、この人はお前の本当のお父さんだよ、と言い出しました。これもタイミング的には最悪ですね。そうなると、今度は別の意味で反発したくなりますもんね。

結局、旅回りの役者なんて言う浮草稼業に身を染めている自分は、どこまで行っても「浮草」以外の何者でもありません。それが、なまじ堅気になってみよう。一人前に息子に説教をしようというのが間違いだったのです。中村鴈治郎は、再び旅に出ることにしました。「骨折りついでにこいつの面倒も見てやって」と若尾文子のことを杉村春子に頼んで、中村鴈治郎はひとり駅に向かいます。と、駅の待合室には手持ち無沙汰そうな京マチ子がポツンと一人で座っていました。
ここの芝居もとても良いですね。喧嘩別れをした二人ですから、中村鴈治郎は京マチ子なんて見えないかのように、ツンとして座っています。場を持たせるためにタバコに火をつけようとしますがマッチが見当たりません。そこに、スッと火をつける京マチ子。中村鴈治郎は無視です。もう一本火をつける京マチ子。ようやく「仕方ねえなあ」といった感じで、中村鴈治郎はくわえたタバコに火をつけるのです。すると、今度は当然のように、京マチ子がちょっと貸して、と中村鴈治郎のタバコから貰い火をして、自分のタバコに火をつけます。この時の中村鴈治郎の指の演技もなかなか良いです。すっとタバコを抜かれて、手を握るわけでも、逆に指を開くわけでもなく、ただ同じ位置で待っている。あくまで意地を張って、でも京マチ子が待っていてウレシイという気持ちが現われているように思えました。

結局、桑名の座元を訪ねて再起を図ることにした二人。列車に揺られ揺られの二人旅です。車中では、頭に手ぬぐいを粋な格好で載せた中村鴈治郎が京マチ子の酌で、日本酒をチビリチビリやっています。オチョコからの飲みっぷりもなんとも味があります。京マチ子が渡した爪楊枝をフッフッと吹いた後、さっと手ぬぐいで拭いて、つまみを食べるようす。それを見て「なんなの、コイツ」みたいに瞬間的にムッとする京マチ子の表情。まさに個人技の世界ですね。夜列車は二人を乗せて走っていきます。

いや、けっこう面白い映画でした。なにより主人公の中村鴈治郎が素晴らしすぎます。この映画には、小津映画の主役な笠智衆も座元の役で出ていましたが、これとはまったく違うキャラクターです。笠智衆がどちらかというと訥弁なのに対して、中村鴈治郎は喋る喋る。そのうえ身勝手で、女にだらしなくて、甲斐性も無い。だけど粋で、女は惚れずにいられない、という男を実に見事に演じていました。

杉村春子と京マチ子は、それぞれ「静」と「動」の役回りですが、これまた上手いの一言。京マチ子演ずるすみ子という役は、まさに京マチ子のキャラクターにピッタリ。情が濃くて、嫉妬深くて、しかも少しお人好し、というのがハマっていました。場合によっては山田五十鈴でも良かったかもしれません。
杉村先生は、まあどんな役でもOKなマルチな人なので、当然この映画でも激ウマです。

若尾文子は、カワイイ時期からむせ返るような色気を出し始める、ちょうど端境期だと思いますが、これがまた役にピッタリです。無意識のうちに発散しているフェロモンに、まだ自分自身が気づいていない娘というのを、実にうまく演じていました。

さて、映画自体はバストショットの登場人物が、台詞を(リフレインを含めて)話すさまを、交互にくり返すという小津監督独特のシーンも多いのですが、それでもどこか松竹の映画とは違う雰囲気でした。
まあ、俳優たちも知恵を絞って映画を解釈して現場に臨む、という大映の伝統があったからかも知れませんが、基本的に道具ではなく、一個の血の通ったキャラクターとして「勝手に動いている」感じを受けます。もちろん、小津監督にとってそれが良かったのか、自身が納得できた映画なのかは知る由もありませんが、ぼくは観ていて、小津監督の映画に感じるある種の息苦しさは感じませんでした。

