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海底鬼岩城のバギーちゃん

2017-07-13 20:35:47 | アニメ・コミック・ゲーム



ドラえもんそのものは、アニメ放映前から好きだった。それは、ドラえもん中心に構成されたコロコロコミックの存在が大きいと思う。
さて、テレビアニメが放映されて間もなく、ドラえもんが映画化されるというニュースが飛び込んできた。
ただし、原作漫画が好きだった自分にとっては、テレビアニメのドラえもんが映画になる!という興奮よりも「のび太の恐竜」の後日談が描かれることの方が衝撃だった。
ご存知の方も多いと思うが、ドラえもん劇場版第1作「のび太の恐竜」は、中編として単行本に収録されているエピソードの続きなのである。
最初の中編では、恐竜の卵を手に入れたのび太が、現代でそれをふ化させるところから始まる。そして、いろいろあって、現代社会で生きるには大きくなり過ぎたピー助(恐竜)をタイムマシンで白亜紀に返すところで物語は終わる。これはこれでよくまとまっていて、のび太とピー助が別れるところなんて、涙なくしては見れない名作だと思う。
しかし、映画「のび太の恐竜」は、その続きが書かれるというのだ。そして、同時にコロコロコミックでは、藤子不二雄による漫画連載が始まった。これはちょっと画期的なことだったのだ。

事例は異なるが、「伝説巨神イデオン」はテレビ版では打ち切りに終わった作品である。敵であるドバ総司令が軍団に総攻撃を命じるところに、突如イデの発動が起こり、ナレーションで経緯が語られて、投げ出すようにして物語は終わった。
その後、ファンの後押しもあり、イデオンの続きは劇場版で描かれることになった。これはリアルタイムで劇場で見たのだが、テレビ版で打ち切りになったシーン・・・総攻撃命令の後に物語が続くのだ。この時、劇場内は私も含めてどっと沸いたものである。

「のび太の恐竜」もまた同じである。コロコロコミックで、原作のラストシーンから続きが始まった時には、自分の中では興奮がマックスになった。そして、それは期待を裏切らない出来だった。白亜紀の冒険、恐竜狩り、タイムパトロールと言ったSFマインド溢れる展開、そしていつもは万能なドラえもんの道具が無力化する展開により、のび太と仲間たちの勇気と友情が描かれ、そして、のび太とピー助の愛溢れるドラマ・・・これは傑作だった。
「どらえもーん」「もうのび太君は仕方がないなあ」と言った、いつものドラえもんを見ていた子供からすると、この映画は衝撃的だったと思う。ただ、それでも「ドラえもん」の世界を守っているところが素晴らしい。後述するが、この頃は「ドラえもん」の世界観の拡大なのである。
それは、次作「のび太の宇宙開拓史」も同様であり、白亜紀の次は宇宙へと冒険のフィールドを広げる。テレビとはちょっと違うドラえもん。のび太と殺し屋ギラーミンの対決なんて燃える展開ですよ(さすがに原作でやり過ぎたのか、映画ではソフトになっていたことが残念)。

何といっても、SFマインドなのである。恐竜が闊歩する白亜紀のど真ん中に叩き落とされたのび太達。空間がねじれて畳の下に異星がつながってしまう世界観。こんなワクワクドキドキさせるシチュエーションがあろうか?
この初期2作の魅力ならいくらでも語ることができるが、一番魅力的なのは、秘密道具に頼らない展開なのだろう。「のび太の恐竜」ではタイムマシンが壊れ、タケコプターも電池切れ寸前で、彼らの知恵と工夫が描かれる。映画になると、やたらカッコよくなるジャイアンもいいが、テレビ版ではダメダメなのび太が、その勇気と決意でヒーローになる展開も魅力的だ。

後に「クレヨンしんちゃん」が「オトナ帝国の逆襲」やら「戦国大合戦」などの傑作を生みだして、私も気に入ってはいるのだが、ドラえもんとはやや趣は異なる。この2作は、レトロな昭和を体感していたり、黒澤明の映画を見ていたりしなければ、その魅力は伝わらない(子供が見てつまらない、というわけではないよ)。アンパンマンの傑作「ふしぎの星のドーリィ」も同様であり、大人の持つ感性のスイッチをひねりにかかってくるわけですよ。少なくとも、童心に訴えかけるものではない。
半面、ドラえもんは純粋にアドベンチャーなのだ。

