ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

雑誌という情報媒介体の位置付け

2017年04月20日 | 日記

 自分の書斎にある多くのハードカバーの本を処分した。そして今度は溜まった雑誌を処分の為に分別した。経済誌とか時代の世相誌などはためらう事無くどんどんと処分出来るのだが、20年前のCar and Driver 誌とか四駆関係の雑誌などは今見ても、また何度読んでも面白いので結局書斎に留まっている。過去にもそういう過程をちょくちょく通過したので結果的に我が書斎の本棚にはクルマ関係の雑誌が乱雑に溜まっている。そしてそれは時々ランダムに引っ張り出して読む。そういいう読書のやり方こそが自分にとって楽しいやり方だと感じている。

 ネットが普及して書店が閉鎖されつつあると聞く。人々は手に持つモバイルの電子活字を追い動画を流しそれで多くの知識を得られると理解しているかも知れない。こんなに情報があふれる環境の中にる今だからこそ知識という事について整理する必要があると感じている。そして、その知識の整理のやり方は一本の樹木を頭の中において、その樹木の葉の部分の知識はネットから、枝の部分の知識は雑誌から、そして幹に当たる部分は本から、更に根に当たる部分は自身の心から得られると僕は理解している。

 

2017年の2期(春)のオーバーランドジャーナル

雑誌には本では得られない洗練された写真が多く登載されている。

 雑誌は知識の枝の位置付けではあるが、どの様な雑誌を手に取って読むかという事は樹木の生長の為には大切な事なのだ。例えば世界には不必要な人はいない、全ての人は必然的に生きているのだと言われても納得し難いのが現実だ。しかしある人がランドクルーザーを駆ってアフリカやアジアの奥地のリモートエリアを訪れそこで触れ合った人々の質素な生活や表情を写真に収めて雑誌の中で紹介するとする。そしてそれを観た(多くの場合先進国という地域に住む人々)はその一枚の写真から何か感じる物があるはずだ。その感じた物は知識であったり時として上手く言葉では表現出来ない感覚かもしれないがそれは自身の根(心)に繋がる要素となる。結果、アフリカの奥地に住む名も知らない他人が雑誌という媒介を通じて自身と繋がる現象となる。これらは勿論ネットでの写真や動画でも起こる事ではある。

 現在、個人がこれ程多くの情報、知識に触れる事が出来る機会は歴史上過去に無かったはずだ。しかし、人々は常に更なる知識を求めてネットの中を彷徨っているように感じる。知識は樹木を意識してバランスを考えながら摂取するのが最良です。雑誌が増えたらもっと本を読んだ方が良いし、ネットで得る情報や知識を増やしたいと思ったら自分の金を出して雑誌を購入して目を通すのが良いと自分は感じている。

 

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