甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けるといいんですけど……。

写真や昔の切り抜きなどを発掘していきますね。

種子島の木折坂・こころ旅から

2016年12月07日 21時57分36秒 | 海と水辺と船と
 種子島は、残念ながら行ったことがありません。父母のふるさと・私の生誕の地である指宿から、距離的には近いですけれど、深い海があるので、なかなか行けないのです。それに行こうという強い意志がないと、なかなか行けない。

 BSで百名山を自力で走った田中陽きさんなんかは、カヌーで屋久島から指宿まで行ってましたが、私なんかにはできない相談です。もしひっくり返ったら、二度と浮かび上がらないでしょう。

 バイクにでも乗るのだったら、船に愛車を乗せて走りに行くということも考えられそうですけど、そういうことはしてきませんでした。もっぱら家でコソコソしているだけでしたから。

 とにかく行ったことはなかった。



 すると、いつも見ている火野正平さんの「こころ旅」で、とうとう種子島に来たみたいで、2日連続で種子島を回っていたみたいです。昨日は帰りが遅くて見られなかったんです。

 それで、今日はめずらしく、オンエアの時間に生で見ました。そして、種子島の北の先端を回って、東側の太平洋に出て、砂浜でお弁当を食べて、椰子の実を見つけて、それを砂浜に埋めて、「いつか、オレがいなくなったころに来てみろよ、大きな椰子の木があるかも」と言われていました。

 何だか悲しいような、それでいて淡々としていて、大きくなった椰子の木を見に来られそうな感じの正平さんでした。

 そして、少し登って、木折坂(きおりざか?)というところまで駆け上がりました。ここは、昔山に入った女の人が目印に木を折りつつ登ったところだそうです。今は展望もいいし、草も刈ってあるし、クルマは通らないし、道も舗装してあるし、明るい感じでしたが、昔は鬱蒼とした森だったのかもしれない。

 そりゃ、鹿児島の山って、恐ろしいくらいみどりの力がありますからね。すぐに森・ジャングルになるでしょう。だから、目印を作らないと、自分がどこへ帰るのか、それがわからないくらいだった。そういういわれのある土地だったようです。

 お手紙の70代の男の人が50年前にキャンプしながら、ここまでたどりついたということですから、50年前も展望が開けていたでしょう。少しだけ切り開かれたみたいでした。



 たくさんのキレイな、心に残る風景はあるでしょう。今日見せてもらった木折坂から見る太平洋、いつか私も見られたらいいなあと思いました。でも、たぶん見ることはないような気がします。もう私の人生はあと何年残っているのやら、残りの歳月を考えたら、それだけで悲しくなります。

 そして、行きたいなら行けばいいけど、私の「行きたい」は適当な願望だから、そんなのは叶いません。

 それはわかっています。強い願望がなければ、私たちは何もできないなんて、もうずいぶん昔から学習してきたことです。だから、ぼんやりと思うだけではダメなんです。

 それをホイホイと仲間たちとクリアして、テレビの前にいる人たちに提供してくれる火野正平さんはたいしたものです。ちゃんと手紙も読んでくれるし、坂に登るために毎回あれこれ言いつつも苦労して登ってくれています。

 だから、私は感謝しつつ、絶対にこんなところに行けないなと思うのでした。



 私は、どちらかというとインドア派のオッチャンでした。もっと世の中の役に立つインドア派になりたいけれど、なかなかそういう心のゆとりがありません。

 反省して、もう寝ることにします。明日こそ、何かいいことできないかなあです。外を出歩きたいんです。お金はないから、とにかくやみくもに歩くだけでいいのだけれど……。 
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