【「斬る」三隅研次 1962】を観ました

おはなし
数奇な運命を辿った高倉信吾は、幕府大目付の侍臣として激動の水戸藩に乗り込みますが……
市川雷蔵が主演です。虚無的な主人公像といい、必殺技を持っているところといい、翌年からスタートする眠狂四郎シリーズを髣髴とさせる作品でした。
襖の陰からすっと女が出てきました。一切の音がないまま、歩く女の足元が映し出されます。女は飯田藩江戸屋敷詰めの侍女・藤子(藤村志保)。藤子は布団で寝ている女の枕元で、深々とお辞儀をして、「国のため。お部屋様のお命申し受けまする」と言ったかと思うと、懐剣を引き抜き、斬りかかりました。ひえーっ、と逃げ回るお部屋様を追いかける藤子。そして、中庭に転げ落ちたお部屋様を見事、藤子は討ち取ったのです。ということで、藤村志保のテンパった目付きはお見事。本名でのチョイ役出演は別として、藤村志保名義ではまだ二作目の彼女ですが、こういうファナティックな演技をさせると素晴らしいです。
寒風吹きすさぶ断崖絶壁の上。白装束の藤子が静かに端座しています。横にいる侍(天知茂)に、ニコっと笑いかける藤子。そして、侍の振り上げた刀が、シュッという音と共に振り下ろされ……。
侍の乗った駕籠が山道を急いでいます。出迎えの藩士に案内され、行き着いたのは小諸藩士の高倉信右衛門(浅野進治郎)の屋敷。そして駕籠からは侍と共に、一人の赤ん坊が降ろされたのでした。
早速、信右衛門は小諸藩主・牧野遠江守(細川俊夫)に伺候します。「そうか無事に届いたか」と喜ぶお殿様。「はい、赤ん坊はニコニコと笑うておりました」「運命の子だ。可愛がってやってくれ」「はっ、私めの子といたしまして」。「飯田藩にはよき人がいるなあ」と感心しきりのお殿様。いや、観てる方はさっぱり事情が飲み込めないんですけど。
「それから二十余年」が経ちました。すっかりお爺さんになった信右衛門には、二人の子が。一人は匂いたつような若武者の信吾(市川雷蔵)。そして妹の芳尾(渚まゆみ)です。信右衛門は、この二人の子供が可愛くてならないようす。とりわけ、「運命の子」の信吾は、目に入れても痛くないほど可愛くてしかたありません。そして、今日、その信吾が信右衛門に頼みごとをしてきたのです。「兄上は旅をしたいと仰るのです」と口をとがらせて言う妹の芳尾。信右衛門が理由を聞くと、信吾はただ何となく、と答えるばかりです。「うん、何となくか」と目を細める信右衛門なのでした。
「何となくか」とつぶやいているお殿様。信右衛門から報告を受けたようです。「良かろう、出してやれ。悲しい運命の星を背負うた子だ。労わってやろう」。お殿様まで満面の笑みを浮かべています。この信吾の運命とは何なんでしょうね。
そして「三年」が経ちました。ちなみに映画的には、ここまで10分も経っていません。おそろしくテンポのいい映画ですね。旅から戻った信吾は、お殿様に旅の結果を報告しています。「何をしてきた」「ただ、あちこちを」。「うん、何を見てきた」「ただ野や山を」。「野や山か。うらやましい。いいことをしたな」とニコニコのお殿様。家に帰って、父の信右衛門や妹の芳尾に話をしても、やっぱりみんなニコニコ。とっても仲のいい家族です。
さて、小諸藩に庄司嘉兵衛という水戸の脱藩浪人が訪れました。そして神道無念流の達人の庄司は、藩の武道場で藩士たちと立会いをすることになったのです。もちろん、神道無念流の奥義を体験することは藩士たちにとって、大きな励み。しかし、高倉家の隣に住む池辺義一郎(稲葉義男)、義十郎(浜田雄史)親子には、別の思惑がありました。もし、達人の庄司を打ち破れば、名声は思いのまま。儀十郎としては、高倉家の芳尾と結婚できるかもしれない。親の義一郎としては、もっともっと高貴な家との縁談だって大丈夫だぞと、まさに「取らぬ狸の皮算用」に勤しんじゃうのでした。
そして迎えた立会いの日。お忍びでお殿様が見守るなか、藩士たちが次々と庄司に挑みますが、みんな負けていきます。そして、自信たっぷりな儀十郎も挑みますが、これがまたサクっと負け。こうなると、藩のメンツも丸つぶれな感じがしてきました。思わず、「信吾を出してみよ」というお殿様。どちらかというと優男な信吾の登場に、義一郎などは口の端で「へっ」という顔をしていますが、これがどうして、どうして。互いに真剣を取った二人。信吾の不思議な、しかし隙の無い構えに、庄司は身動きできません。ゴクッ。庄司が唾を飲みました。ハァハァ、庄司の息が荒くなっていきます。その間も、信吾の剣の切っ先は、ピタリと相手の喉に向けられたまま、微動だにしません。