まあ、若尾文子はインタビューで小津監督が好きだった、と言っていますし、それなりにアタックもしてみた様子です。当然、小悪魔的な若尾文子のアタックに小津監督も内心は動揺しまくっていたことでしょう。その結果、若尾文子の色気にやられて、監督の統制が行き届かなくなってしまい、面白い映画ができた、といったら言いすぎでしょうか。







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6 コメント

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4本のうちの2本 (シャケ)
2007-05-02 03:41:25
確かにそうですね。後期の小津作品の中でもこれだけ毛色が違う感じがします。やっぱ役者・スタッフが違うってことが大きいんでしょうねえ。カメラマンの厚田雄春に言わせると、「他の会社で撮ったものだとやっぱなんか違う、遠慮してるんじゃないか」って感じがするそうです。

あとやっぱ松竹と違ってアグファ松竹カラーじゃないからですかねえ。大映はアグファカラー(アグファ松竹カラーとは別物)じゃなかったかな。そういう意味では、若尾文子の「むせ返るような色気」もアグファカラーによるところが大きいのかもしれません。

それにしても、いくらおにぎりさんの見た小津の4本の映画のうち、2本が他社(大映、新東宝)で撮ったものでしょ。しかもほら、あとは『東京物語』と遺作の『秋刀魚の味』。「遺作って、大抵ちょっと微妙」ってことも考えると、これで「小津は苦手」というのもどうかと思うんですが(笑)
まあ、無理に見ることもないですけど、せめて『晩春』と『麦秋』ぐらい、どうですかね。マキノ正博で言えば『次郎長三国志』を見てないようなものですよー。
そこまで言われては (いくらおにぎり)
2007-05-02 14:58:38
>マキノ正博で言えば『次郎長三国志』を見てないようなもの

なんと、そこまで言われてしまうと観ないわけにはいきませんね。でも、これで「晩春と麦秋は次郎長三国志並みの傑作」と頭にインプットされてしまいましたけど……期待値が高すぎても、良くないんですけどね。

ところで、シャケさんご推奨の吉田喜重ですが、GW中に「女のみづうみ」を観る予定です。ここまでハズしまくっているので、今度こそ、の思いでいっぱいです。
本当は、 (シャケ)
2007-05-03 04:56:00
なんとなく見るのが一番いいんでしょうけどね。
「来た球を打つ」みたいな。
今度こそって、『戒厳令』も悪球でした?

まあ吉田喜重はオススメなんですが、このブログには若干不向きかもしれません。というのは、このブログは「映画を読む」のがテーマですから、映画が物語を語る装置であること前提ですよね。吉田喜重は映画が物語を語る装置であることにどこか批判的な監督ですからねえ(笑)

小説でいうと、どこかカフカのような感じじゃないですか?その意味では、吉田喜重の映画監督としてのあり方はどこか本質的にも思えるんですよね。
シャケさん (いくらおにぎり)
2007-05-05 13:48:50
「戒厳令」はまあまあかな。「秋津温泉」と「ろくでなし」はとても面白かったです。ただ、リアルでもお話した「さらば夏の日」と「告白的女優論」それに「煉獄エロイカ」があまりにもワケ分かんなかったので、、、

カフカ、うん、そんな感じですね。カフカの「城」を読んだ時は、今読んでいる、この時間が永遠に終わらないんじゃないかと思うほどの閉塞感に心底まいりましたが、そんなところは共通ですね。
え~!「東京物語」「秋刀魚の味」面白くないですか? (阿佐谷みなみ)
2007-05-18 23:42:34
まぁ「幻の湖」見ても「亀は意外と速く泳ぐ」見ても面白いと感じる人間が言っても何ですけど。

とりあえず小津映画だと「浮草物語」を御覧になってはいかがでしょう?
おお、増えた (いくらおにぎり)
2007-05-20 18:58:47
阿佐谷みなみさん、お久しぶりです

えーと浮草物語ですね。上の方のコメントで、「晩春」と「麦秋」を見るべし、という指示を受けているので、みなみさんのご推奨の浮草物語を含めて、3本観なくてはいけませんね。まあ、明日明後日というワケにはいきませんが、必ず観ます。人から勧められたものは、時間がかかっても必ず観ることにしてますので。

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