甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

干刈あがた「マスク」1989 その1

2015年02月20日 21時13分34秒 | 干刈あがたさんを追いかけて
 干刈あがたさんという作家を知ったのは、数年前のことです。本当にぼんやりと読む気もなく読んでいたら、コトリと引きつけられて、何とも言えないホンワカした世界へ連れて行ってくれたので、少し他の作品を読みたいと思ったのです。

 ところが、全く世の中には、あがたさんの作品はなくて、つい20年くらい前の作品なのに、もう読めなくなっていました。それで、古本屋めぐりをすることになったわけですが、それでもあまり見つからなくて、すっかり忘れた頃に突然見つけたり、どこでどうなるのかわからないから、古本屋めぐりは楽しいのです。

 とにかく、「マスク」を読んでみてください。

 午後三時少し過ぎだというのに、東京郊外を走る下り電車はかなり混んでいる。乗客のほとんどは十八歳前後の男女だ。ボストンバッグを足元に置いて、右手で吊り革につかまり、左手で参考書を読んでいる女子。スポーツバッグを肩に担いで、不安そうに車窓の風景を見ている男子。田鶴子の前の座席に座っている男子は、風邪をひいているのか、白いマスクをかけた顔をマフラーの中に半分埋めて、やはり参考書を読んでいる。

 みんなS大を受ける受験生らしい。だれもが自分より頭が良さそうな気がしてくる。私ってホントについてない。S大も駄目だったらどうしよう、田鶴子は弱気になった。

 去年までだったら、なんとかH大学に入れるくらいの点数は取れていた。でも、今年は国立大のグループ分けが変わったために、本土の受験生がドッとH大志願になだれ込んできたので、合格ラインも高くなってしまったのだった。

 そして共通一次試験日の数日前から、田鶴子はひどい下痢を伴う風邪をひいてしまい、当日は熱も下がらず体力も回復しないままに、ボーッとして試験を受けたのだった。結果は、〈足切り〉に遭ってしまった。

 第二志望のS大も、予想とは大違いで、今年はひどく倍率が高い。なにしろ高校の先生でさえも、今までの点数や倍率が参考にならないと言って混乱しているのだ。

 田鶴子は政治経済を専攻したいと思っているのだが、国立大に受からなければ、進学をあきらめねばならない。H大に受かれば、札幌に住んでいる伯父夫婦が居候させてくれることになっていた。伯父さん夫婦には子供がなくて、田鶴子を娘のようにかわいがっていたから、田鶴子がH大生になるのを楽しみにしていたのだが。
 もしS大に受かれば、学生寮に入って、奨学金とアルバイトと仕送りとでやっていくつもりだ。

 背中が汗ばんできた。今朝函館は吹雪で、飛行機が欠航するのではないかと心配した。田鶴子はセーターの上にカーディガンを着て、その上に半コートを着込み、マフラーを巻いて家を出たのだった。羽田に着くと東京はずいぶん暖かかったので、マフラーはボストンバッグに入れたが、コートの下は着膨(きぶく)れたままだった。



 ヒロインの名前が、田鶴子(たづこ)さんで、かなり古風な名前です。1980年前後のことかと思われます。国立大学を受験することになっています。関東の方に受験遠征に来たらしいです。2次試験の会場への下見に行くところのようです。

 1人で北海道から首都圏に来たとしたら、それは心細い気持ちだったことでしょう。それは今も昔も同じかもしれない。けれども、昔の方がはるかに遠いところへ来たという印象があったのではないでしょうか。今の若い人たちは、東京だろうが、京都だろうが、既視感があって、スマホ片手にズンズン歩いていってしまう気がします。




 函館の田鶴子の家は食堂をしている。夜は居酒屋といった店だ。子供のころは出漁期になると、大漁旗をなびかせて出ていく船を見送る人々で港は大にぎわいだった。船が帰ってくると、店も活気にあふれた。夫婦仲のよい田鶴子の両親のやっている店に、家庭のぬくもりを慕うように、気っ風はいいがどこかシャイな独身の漁船員たちや、女たちが寄ってきたものだった。

 けれど二百カイリ時代になって、町はだんだんさびれてきた。そして今では船乗りも女たちも少なくなり、たまに店がにぎわう日があると、町を出る人の送別会だったりする。その上、青函連絡船も終航ということになると、田鶴子の両親も、いつまで店を続けていられるか分からない。

 田鶴子はコートを脱いだ。すると、マスクをかけている男子の隣に座っていた女の人がチラとそれを見て、マスク君に言った。
「秀樹さんもマフラーをはずしなさい。汗ばむと、かえって風邪をひきますよ。」
 マスク君はどうやら、風邪をひいているのではなく、風邪予防のためにマスクをかけていたらしい。
「うん。」
と返事はしたが、彼は体を動かさない。母親らしい隣の女の人がマスク君の首に腕を回して、マフラーをはずしてやった。