「そこまで」という声と共に、ガクッと崩折れ、剣を取り落とす庄司。信吾の勝ちです。お殿様に呼ばれた信吾は、あの不思議な構えについて、説明します。三味線弾きを見ていて、思いついたという「三弦の構え」。もちろん、正当な構えというよりは邪剣と称すべきものですが、お殿様としては、可愛い信吾が旅に出ている間に、そんなものまで身につけたことが嬉しくてならないようです。
「わーい、勝った、勝った。お兄様が勝った。わーい」と手放しで大喜びの妹・芳尾。まあ幼女じゃないのに、その喜びっぷりはどうかとは思いますが、ともあれ、家族も大喜びです。しかし、納まらないのは隣家の池辺親子。義一郎は、同僚に「信吾は捨て子なのだ」と言いふらし始めました。それを知って激怒したのが信右衛門。「見下げ果てた奴」と義一郎を難詰します。ついでに、池部義一郎はお殿様にまで呼び出され、「人は他人を不用意に殺す場合がある。それは剣ではない。言葉だ。言葉というものは恐ろしい。以後、気をつけよ」と怒られちゃうのでした。もちろん、お殿様は偉い人ですから、これ以上の責めを負わす気はなかったでしょう。しかし、小人というものは、全て自分の器を基準に、人の器も推し量ろうとするものです。「もうおしまいだ」と絶望した義一郎は、息子儀十郎と共に、信右衛門の屋敷に乗り込むのでした。
お城からの帰り道、召使に呼ばれた信吾は、ダッシュで家に帰ります。すると、そこには無残に殺された妹・芳尾の姿が。そして、父の信右衛門も虫の息です。あっ、父上。「ああ、信吾か。わしはお前に話したいことがあった。それで死にとうはなかったのだ」と、息も絶え絶えに語り始める信右衛門。それは、なんと信吾の出生の秘密だったのです。
飯田藩には、藩主を虜にした和歌山という妾がいました。この和歌山は藩政を壟断し、やりたい放題。当然、家老を始めとして良識ある人たちは、先を憂えていたのです。そんな時に、立ち上がったのは飯田藩士の娘、藤子でした。藩を守るために和歌山を討った藤子。もちろん正妻や家老は、藤子を亡き者にはしたくありません。何と言っても、藩政を救った恩人なのですから。それに藩主も、今は怒っていたとしても、やがて目も覚めるでしょう。そこで登場したのが、長岡藩の多田草司(天知茂)。義侠心熱い、多田に藤子を拉致してもらい、藩主の怒りが醒めるのを待つ。それが家老たちの考えだったのです。
それから一年。多田と藤子の間には子供が生まれ、二人は幸せに日々を送っていました。しかし、藩主の怒りは解けず、藤子たちは追っ手に見つかってしまったのです。藤子を斬れと息巻く藩主。しかし藩士たちの誰一人として、命を賭して、その命令に答えませんでした。藩の恩人を誰が斬れましょう。しかし、藩主の命令を藩士がきかないというのは、それはそれで末期的な症状。藩を救うために立ち上がった藤子の行動が、かえって藩を駄目にしては本末転倒というものです。そこで、藤子は死を決意しました。そして義侠心あふれる多田も同じです。多田の介錯で、首を斬られることになった藤子。しかし、その死の瞬間、藤子はニッコリと多田に微笑みかけ、多田もまた、藤子の固い決心に、躊躇無くその刀を振り下ろすのでした。
飯田藩の家老の言で、それを知った小諸藩のお殿様が、その「運命の子」を小諸藩に連れてくるように命じ、忠臣の高倉信右衛門に預けたことは、みなさんご存知のとおり、信吾は信右衛門、そしてお殿様の厚い庇護のもとスクスクと育ったのです。
早速、出奔した池辺親子を追う信吾。親の仇を追う信吾の旅は、延々と続……かず、あっという間に池辺親子を斬り捨てる信吾。実にあっさりとしたものです。そのまま信吾は旅を続け。実の父、多田が僧侶をしているボロ寺に赴きました。「信吾か」「父上っ」、みたいな会話をしています。「わしはもう世を捨てている」と言う多田に、「お一人でお寂しいでしょ」と問う信吾。しかし、多田は「わしは二人だ。お前のお母さんと二人で暮らしている」と言います。「生きているのだ。二人でわしたちは生きているのだ」と。
父の元を去った信吾は、再び旅の空に。ある旅籠で寝ていると、そこにドヤドヤと物音がします。そして、襖の外から思いつめた調子で、声が聞こえてきました。「卒爾ながら、お手前を信義の御仁とお見受けいたし、非常の嘆願を仕る」。部屋の外から、お見受けするもへったくれもありませんが、ともあれ部屋に招き入れる信吾。入ってきたのは若侍と娘です。二人は、甲府勤番の田所主水と、その姉の佐代(万里昌代)。主水の言によると、亡父の仇を討った二人は、理不尽にも大勢の追っ手に追われており、ぜひ姉を匿っていただけないか、というのです。「お引き受けいたそう」と快諾する信吾。主水は莞爾と笑って、部屋の外に飛び出してきました。剣を打ち合わせる音が部屋の中に響いてきます。「弟が」と飛び出そうとする佐代。押さえる信吾。しかし、佐代は帯をスルスルと解き、襦袢一つになったかと思うと、懐剣を口に咥え、やはり外に飛び出していってしまったのです。「主水、逃げよ」と素っ裸になる佐代。「情けを知れ」と追っ手たちに叫ぶも、追っ手たちは、佐代をなますのように切り刻むのでした。
