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そして誰もいなくなったっちゃの頃

2017-07-06 21:03:21 | アニメ・コミック・ゲーム


うる星やつらは時代だったなあ、と感じる。

昭和50年代に突如として現れた画期的な漫画として印象的なのは、少年ジャンプのDrスランプである。
一方の少年サンデーのうる星やつらに関しては、面白かったのは確かだが、画期的とまでは言えなかった印象なのである。
表現が難しいが、Drスランプが衝撃なら、うる星やつらは安定だった。確かに、設定もキャラクターも画期的ではあったものの、手慣れた感のお話づくりは、ちょうど「こち亀」に近いものがあった気がする。
余談ながら、サンデー系は「タッチ」とか「ふたり鷹」とか、手慣れたプロを思わせる漫画が多く、ジャンプ系は「東大一直線」やら「キン肉マン」やら、パワーとノリで読ませるような漫画が多かった記憶がある。

しかし、そんなうる星やつらの印象ががらりと変わるのは、アニメ放映が始まってからである。

フジテレビ系水曜7時台は、前述のDrスランプとうる星やつら、8時からの大映ドラマも併せて、黄金の時間帯であった。そして、それは我が家でNHKの連想ゲームの厚い壁が破られた時であった。さようなら、加藤芳郎。

とは言え、残念ながら、この2本のアニメはあまり面白くなかったのである。思いっきり子供向けにシフトしたDrスランプは仕方がないかなと思うが(←子供だったくせに偉そうだ)、うる星やつらの初期はホントに面白くなかった。正直な話、「何でこんなつまらなくできるの?」と思ったくらいである。その分、きっちりページ内で構成された原作の面白さを再確認したりする作業だった。
おそらく3か月後に放映された「ときめきの聖夜」がなければ、連想ゲームに戻っていたかもしれない。

ただ、その「ときめきの聖夜」も、面白い面白くないじゃなくて、何というかキュンときたのですよね。言ってて恥ずかしいが、青春の淡い味わいと言うか。ああ、ラムちゃん、かわええなあ、という。平野文のラムちゃんの魅力を感じてきたのもこの頃だし、なんじゃこのおばちゃん声は―――!と憤りさえ覚えたサクラさん(鷲尾真知子がやってたんだよなあ)の声にも、妙に味を感じ始めていた頃だ。
そして、異彩を放ち始めたメガネと言うキャラクターを忘れてはいけない。当時、まだ主要キャラの一人である面堂終太郎が登場しておらず、その代わりなような感じで活躍していたキャラクターなのだが、千葉繁の声もあって、異常な存在感を放っていたのである。もちろん、原作にも登場しているものの、その性格付けや活躍はアニメオリジナルと言っていい。(面堂が登場してからも、メガネはアニメオリジナルのキャラとして君臨する)。

だが「ときめきの聖夜」の後も、「君去りし後」が放映されるくらいまで、再び低迷する。
結局、アニメ「うる星やつら」が暴走を始めるのは、1年くらいたってからなのだ。それまでは手探りもあったし、原作に縛られ過ぎていたきらいもややあったのは確かだ。

これを書くためにラインナップを改めてみたが、「君去りし後」以降は明らかに印象に残るものばかりである。それまでは、原作に準拠しつつ、尺が足りない分は水増しして・・・と言った感じだったのだが、「原作を映像化したら、残った時間は好きにやらせてもらう」的に、初期からだいぶ入れ替わったスタッフが、はっちゃけ始めるのだ。

「戦りつ化石のへき地の謎」なんていろいろぶっ飛んでいるし、「さよならの季節」は泣けるし、「みじめ!愛とさすらいの母」なんてわけがわからない面白さがある。この頃になると「原作にある以外の要素」を面白がるようになっていた。ギャグもあり、アクションもあり、涙もある。ラインナップがバラエティに富んでいたのだ。その極めつけが、映画の「ビューティフルドリーマー」なのだろう。

そんな中、「そして誰もいなくなったっちゃ」という作品が放映された。原作にないアニメオリジナルである。
タイトル通り、「そして誰もいなくなった」オマージュで、登場人物が次々と殺されていく話である。・・えー!?
もちろん、ギャグアニメなのだ。本当に死んでいるわけがない。・・・のは当然わかっているのだが、もうね、えぐいというかなんというか、浴槽で湯につかったまま息絶えているラムちゃんを見た日にはねえ。
ちなみに、一切ギャグはない。ギャグアニメの線を守りつつ、笑える形の死に方をしたキャラもいるが、基本はホラーミステリーとして話が進む。ラムちゃんまで殺された諸星あたるが、けん銃片手についに追い詰めた犯人のその正体は・・・と言う流れなのだが、これがもうギャグアニメと言うことを忘れるくらい真に迫っているのだ。
先に書いたように、この頃のスタッフの暴走ぶりはよくわかっていた。だからこそ、「これ、本当は誰も死んでないのだよね」と言う予定調和さえ実はぶち壊してしまうのではないか、と思わせるくらいの緊迫があったのは確かだ。

「機動戦士ガンダム」の大ヒットで、アニメファンと言う言葉がすっかり定着していた頃である。
同時にビデオデッキも普及し始めたころだ。うる星やつらは、そんなファンをくすぐるように、ビデオでコマ送りにしないと気付かない部分を入れたり、他にアニメのキャラをエキストラで登場させたり、というお遊びを入れまくった。それは、アニメをよく見ているアニメファンの共通言語となっていったのである。

ちなみに、そのうる星やつらも終盤は失速する。もちろん、上記のようなはっちゃけぶりやファンサービスは満載だった。
しかし、それがスタンダートになってしまったのである。原作と言う枠をはみ出した掟破りを続けてきたところに魅力のあった作品が、その掟破りがマンネリになってしまったのだ。挿入されるスタッフのお遊びがうざったくなって、原作通りにやれよ!と思ったりもした。

最終回の締めを飾ったのは、初期EDである「宇宙は大ヘンだ」だった。結局、うる星やつらは原点に回帰して終了したのであった。

今、現在、うる星やつらの知名度はどんなものなのだろう。
高橋留美子先生が未だに健在なのは驚くが、歴史に残ったアニメだとは思えないのである。「めぞん一刻」の方が語られる機会が多い印象がある。
そして、おそらくなのだが、今見たら、ノリだけで作られていて、楽しめないと思う。きっと、空回りしているはずだ。
当時、アニメファン文化が開花していて、アニメ雑誌片手にアニメ映画の初日に列をなす。その時代を知らなければうる星やつらは楽しめないのではないだろうか。
うる星やつらは、長いお祭り、それこそビューティフルドリーマーだったと思う。祭りの後は若干の余韻を残して消えていくのだ。

そんな私は「夢はLOVE ME MORE」を、今でも口ずさんでいます。
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