甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

サタデーナイトフィーバー 1978

2016年12月04日 10時33分12秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 うちの弟と、映画館で見ました。主演のトラボルタさんって、なんだか毛むくじゃらで、そんなにかっこよくないと思ったんですけど、それが当時のかっこよさだったのか、それとも本人がかっこいいと思えば、多少の難点は吹き飛んで、かっこいいと自分で思ってるんだから、それはそれでいいじゃないのみたいな感じになったものか、よくわからないけれど、それなりに楽しめた映画でした。

 そして、昨日、BS日テレで19時からオンエアされていて、字幕で見ました。コマーシャルは中高年をターゲットにしたものばかりで、「ナイトフィーバー」は中高年用の映画なんだなとつくづく思いました。そういう価値しかないらしい。

 ビージーズの音楽は、今でも好きなんですけど、古いみたいです。もっとジャカジャカしたり、もっとテンポをあげなければいけなかったり、もっと絶叫するかしないといけないようです。適当に力を抜いて、フワフワ進んでいくダンス音楽は、今の時代には合わないらしい。そうなのか、これはもうクラッシックになりかけているわけですね。

 まあ、今の音楽もろくにわからない私のことですから、それと比較してもどうにもならないですね。とにかく音楽は、それなりにああ、これ、ここで使われているんだと思いながら見ていました。

 実家には、弟が買った輸入盤のサントラがありました。兄弟でも、それぞれのレコードがあって、プレイヤーは1つしかないし、似通っている部分もあるし、趣味に合わない部分もあって、それなりに棲み分けていたのだけれど、このサントラは、何度も借りて聞かせてもらいました。ところどころをカセットテープに取らせてもらったりした。

 ビージーズは今は、もうグループとして活動はできないし、懐メロ番組みたいなのがあれば、時々出たりしているのかもしれないです。私の二十歳前後まであったグループで、今も活動しているなんて、なかなかないですし、今も現役で営業できるとしたら、それはもうその人たちの精進のたまものです。ものすごい努力があって、今につなげていることでしよう。

 私は、音楽の方面にはもちろんいかず、ただのお客としてずっと音楽を受ける側だったけれど、今から四十年近く前のころ、確かに懐かしい気がしました。やはり中高年用の映画なんですね。

 主人公トニー(ジョン・トラボルタ)はイタリア系のブリックリンの住民、お仕事はペンキ販売の店員さん。まだ19歳。イタリア系だからか、トニーの部屋には「ロッキー」のポスターが貼られています。別の壁にはアル・ハチーノのひげ面の顔面アップのポスター。彼は当時のアイドルだったんですね。小柄だし、スタイルはいい方ではないけど、目や表情には少し疲れたような、でもものすごい目力を持つ、そんなキャラとして存在していた。これからしばらくして、「ゴッドファーザー」などで活躍したり、性格俳優になっていったりするんでしょうけど、当時はアイドルだったのかもしれない。

 イタリア系で貧乏で、子どもには出世してもらいたいと、長男はカソリックの神父になっていた。まだ若いから修行・研修中でどこかで単身赴任していた。次男のトニーは、仕事はしているけれど、土曜の夜になると同じような境遇の若者たちとディスコへ出かけるのでした。当時は土曜日はお仕事の日でした、世界的に。

 お父さんは失業中、お母さんは家で文句ばかり、パートもしているということでした。あとはおばあちゃんとかわいい妹さんがいる。そんなある時、お兄さんは自分の信仰に自信が持てなくて、神父をやめて自宅に帰ってきます。もう家族は騒然となる。でも、彼は断固として神父を仕事として受け入れない。これは母の意向によりこの道に進んだけれど、私には神はみつからないという。

 ああ、どうしようもない貧乏人たちの物語です。そんなある時、ブルックリンからマンハッタンをめざす、上昇志向でダンスが上手な女の人に出会い、こんど一緒にコンテストに出ようとアプローチして、女の人は、「あなたと私は、全く趣味もめざすものも違うけれど、コンテストだけは出てあげよう」と言い、2人で特訓生活が始まります。

 というところで、私は「もう、いいや」とお風呂に入りました。

 お風呂から上がってみると、コンテストは終わったみたいで、昔のダンスのパートナーは、やけくそでトニーの友だちたちと同じクルマの中で変なことを始めます。ああ、とんでもない救いようのない奴らだ、というところでおきまりの高い橋の上に来て、みんなで騒いでいるうちに1人が転落します。トニーはもうこんなヤツらとおさらばだと、地下鉄でマンハッタンに住む彼女に会いに行きました。それで終わりでした。

 なんという救いようのない、なんという適当な、なんという間に合わせの終わり方なのかとビックリしました。そうか、こんなふうに映画は終わったのだ。トニーはこれから、女の人と友だちになれるように努力し、マンハッタン住まいができるほど出世していくのか、あいかわらず救いのない貧乏人暮らしなのか、今のアメリカを見るようで、少しだけおもしろくなりました。


 四十年前、豊かなアメリカには貧富の差があり、イタリア系の人たちはそこから脱出しようとあれこれ頑張っていた。それを支える映画として、「ロッキー」「ゴッドファーザー」「ナイトフィーバー」など、たくさんのイタリア系の映画があった。監督だって、マーティン・スコセッシさんとか、ロバート・デ・ニーロさんだってイタリア系だったようです。

 みんな頑張っていた。その結果としてアメリカ社会の中に溶け込んでいったような気がします。アジア系もそれなりに浸透し、お金持ちになったり、才能を伸ばしたりした。メキシコ中南米系が入り込み、中東系やインド系もどんどん入っていることでしょう。


 そして、今は、中東系を排除しろ、メキシコを封鎖しろと国是に合わないメッセージがまかり通っているけれど、これも時間の問題で、流れるものを止めることはできないでしょう。封鎖しろと言いつつ認めるような、変な認め方をしていくんでしょう。

 あの人(トランプさん?)は建前というか、スローガンを掲げだだけで、本気でやろうとしているのではない。あの人は、自国・自ら・資産家の富を守り、この人たちの施しで国を運営していこうというだけのような気がします。自らの富を豊かにしたいだけです。

 そして、四十年前は、イタリア系は貧しく、国に定着しているようで定着していなかったんでしょう。ギャングやイタリア系のマフィアが活躍していたのは今から百年足らずの昔で、そのころから少しずつアメリカをめざす人々がいたのだと改めて感じました。まだ浅い歴史だったんでしょう。

 そんな彼が、好きになった女性は、何系の人だったのかなあ。イギリス連邦系なのかなあ。とにかくヒロインさんは花がなかった。70年代の映画って、こんなに花がなかったのかなあ。

 70年代の終わりの「スターウォーズ」のレイア姫のキャリー・フイッシャーさんはユダヤ系でもあるそうで、今見ると、やはりそんなに美人ではなかったような気がします。70年代はヒロインがそんなにモデルさんみたいじゃなくて、みんなたくましい時代だったんですね!


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