佐代の潔い生き方、そして壮烈な死に、母を、そして妹を思い出す信吾。信吾は、そのまま逃げ去った主水の代わりに、佐代の墓をたて、回向をするのでした。
江戸にきた信吾。早速、千葉道場(玄武館)を訪ねて、若師範である千葉栄次郎と立会いをしています。北辰一刀流開祖の千葉周作。その次男で、「千葉の小天狗」と呼ばれた栄次郎と立会いをしてしまうあたり、やはり信吾も只者ではなさそうです。というか、途方も無い話すぎる気がしないでもありません。まあ、それはともあれ、信吾の編み出した邪剣「三絃の構え」が、ピタっと栄次郎の首を狙い、二人は膠着しています。やがて、栄次郎はフッと気を外し、「お手前の突きをかわす工夫は不可能と存ずる」と言いました。そして、それだけの腕をお持ちなら、ぜひ幕臣に推挙したいと言い出すのです。ここからの台詞はカッコイイので、そのまま抜粋しますね。
「世の中を捨てたのです。誰に仕える気もありません」
「生きている人間は世の中を捨てる訳には参らぬ。あなたの剣は生きている。剣と共に、あなたは生きるべきです」
「邪剣です」
「知っている。邪剣を試しに、我が千葉道場を選ばれたか」
「我が剣を破るものがあれば、剣と共に私も滅びたいと思ったのです」
「あなたの剣を破ることはできる。しかし、共に私も斃れます」
「分かっていました」
「邪剣も使う人間によれば、正しく生きるでしょう」
「そうありたいが」
「幕府大目付、松平大炊頭が、人を求めておられる。推挙したい」
いやあ、いかがですか。まさに「殺人刀」と「活人剣」というか、デキル男同士の会話っぽくて、いいじゃありませんか。素晴らしい。
まあ、それはともかく、信吾はそのまま松平大炊頭(柳永二郎)に仕えることになりました。もう、ここらへん、ムダな会話は無し。テンポが速い、速い。なにしろ、「頼む」「はっ」で、終わりですからね。
それから3年が経ち、文久元年になりました。世の中は幕末期に入り、攘夷の嵐が吹き荒れています。中でも、水戸藩は英国公使館に斬り込むなど、「ちょっとどうか」というほど暴発ぎみ。そんな状況に大目付の大炊頭は、「たとえ御三家の家柄と言えども、このままでは捨て置けん。わしは大目付として水戸へ赴く。すぐにだ」と決心します。もちろん信吾も同道するつもり。「敵地に乗り込むのだ。生きては帰れんかも知れんぞ」と大炊頭に言われたって、爽やかな目付きでうなづくだけです。っていうか、雷蔵カッコよすぎです。
道中、案の定、水戸脱藩浪士たちに襲われる一行。しかし、信吾はあっというまに10数人を斬り斃す強さです。ここはちなみに、ワンカットです。勝新のような重さはないものの、雷蔵の殺陣は流れるような美しさでした。
そして一行は水戸に入りました。宿所の茶室で端座する大炊頭と信吾。「静かだなあ。そちが来て何年になる」「三年になります」。そんな会話だけでも、二人の絆は強まり、そう、まるで本当の父子のような感情が芽生えていることが分かります。しかし、いつまでもマッタリとしていても仕方ないので、大炊頭は水戸城で執政を引見することにしました。そして、執政を難詰した帰り道、再び一行は襲われたのです。
「高倉信吾しばらく」「うん、庄司嘉兵衛」「あの時は不覚を取ったが、今日、改めて勝負する」。そう、襲撃者の筆頭は、かつて小諸藩にやってきた神道無念流の達人・庄司だったのです。しかし、信吾は得意の「三絃の構え」を取ろうとしません。「あの構えはどうした」「邪剣で人は殺したくない」。無言、そして無音。一瞬の静寂のあとの裂帛の気合。勝負は瞬間で決しました。地面に転がったのは信吾。立っているのは庄司。しかし、数瞬後、庄司の体は真っ二つに裂けて、斃れていったのです(ええっ!)。
再び茶室で、大炊頭と信吾はマッタリとティータイム。「今日は長老の一人、武田修理(耕雲斎のこと)と会うことになっている」と言う大炊頭。耕雲斎と言えば、この数年後に天狗党の乱の首領になるほどの実力者ですから、逆に言えば、この会談が「もし」成功すれば大炊頭の仕事は終わるのです。「そちの陰の力だ。礼を言う」と頭を下げる大炊頭。とは言え、やっぱり流れる空気は、親密な父子の"それ"です。
