リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

持続する地震と津波の記憶

2017年03月11日 | 日々の風の吹くまま
3月10日(金曜日)。晴れ!ルーフデッキの北半分にしつこく残っていた雪も昼前には跡形
もなく解けた。窓際に立って春らしい日差しを楽しんでいたら一瞬の日陰。またハクトウワシ
がばさっ、ばさっと言う羽ばたきの音が聞こえそうな近さを飛んで行った。ハクトウワシは川
面の近くを泳いでいる鮭を急降下爆撃よろしく掴み取るそうだから、そろそろ春の鮭が川を
上って来るという知らせかな。そういえば、きのうはモールの外の桜の木に膨らんだピンク
のつぼみがちらほら見えた。

日本時間では今日は3月11日。約1万6千人が犠牲になった東北大震災から6年。時の経
つのはほんとに早いもんだ。でも、6年も経って未だに仮設住宅で暮らしている人3万4千
人、避難したままの人12万人以上と言う数字を予算3兆円とも言われる東京オリンピックと
重ねると、時の立つのが早すぎるのではと言う思いがわいて来る。ワタシが小学校高学年
だった頃の日本の国家予算は1兆4192億円(「いっちょうよいくに」予算)。今、日本政府は
その倍近い数字のお金をお祭りに投じようとしている。それを東北の復興に回したらどれだ
け早く再建が進むことか。「東京」だけが日本じゃないのに・・・。

ワタシは「地震王国」釧路の生まれ育ち。4歳を目の前にしたひな祭りの翌日に起きたのが
「1952年十勝沖地震」で、マグニチュード8.2。妹を抱きかかえた母とつないでいた手が
激しい揺れで離れて、ひとり家の中に取り残されてしまったワタシ。母がとっさに開けていた
出窓の敷居にしがみついて泣き叫んでいたワタシの目には電線を今にも振り切ってしまい
そうなくらいに揺れる電柱と、金魚鉢から飛び出して足元に落ちた金魚の目が65年経った
今でも焼きついている。

南半球のチリで起きた巨大地震の津波が赤道を越えて東北や北海道の沿岸を襲ったのは
1960年5月24日の早朝。全校遠足の日で、6年生は興津(おこつ)海岸に行く予定だった
のが中止。教室でおにぎりを食べて過ごしたけど、あのときのワタシがどれほど幸運だった
かに気づいたのは、40年以上経ってスマトラ島沖地震で起きた大津波の映像を見たとき。
チリ地震津波の到着が数時間遅かったら、平地の海岸で遊んでいた400人を越える6年
生は突然押し寄せて来た大波にさらわれておそらく全滅していただろう。あれ以来、大津波
が押し寄せる映像を正視することができないでいる。鎮魂・・・。