 田鶴子の母親は、娘が共通一次でH大を足切りされたとき、サバサバとこう言ったものだ。
「運も実力のうちよ。大事なときに風邪なんかひくあんたが悪いのよ。だれも恨むわけにいかないんだからね。」

 父親は私立を受けてもいい、娘一人の進学費用くらいなんとかすると言っていたが、国立に限定して勉強していて第一志望をはずしてしまった田鶴子に、慰めるように言った。

「人間、間が悪いってことはあるさ。まあ、とにかくS大を頑張ってみるんだな。」
 函館で商売が立ち行かなくなっていることについても、母親は「だれも恨むわけにはいかない」と思い、父親は「間が悪い」と思っているのかもしれない。でも田鶴子は「なぜなの?」と、もっといろんなことを知りたい。政治経済を志望するのも、なんとなく、そんな気持ちとつながっている。



 車窓の風景は、延々と住宅が続いていた。田鶴子は東京圏の広さにあきれてしまった。だんだん高層ビルが多くなってきた。S大のある街に近づいてきたようだ。
「秀樹さん、そろそろ降りる仕度をなさい。」
 マスク君の秀樹君は、黙って参考書を閉じてボストンバッグに入れた。
「まあ寒い。」
 ホームに降り立ったマスク‐ママが言い、スーツケースを足元に置いて、マフラーをマスク君の首に巻いてやった。マスク君は洋服の寸法を測ってもらう人みたいに、突っ立っていた。
 田鶴子と同じ年ごろの男子や女子たちは、不安そうに駅の標示を見上げたり、手帳のメモを確かめたりしながら、南口のほうへと流れていく。
「南口はこっちだわ。」
 マスク‐ママが言い、マスク君はそれに従った。そのすぐ後ろから、田鶴子も南口へと階段を下りた。

 改札口を出た所に、街の案内図があった。田鶴子はS大行きのバス停留所と、予約してある島田屋ホテルの場所を確認し、手帳にホテルへの道順を書き写してから駅構内を出た。受験会場を下見しておくために、駅前ロータリーのS大行きバス停留所へ行くとき、タクシー乗り場に並んでいるマスク母子を見かけた。

 下見を終えると田鶴子は再びバスで駅前ロータリーに戻り、手帳で道順を確かめながら、島田屋ホテルへと向かった。駅前から少し離れている。田鶴子は高校の進学相談室に備えてある「ホテルガイド」を見て、自分で予約をしたのだが、駅の近くにある室数の多いホテルはどこも、「S大の試験日の予約は、既に去年の十一月中に満室になっております。」と言った。やっと島田屋ホテルで「ちょうどキャンセルがありましたからどうぞ。」という返事が返ってきたのだった。

 既に日が傾いていて、高いビルの下の歩道を吹き抜ける風が冷たい。雪の函館の寒さとは違うような冷たさだ。田鶴子は今見てきた大学構内の、重々しい建物の並ぶ風景に打ちのめされていた。自分などは入れないような気がする。少し鼻水がにじんできた。

 十五分ほど歩いて島田屋ホテルに着いた。玄関のドアは自動だが、建物自体は古いようで、独特のにおいがこもっている。狭いロビーの正面に小さなフロントがあった。白いブラウスに紺色のチョッキを着た、事務員風の若い女の人がこちらを見た。

「いらっしゃいませ。受験生パックの御予約の方ですか?」
 建物の印象から予想したより、意外に親切そうな口調と表情だ。
「はい。函館の木村田鶴子です。」
 フロント係は宿泊カードを出した。とまどいながら記入して渡すと、フロント係は夕食券と朝食券を出しながら聞いた。
「明日のお弁当はどうなさいますか? 受験生パックの一泊二食付き一万八百円とは別料金になっておりますが。合格弁当は七百円と千円のがあります。」
「七百円のをお願いします。」
「はい。では夕食は五時半から九時まで、朝食は六時から、二階の食堂へおいでください。」

 フロント係はS大への地図やバスの時刻表を渡し、所要時間や当日の交通事情なども説明してくれた。聞いている途中でフロント横のエレベーターのドアが開いた。降りてきた人はフロントに用事があるらしく、田鶴子の斜め後ろで待っていた。
「では、お部屋は四階の四〇三号室です。そこのエレベーターでどうぞ。」