そして、二人は再度、水戸城に登城しました。今日は義公の命日なので焼香を願います、と用人に頼まれる大炊頭。義公と言えば水戸黄門のことです。これは、断わるわけにはいきませんね。さらに慇懃に、「恐れながら、これより仏間でございます。お腰の物、お預かりいたします」と言い出す用人。結局、仏間に進む大炊頭と、控の間に入る信吾、二人とも刀を取り上げられてしまったのです。もちろん、分かりますね。これは敵の謀略。仏間の大炊頭は斬られました。そして、一人、控の間にいる信吾の胸には、群雲のように不安が広がります。ガラっ。襖が開きました。なんと、ビックリ。姿を現したのは、旅の宿で、信吾に助力を求めてきた田所主水じゃありませんか。どうも、この田所主水は、姉の佐代が死んだのは信吾のせいと思い込んでいるようす。「頼みがい無き男」と信吾を罵ります。もちろん信吾は「逃げたな、お主」と言い返します。まあ、あれですね。これは主水が悪いな。姉を見捨てて一人逃げたくせに、信吾を非難するだなんて、どうみても「盗人猛々しい」の部類。今風に言えばDQNもいいとこです。
刀を振りかぶる主水。信吾は床の間に活けてあった梅の枝を握ります。てやーっ。主水の袈裟懸けを、梅の枝で避ける信吾。枝はサックリと切れています。おや、これはいい感じに尖っていますよ。もう一度、ジリジリと迫る主水。信吾は梅の枝を手に、三絃の構えを取りました。でやっ。主水の裂帛の気合もものかは、信吾の突きが決まります。はい、主水絶命。信吾は主水の刀を取って、走り出します。「とのーっ」襖をガラッ。「とのーっ」襖をガラッ。開けても開けても、ただただ無人の水戸城。まるで永遠に辿りつかないカフカの「城」のように、水戸城は冷たく広がっています。
何枚の襖をくぐり抜けたのでしょう。信吾は仏間を見つけました。そして、そこに斃れている大炊頭も。大炊頭を抱き起こし、再び、丁寧に寝かせる信吾。「申し訳ございません」と一言だけ搾り出すように言った信吾は、着物を脱ぎ始めました。そして、まさに腹を切ろうとした、その瞬間。脳裏には、母の顔、そして弟を守るために死んでいった佐代の顔が浮かびます。信吾の体が、大炊頭を守ろうとするかのように、ゆっくりと崩折れていきます。
いやあ、なんか不思議なテンポの映画でした。笑ってしまうほど展開が速い反面、ここぞというところでは、時が止まるほどゆっくりになる。急調子から乱拍子、そして静寂に。この緩急自在な撮り方が、心をぐいぐい揺さぶります。
市川雷蔵は素晴らしいの一言。苦労を知らない若侍、無頼の侍、そして端然とした侍。どれを演じても絵になります。もちろん動きの中の「画」も決まる人ですが、それが一幅の「絵」としても成立する。それが雷蔵の素晴らしさなのかなあ、と思いました。
脚本は、新藤兼人ですが、新藤兼人らしいなあと思った台詞は、「生きている人間は世の中を捨てる訳には参らぬ。あなたの剣は生きている。剣と共に、あなたは生きるべきです」の部分。
この「剣」を「脚本」なり「映画」に変えれば、これは「愛妻物語」で亡き妻に励まされた主人公そのまま、そして、まさに新藤監督の生き様そのものじゃありませんか。そう考えると、これはとても含蓄のある台詞だと感じます。
あと、ちょっと嬉しかったのは、お殿様の細川俊夫、多田の天知茂、そして佐代役で万里昌代が出ていたこと。もう分かりますよね。これって、まるで新東宝の映画じゃありませんか。思わぬところで、新東宝の残党が結集!みたいな気がして、幸せな気分になります。
ともあれ、71分という短い時間に、よくぞこれだけ詰め込んだと三隅監督の職人魂すら感じる、この映画。大当たりです。



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おはなし
数奇な運命を辿った高倉信吾は、幕府大目付の侍臣として激動の水戸藩に乗り込みますが……
市川雷蔵が主演です。虚無的な主人公像といい、必殺技を持っているところといい、翌年からスタートする眠狂四郎シリーズを髣髴とさせる作品でした。
襖の陰からすっと女が出てきました。一切の音がないまま、歩く女の足元が映し出されます。女は飯田藩江戸屋敷詰めの侍女・藤子(藤村志保)。藤子は布団で寝ている女の枕元で、深々とお辞儀をして、「国のため。お部屋様のお命申し受けまする」と言ったかと思うと、懐剣を引き抜き、斬りかかりました。ひえーっ、と逃げ回るお部屋様を追いかける藤子。そして、中庭に転げ落ちたお部屋様を見事、藤子は討ち取ったのです。ということで、藤村志保のテンパった目付きはお見事。本名でのチョイ役出演は別として、藤村志保名義ではまだ二作目の彼女ですが、こういうファナティックな演技をさせると素晴らしいです。
寒風吹きすさぶ断崖絶壁の上。白装束の藤子が静かに端座しています。横にいる侍(天知茂)に、ニコっと笑いかける藤子。そして、侍の振り上げた刀が、シュッという音と共に振り下ろされ……。
侍の乗った駕籠が山道を急いでいます。出迎えの藩士に案内され、行き着いたのは小諸藩士の高倉信右衛門(浅野進治郎)の屋敷。そして駕籠からは侍と共に、一人の赤ん坊が降ろされたのでした。
