徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

松山英樹の全米プロ

2017年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

1980年の全米オープン、青木功はジャック・ニクラウスと最終日最終ホールまで優勝争いを演じたが、2位に終わった。
1986年の全英オープン、中島常幸はグレッグ・ノーマンと最終日最終組でスタートしたが、77と崩れ8位に終わった。
1989年の全米オープン、ジャンボ尾崎は最終日のインで一時首位に並んだが、最終結果は6位だった。
日本人がメジャーで優勝争いに加わったのはこのぐらいではないか。
最終ホールまで期待をつないだのは青木ただ一人で、中島も尾崎も早々と脱落していった。

今年の全米プロ、松山英樹はトップと1打差の2位タイでスタートした。
それ自体は30年ぶりの快挙である。
期待する一方で、中島や尾崎のように早々と脱落するのではという不安もあった。
そんな不安を打ち消すように、1番ホールでいきなりバーディチャンスにつけた。
しかし、短いバーディパットを外し、パー。
続く、2番ホールでは短いセカンドショットをミスして、ボギー。
見ているのが辛くなった。
しかし、そこから耐えに耐えながら巻き返し、10番ホールで単独首位に立った。
誰もが「もしかして」と思ったに違いない。

ところが、11番、、12番、13番と3連続ボギー。
どうしてこんな大事なところでボギーを連発するのか、特に11番はバーディーチャンスをボギーにしたのである。
言葉では言い表せないほどの失望を感じた。
14番、15番のバーディーで浮上しかけたが、16番のボギーで万事休す。
最終的には通算5アンダー、5位タイでフィニッシュした。

次回に期待する一方で、大事なところで勝ちきれない日本人的な弱さを感じてしまった。
松山英樹がメジャーに勝つ日は来るのだろうか。


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