ただ、申し訳ないが、ドラえもんの映画版はここまでである。
もちろん、その後も面白い作品はあるものの、正直な話、この初期2作に全ての魅力は詰まっているし、これらを上回るような作品も見当がつかない。舞台を変えただけの亜流も結構多い。

ただし、「海底鬼岩城」は、ちょっと別格である。
海底王国アトランティスの自動報復システムによる人類の危機が描かれる作品であり、もろに核兵器を思わせる武器も登場する。
そんな奴らと、ドラえもんたちは戦うことになる(まあ、後の作品でもっとイカれた敵は出てきたりはするが)。恐竜ハンターやら地上げ屋とはスケールが異なり、相手は人間を殺しにかかってくるわけであるし、のび太たちも、相手がロボットとは言え、殺し合いを演じることになる。さすがにやり過ぎだろう、と正直思った。
逆に、こういうやつらをドラえもんがクルパー光線銃とかで倒してしまったり、ハリセンが何かでたたき合うような笑える戦闘シーンを演出しちゃったらそれはしらけるわけで、この映画は、その対策と言うか、仕掛けが面白いのである。

それがバギーちゃんなのである。

バギーちゃんは、ドラえもんの道具の一つで海底バギーなのだが、自らの意思を持つロボットのような存在である。
ただ、こいつが生意気だし弱虫だし、ジャイアンとスネ夫を「ああ、人間ってあっけなく死ぬんですねー」と見殺しにしかける描写もある。
どうしようもない存在なのだが、唯一、しずかちゃんにだけは心を開く。まあ、明らかに惚れたな。

最終局面。秘密道具で戦っていたのび太たちだが、徐々に力尽き追い詰められていく。頼みの綱のドラえもんもついにダウン。
そして、自動報復システムポセイドンに囚われたしずかちゃんが、今まさに殺されようとした時、ドラえもんのポケットの中から声がする。
「シズカサン、ナイテルノ?」

ああ、ここからは涙なくしては書けない。
ぶっちゃけると、出来損ないで役に立たないバギーちゃんが、ポセイドンと刺し違えるわけである。

この手のシチュエーションはありがちといえばありがちである。
ただ、藤子不二雄が異なるのは、その主がバギーなのだ。単なる車である。
車だったら感動するのか?と言われると、例えば、ナイト2000がマイケルをかばって同じ事やっても、感動こそすれ、涙までにはつながらないように思う。
しずかちゃんを守るためだけに(たぶん世界の平和とかはどうでもいい)特攻したバギーちゃんと、地上人を滅ぼすことしか考えていないポセイドンという、両ロボットの対比も面白いのですよ。結論などもすでに出ていて、手塚治虫や石森章太郎が延々と描き続けていた人間とロボットの共存というテーマを、藤子不二雄があっさりと万人に伝わる方法でさらっと書いちゃったあたりに、ちょっと戦慄を感じたりもするのだ。(考えてみれば、ドラえもんもロボットなのだけど)

更にまた、声優の三ツ矢雄二が上手い。このラストから逆算して最初からセリフを組み立てて演技をしていたのではないか、と思うくらい。キテレツ大百科でトンガリを見ていても、このバギーちゃんを思い出して泣けて来てしまうという。

正直なところ、「海底鬼岩城」は自分の中ではちょっと受け入れられない作品ではある。ドラえもんと言う世界を拡大させた初期2作と比較すると、違う方向に向いてしまっているように思う。それはこの後に続く作品にも言えることだ。
ただし、この映画はバギーちゃんが全てなのだ。バギーちゃんこそ、ドラえもんやオバQになりたかったのになれなかった存在だ。海中を走るだけで、ドラえもんほど感情もなくまた力もない。ドラえもんになれなかったバギーちゃんが、「しずかちゃんを泣かさないために」自分が取ることのできた方法が自爆だったという悲劇でもあるのだ。
それもあって、印象深い一作である。

そんな私ですが、実は「鉄人兵団」のリルルも泣けました。すいません。
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