早速、信右衛門は小諸藩主・牧野遠江守(細川俊夫)に伺候します。「そうか無事に届いたか」と喜ぶお殿様。「はい、赤ん坊はニコニコと笑うておりました」「運命の子だ。可愛がってやってくれ」「はっ、私めの子といたしまして」。「飯田藩にはよき人がいるなあ」と感心しきりのお殿様。いや、観てる方はさっぱり事情が飲み込めないんですけど。
「それから二十余年」が経ちました。すっかりお爺さんになった信右衛門には、二人の子が。一人は匂いたつような若武者の信吾(市川雷蔵)。そして妹の芳尾(渚まゆみ)です。信右衛門は、この二人の子供が可愛くてならないようす。とりわけ、「運命の子」の信吾は、目に入れても痛くないほど可愛くてしかたありません。そして、今日、その信吾が信右衛門に頼みごとをしてきたのです。「兄上は旅をしたいと仰るのです」と口をとがらせて言う妹の芳尾。信右衛門が理由を聞くと、信吾はただ何となく、と答えるばかりです。「うん、何となくか」と目を細める信右衛門なのでした。
「何となくか」とつぶやいているお殿様。信右衛門から報告を受けたようです。「良かろう、出してやれ。悲しい運命の星を背負うた子だ。労わってやろう」。お殿様まで満面の笑みを浮かべています。この信吾の運命とは何なんでしょうね。
そして「三年」が経ちました。ちなみに映画的には、ここまで10分も経っていません。おそろしくテンポのいい映画ですね。旅から戻った信吾は、お殿様に旅の結果を報告しています。「何をしてきた」「ただ、あちこちを」。「うん、何を見てきた」「ただ野や山を」。「野や山か。うらやましい。いいことをしたな」とニコニコのお殿様。家に帰って、父の信右衛門や妹の芳尾に話をしても、やっぱりみんなニコニコ。とっても仲のいい家族です。
さて、小諸藩に庄司嘉兵衛という水戸の脱藩浪人が訪れました。そして神道無念流の達人の庄司は、藩の武道場で藩士たちと立会いをすることになったのです。もちろん、神道無念流の奥義を体験することは藩士たちにとって、大きな励み。しかし、高倉家の隣に住む池辺義一郎(稲葉義男)、義十郎(浜田雄史)親子には、別の思惑がありました。もし、達人の庄司を打ち破れば、名声は思いのまま。儀十郎としては、高倉家の芳尾と結婚できるかもしれない。親の義一郎としては、もっともっと高貴な家との縁談だって大丈夫だぞと、まさに「取らぬ狸の皮算用」に勤しんじゃうのでした。
そして迎えた立会いの日。お忍びでお殿様が見守るなか、藩士たちが次々と庄司に挑みますが、みんな負けていきます。そして、自信たっぷりな儀十郎も挑みますが、これがまたサクっと負け。こうなると、藩のメンツも丸つぶれな感じがしてきました。思わず、「信吾を出してみよ」というお殿様。どちらかというと優男な信吾の登場に、義一郎などは口の端で「へっ」という顔をしていますが、これがどうして、どうして。互いに真剣を取った二人。信吾の不思議な、しかし隙の無い構えに、庄司は身動きできません。ゴクッ。庄司が唾を飲みました。ハァハァ、庄司の息が荒くなっていきます。その間も、信吾の剣の切っ先は、ピタリと相手の喉に向けられたまま、微動だにしません。
「そこまで」という声と共に、ガクッと崩折れ、剣を取り落とす庄司。信吾の勝ちです。お殿様に呼ばれた信吾は、あの不思議な構えについて、説明します。三味線弾きを見ていて、思いついたという「三弦の構え」。もちろん、正当な構えというよりは邪剣と称すべきものですが、お殿様としては、可愛い信吾が旅に出ている間に、そんなものまで身につけたことが嬉しくてならないようです。
「わーい、勝った、勝った。お兄様が勝った。わーい」と手放しで大喜びの妹・芳尾。まあ幼女じゃないのに、その喜びっぷりはどうかとは思いますが、ともあれ、家族も大喜びです。しかし、納まらないのは隣家の池辺親子。義一郎は、同僚に「信吾は捨て子なのだ」と言いふらし始めました。それを知って激怒したのが信右衛門。「見下げ果てた奴」と義一郎を難詰します。ついでに、池部義一郎はお殿様にまで呼び出され、「人は他人を不用意に殺す場合がある。それは剣ではない。言葉だ。言葉というものは恐ろしい。以後、気をつけよ」と怒られちゃうのでした。もちろん、お殿様は偉い人ですから、これ以上の責めを負わす気はなかったでしょう。しかし、小人というものは、全て自分の器を基準に、人の器も推し量ろうとするものです。「もうおしまいだ」と絶望した義一郎は、息子儀十郎と共に、信右衛門の屋敷に乗り込むのでした。
お城からの帰り道、召使に呼ばれた信吾は、ダッシュで家に帰ります。すると、そこには無残に殺された妹・芳尾の姿が。そして、父の信右衛門も虫の息です。あっ、父上。「ああ、信吾か。わしはお前に話したいことがあった。それで死にとうはなかったのだ」と、息も絶え絶えに語り始める信右衛門。それは、なんと信吾の出生の秘密だったのです。