 田鶴子がフロント係からルームキイを受け取り、エレベーターのボタンを押して待っていると、フロントで話し合う声が聞こえた。
「明日の朝七時十五分にタクシーをお願いします。」
「はい、かしこまりました。ただ、明日はタクシーの予約が多くて、S大との間を何往復もしますので、遅れる場合もありますが。」
「あら、それじゃ予約する意味がないですわねえ。」
 不満そうな声に田鶴子がフロントのほうを見ると、電車の中で会ったマスク‐ママだった。
「バスになさったほうが、よろしいと思いますが。」
「とにかくお願いします。」
「はい、承りました。」
 エレベーターのドアが開き、田鶴子は乗り込んだ。押しボタン式の古くて小さなエレベーターだ。階は四階までしかない。ドアが閉まる寸前に、マスク‐ママが乗ろうとしたので、慌てて〈開〉のボタンを押した。
「ありがとう。」
 マスク‐ママも乗り込み、ドアが閉まった。彼女が四階のボタンを押したので、田鶴子は手を引っ込めた。

「あなたもS大受験?」
 彼女が優しそうな口調で聞いた。
「はい。」
「何学部?」
「政経です。」
「まあそうですか。頑張ってね。」
とマスク‐ママは言ったが、「まあそうですか。」と「頑張ってね。」の間に、一拍呼吸を置いたような気がする。人には何学部か聞いて、自分の子が何学部を受けるのかは言わない。マスク君も同じ学部受験かもしれない、と田鶴子は感じた。

 四階でエレベーターが止まると、彼女はちょっと身を引いて、田鶴子に順番を譲った。田鶴子はちょっと頭を下げて先に降りたが、廊下を歩いていく自分の背中に、殺人光線が注がれているような気がした。

 四〇三号室に入ると、田鶴子はシングルベッドの上にボストンバッグを置き、トイレと浴室、クロゼット、などのドアを一通り開けてみた。ホテルなんて初めてなので、なんだか落ち着かない。窓のレースのカーテンを少し引き開けて外を見ると、二階建てのパン工場が見えた。どうやら裏側の部屋らしい。

 ベッドに腰掛けて、田鶴子はサイドテーブルの電話を見つめた。家に電話をするには精神不安定だ。今電話をしたら、こちらの心細さが、そのまま向こうに伝わってしまいそうだ。しばらくベッドに座って、ぼんやりと部屋を見回した。応接セット、その上の茶道具、コイン式のテレビ。壁の絵は、小さな油絵だ。なんだか好きになれない古くさい感じの描法。素人くさい。悪趣味。




 さあ、ホテルに着きました。私も何十年も前に受験旅行をしました。1人で初めて飛行機なるものに乗り、初めてホテルというところに泊まり、相部屋だったので、その人と一緒に合格祈願の神社参りにでかけたりしたものでした。

 ヘンチョコリンなコートを着て、しかもコートのベルトをあらんかぎりしぼって、コーデュロイのズボンをモサモサと履き、ふわついた調子で町を歩き、結局足下をすくわれて、スッテンコロリンと落ちてしまいましたっけ。

 もっとどっしりと構えて受験しなきゃいけないのに、受験旅行は何だかソワソワでしたね。もう、そのころから、旅に出たら変なアドレナリンが出て、大事なことより、目先のおもしろさに目を奪われていたのかもしれません。まあ、私のつまらない回想でした。

 でも、ついそんな誰もが経験した、おちつかない受験旅行の様子が出ているなあと感心したのでした。何を今さらそんなことで胸をキューンとさせているんだよと思いますが、田鶴子さんを通して、自分の過去への旅が開けてくるようで、私にはうれしい展開でした。

 さあ、このマスクくんと田鶴子さんとが、どんな関わりを持つのか、実家のお父さんとお母さんは田鶴子さんをどんなふうに支えてくれるのか、短い小説だけど、少しだけハラハラするでしよ?

 つづきは明日書きます。みなさん、明日のお楽しみにしておいてください。集英社文庫で出ていたみたいです。私はもう買ったのかどうか、たぶんまだだと思うのですが、ひょっとしてあるかもしれません。何といいかげんなことでしょう!





★ 確か大阪でお勤めしていたこの当時、職場の先輩で「田鶴子」さんがいました。それで、古風な名前だなと思っていた印象があるので、1989年の高校生としては、やはり古風すぎるというのか、田んぼの鶴さんなんて、古き良き日本みたいな名前だなと思います。

 そういえば、小学校の時の担任の先生が「多津子」さんでした。歯医者さんのお嬢さんでした。元気いっぱいの先生で、公明正大で優しくて、時には厳しくて、大好きだったのに、6年生になったら、違うクラスの担任で、すごくショックだったのを覚えています。

 そして、そのクラスには私の好きな子トップスリーがいて、私がそのクラスにいたら、どんなに楽しい空気感だったのか、もう想像するだけでステキですけど、小学校時代の自分をふりかえれば、どんどん大好きな女の子に嫌われたかもしれないから、まあ運命だったんですね。

 どうでもいい話でした。「たづこ」っていう方には、それ以来出会ったことがありません。もう30年近く出会ってないけど、どこかにはおられるでしょうね。

 どこかの「たづこ」さんに会いに行きたいですけど、みんなおばあちゃん・オバサンかな。






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