飯田藩には、藩主を虜にした和歌山という妾がいました。この和歌山は藩政を壟断し、やりたい放題。当然、家老を始めとして良識ある人たちは、先を憂えていたのです。そんな時に、立ち上がったのは飯田藩士の娘、藤子でした。藩を守るために和歌山を討った藤子。もちろん正妻や家老は、藤子を亡き者にはしたくありません。何と言っても、藩政を救った恩人なのですから。それに藩主も、今は怒っていたとしても、やがて目も覚めるでしょう。そこで登場したのが、長岡藩の多田草司(天知茂)。義侠心熱い、多田に藤子を拉致してもらい、藩主の怒りが醒めるのを待つ。それが家老たちの考えだったのです。
それから一年。多田と藤子の間には子供が生まれ、二人は幸せに日々を送っていました。しかし、藩主の怒りは解けず、藤子たちは追っ手に見つかってしまったのです。藤子を斬れと息巻く藩主。しかし藩士たちの誰一人として、命を賭して、その命令に答えませんでした。藩の恩人を誰が斬れましょう。しかし、藩主の命令を藩士がきかないというのは、それはそれで末期的な症状。藩を救うために立ち上がった藤子の行動が、かえって藩を駄目にしては本末転倒というものです。そこで、藤子は死を決意しました。そして義侠心あふれる多田も同じです。多田の介錯で、首を斬られることになった藤子。しかし、その死の瞬間、藤子はニッコリと多田に微笑みかけ、多田もまた、藤子の固い決心に、躊躇無くその刀を振り下ろすのでした。
飯田藩の家老の言で、それを知った小諸藩のお殿様が、その「運命の子」を小諸藩に連れてくるように命じ、忠臣の高倉信右衛門に預けたことは、みなさんご存知のとおり、信吾は信右衛門、そしてお殿様の厚い庇護のもとスクスクと育ったのです。
早速、出奔した池辺親子を追う信吾。親の仇を追う信吾の旅は、延々と続……かず、あっという間に池辺親子を斬り捨てる信吾。実にあっさりとしたものです。そのまま信吾は旅を続け。実の父、多田が僧侶をしているボロ寺に赴きました。「信吾か」「父上っ」、みたいな会話をしています。「わしはもう世を捨てている」と言う多田に、「お一人でお寂しいでしょ」と問う信吾。しかし、多田は「わしは二人だ。お前のお母さんと二人で暮らしている」と言います。「生きているのだ。二人でわしたちは生きているのだ」と。
父の元を去った信吾は、再び旅の空に。ある旅籠で寝ていると、そこにドヤドヤと物音がします。そして、襖の外から思いつめた調子で、声が聞こえてきました。「卒爾ながら、お手前を信義の御仁とお見受けいたし、非常の嘆願を仕る」。部屋の外から、お見受けするもへったくれもありませんが、ともあれ部屋に招き入れる信吾。入ってきたのは若侍と娘です。二人は、甲府勤番の田所主水と、その姉の佐代(万里昌代)。主水の言によると、亡父の仇を討った二人は、理不尽にも大勢の追っ手に追われており、ぜひ姉を匿っていただけないか、というのです。「お引き受けいたそう」と快諾する信吾。主水は莞爾と笑って、部屋の外に飛び出してきました。剣を打ち合わせる音が部屋の中に響いてきます。「弟が」と飛び出そうとする佐代。押さえる信吾。しかし、佐代は帯をスルスルと解き、襦袢一つになったかと思うと、懐剣を口に咥え、やはり外に飛び出していってしまったのです。「主水、逃げよ」と素っ裸になる佐代。「情けを知れ」と追っ手たちに叫ぶも、追っ手たちは、佐代をなますのように切り刻むのでした。
佐代の潔い生き方、そして壮烈な死に、母を、そして妹を思い出す信吾。信吾は、そのまま逃げ去った主水の代わりに、佐代の墓をたて、回向をするのでした。
江戸にきた信吾。早速、千葉道場(玄武館)を訪ねて、若師範である千葉栄次郎と立会いをしています。北辰一刀流開祖の千葉周作。その次男で、「千葉の小天狗」と呼ばれた栄次郎と立会いをしてしまうあたり、やはり信吾も只者ではなさそうです。というか、途方も無い話すぎる気がしないでもありません。まあ、それはともあれ、信吾の編み出した邪剣「三絃の構え」が、ピタっと栄次郎の首を狙い、二人は膠着しています。やがて、栄次郎はフッと気を外し、「お手前の突きをかわす工夫は不可能と存ずる」と言いました。そして、それだけの腕をお持ちなら、ぜひ幕臣に推挙したいと言い出すのです。ここからの台詞はカッコイイので、そのまま抜粋しますね。
「世の中を捨てたのです。誰に仕える気もありません」
「生きている人間は世の中を捨てる訳には参らぬ。あなたの剣は生きている。剣と共に、あなたは生きるべきです」
「邪剣です」
「知っている。邪剣を試しに、我が千葉道場を選ばれたか」
「我が剣を破るものがあれば、剣と共に私も滅びたいと思ったのです」
「あなたの剣を破ることはできる。しかし、共に私も斃れます」
「分かっていました」
「邪剣も使う人間によれば、正しく生きるでしょう」
「そうありたいが」
「幕府大目付、松平大炊頭が、人を求めておられる。推挙したい」
いやあ、いかがですか。まさに「殺人刀」と「活人剣」というか、デキル男同士の会話っぽくて、いいじゃありませんか。素晴らしい。
まあ、それはともかく、信吾はそのまま松平大炊頭(柳永二郎)に仕えることになりました。もう、ここらへん、ムダな会話は無し。テンポが速い、速い。なにしろ、「頼む」「はっ」で、終わりですからね。
それから3年が経ち、文久元年になりました。世の中は幕末期に入り、攘夷の嵐が吹き荒れています。中でも、水戸藩は英国公使館に斬り込むなど、「ちょっとどうか」というほど暴発ぎみ。そんな状況に大目付の大炊頭は、「たとえ御三家の家柄と言えども、このままでは捨て置けん。わしは大目付として水戸へ赴く。すぐにだ」と決心します。もちろん信吾も同道するつもり。「敵地に乗り込むのだ。生きては帰れんかも知れんぞ」と大炊頭に言われたって、爽やかな目付きでうなづくだけです。っていうか、雷蔵カッコよすぎです。
道中、案の定、水戸脱藩浪士たちに襲われる一行。しかし、信吾はあっというまに10数人を斬り斃す強さです。ここはちなみに、ワンカットです。勝新のような重さはないものの、雷蔵の殺陣は流れるような美しさでした。
そして一行は水戸に入りました。宿所の茶室で端座する大炊頭と信吾。「静かだなあ。そちが来て何年になる」「三年になります」。そんな会話だけでも、二人の絆は強まり、そう、まるで本当の父子のような感情が芽生えていることが分かります。しかし、いつまでもマッタリとしていても仕方ないので、大炊頭は水戸城で執政を引見することにしました。そして、執政を難詰した帰り道、再び一行は襲われたのです。
「高倉信吾しばらく」「うん、庄司嘉兵衛」「あの時は不覚を取ったが、今日、改めて勝負する」。そう、襲撃者の筆頭は、かつて小諸藩にやってきた神道無念流の達人・庄司だったのです。しかし、信吾は得意の「三絃の構え」を取ろうとしません。「あの構えはどうした」「邪剣で人は殺したくない」。無言、そして無音。一瞬の静寂のあとの裂帛の気合。勝負は瞬間で決しました。地面に転がったのは信吾。立っているのは庄司。しかし、数瞬後、庄司の体は真っ二つに裂けて、斃れていったのです(ええっ!)。
再び茶室で、大炊頭と信吾はマッタリとティータイム。「今日は長老の一人、武田修理(耕雲斎のこと)と会うことになっている」と言う大炊頭。耕雲斎と言えば、この数年後に天狗党の乱の首領になるほどの実力者ですから、逆に言えば、この会談が「もし」成功すれば大炊頭の仕事は終わるのです。「そちの陰の力だ。礼を言う」と頭を下げる大炊頭。とは言え、やっぱり流れる空気は、親密な父子の"それ"です。
そして、二人は再度、水戸城に登城しました。今日は義公の命日なので焼香を願います、と用人に頼まれる大炊頭。義公と言えば水戸黄門のことです。これは、断わるわけにはいきませんね。さらに慇懃に、「恐れながら、これより仏間でございます。お腰の物、お預かりいたします」と言い出す用人。結局、仏間に進む大炊頭と、控の間に入る信吾、二人とも刀を取り上げられてしまったのです。もちろん、分かりますね。これは敵の謀略。仏間の大炊頭は斬られました。そして、一人、控の間にいる信吾の胸には、群雲のように不安が広がります。ガラっ。襖が開きました。なんと、ビックリ。姿を現したのは、旅の宿で、信吾に助力を求めてきた田所主水じゃありませんか。どうも、この田所主水は、姉の佐代が死んだのは信吾のせいと思い込んでいるようす。「頼みがい無き男」と信吾を罵ります。もちろん信吾は「逃げたな、お主」と言い返します。まあ、あれですね。これは主水が悪いな。姉を見捨てて一人逃げたくせに、信吾を非難するだなんて、どうみても「盗人猛々しい」の部類。今風に言えばDQNもいいとこです。
刀を振りかぶる主水。信吾は床の間に活けてあった梅の枝を握ります。てやーっ。主水の袈裟懸けを、梅の枝で避ける信吾。枝はサックリと切れています。おや、これはいい感じに尖っていますよ。もう一度、ジリジリと迫る主水。信吾は梅の枝を手に、三絃の構えを取りました。でやっ。主水の裂帛の気合もものかは、信吾の突きが決まります。はい、主水絶命。信吾は主水の刀を取って、走り出します。「とのーっ」襖をガラッ。「とのーっ」襖をガラッ。開けても開けても、ただただ無人の水戸城。まるで永遠に辿りつかないカフカの「城」のように、水戸城は冷たく広がっています。
何枚の襖をくぐり抜けたのでしょう。信吾は仏間を見つけました。そして、そこに斃れている大炊頭も。大炊頭を抱き起こし、再び、丁寧に寝かせる信吾。「申し訳ございません」と一言だけ搾り出すように言った信吾は、着物を脱ぎ始めました。そして、まさに腹を切ろうとした、その瞬間。脳裏には、母の顔、そして弟を守るために死んでいった佐代の顔が浮かびます。信吾の体が、大炊頭を守ろうとするかのように、ゆっくりと崩折れていきます。
いやあ、なんか不思議なテンポの映画でした。笑ってしまうほど展開が速い反面、ここぞというところでは、時が止まるほどゆっくりになる。急調子から乱拍子、そして静寂に。この緩急自在な撮り方が、心をぐいぐい揺さぶります。
市川雷蔵は素晴らしいの一言。苦労を知らない若侍、無頼の侍、そして端然とした侍。どれを演じても絵になります。もちろん動きの中の「画」も決まる人ですが、それが一幅の「絵」としても成立する。それが雷蔵の素晴らしさなのかなあ、と思いました。
脚本は、新藤兼人ですが、新藤兼人らしいなあと思った台詞は、「生きている人間は世の中を捨てる訳には参らぬ。あなたの剣は生きている。剣と共に、あなたは生きるべきです」の部分。
この「剣」を「脚本」なり「映画」に変えれば、これは「愛妻物語」で亡き妻に励まされた主人公そのまま、そして、まさに新藤監督の生き様そのものじゃありませんか。そう考えると、これはとても含蓄のある台詞だと感じます。
あと、ちょっと嬉しかったのは、お殿様の細川俊夫、多田の天知茂、そして佐代役で万里昌代が出ていたこと。もう分かりますよね。これって、まるで新東宝の映画じゃありませんか。思わぬところで、新東宝の残党が結集!みたいな気がして、幸せな気分になります。
ともあれ、71分という短い時間に、よくぞこれだけ詰め込んだと三隅監督の職人魂すら感じる、この映画。大当たりです。



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なのに三隅研次は、人物の手前や背景に小物を映り込ませることで(上の画面でいうと、布切れや梅の枝)、シネスコの画面にかえって奥行きや変化をもたらしていて、何気ないシーンでも見事だなあといつも感心してしまいます。
ですが、得てしてこの頃のスターはアップが少ないと機嫌が悪く、監督はアップを多めに撮らないといけなかったそうです。すると上記のような三隅研次のよさが出にくいじゃないですか。
そこで市川雷蔵なんですが、森一生によると、雷蔵はアップにこだわらないというか、むしろカメラを引いたときに自分の存在感を出そうと燃える俳優らしいんですね(「森一生 映画旅」)。そういう点ではこの「雷蔵×三隅」という組み合わせは、結構よかったんじゃないかと。
うーん、でも「すごい好きなスター×すごい好きな監督」の代表作なんで、なんか「斬れてない」というか、よさの5%も言えてない気がしますね。「お手前の突きをかわす工夫は不可能と存ずる」といったところでしょうか。
「雷蔵×三隅」はともかく、勝新との相性はどうだったんでしょうか。というのも、この「斬る」の前が「座頭市物語」ですよね。こっちも、いい映画だと思うんですが、師匠のご意見をお聞かせ願えれば。あ、謀略史観系とかネタ系でも結構です(笑)。
「勝新×三隅」も面白いと思いますよ。座頭市シリーズだと雰囲気も違いますし、眠狂四郎シリーズよりも実験的な撮り方もあったりして。ただ、『座頭市物語』と『斬る』を比較した場合は、主役の差とかよりも、むしろ黒白フィルムとカラーフィルムの差が大きいですね。
(「様式美」の雷蔵、リアリズムの勝新といわれたりするらしいので)杖を突きつつ歩く座頭市より、すっとした立ち姿の眠狂四郎の方が美学的なショットを撮る三隅監督とは相性が一見良さげですが、正直、どちらがいいかなんてのは観客の趣味の問題のような気がします。
ただ「勝新×三隅」という点で付け加えるとすれば、それは雷蔵の死後もあるいは大映倒産後も映画を撮り続けたことでしょう。つまり勝プロダクションでの活動ですね。その結実が『御用牙』だと思うんですが、これが『座頭市物語』とは全くかけ離れた映画であるにもかかわらず、想像を絶する傑作だと思うんですよ。
『御用牙』にはまたいずれコメントでもしたいと思いますが、とりあえずの結論としては、「勝新×三隅」には「雷蔵×三隅」の場合の「美学」とは違った何かがあるということで。長文失礼致しました。
そう、そこなんですよ。三隅監督の場合、子連れ狼やら、座頭市のグチャグチャ系と、この映画みたいな静謐な「美学」っていうんですか、それが同居しているのが、とても不思議だなあ、と思います。もちろんプログラムピクチャの監督として一流な上に、芸術的な引き出しが多いというか。
ところで、月火水ですか。それだと、もう遊びに行けませんねえ。金曜しか東京には行かないので……