伊真田孝司の自由研究室(出張所)

私・伊真田孝司のふとした疑問を「なんでだろう情報」として提供するダイジェストブログです。

奈良県が消えた時代(1)明治維新後、奈良は大阪府に属していた!? 【平城遷都1300年祭】

2009年12月02日 | Weblog
奈良が”なら”とよばれるようになったのは諸説あります。
平たんな地形が、ならされた土地というところから来たともいわれています。

奈良県という地名が生まれたのは、明治維新の「大政奉還」後、慶応4年。
新政府が大和のおさえとして「大和国鎮撫総督府」設置し、
後に「奈良県」と改めたのです。

明治維新の後、明治4年(1871)7月に「廃藩置県」が施行されると、藩と県の統廃合がすすめられることになります。
府県統合の政策によって、大和一国を統括する奈良県は、明治9年(1876)4月には、堺県と合併しました。
更に堺県は、大阪府に合併されます。

こうして、奈良は大阪府の傘下で存続されることになったのです。

明治14年、「奈良県再設置運動」が起こり、同20年になるまで奈良は、大和として大阪府に属していたことになります。

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ガンダムを超える奇跡!大仏開眼!―5―

2009年11月25日 | Weblog
鎮護国家思想の推進。
聖武天皇は、社会不安に対し、神頼みの政策を試みたのでした。
741年、国ごとに、国分寺を設ける。
743年、大仏造立の詔。
全国の地方有力者をはじめ、行基と
民の力をかりての大仏造立です。

当時、仏教は、国の管轄下にありました。
しかし国家に統制されていては、本来の仏教の理想である「民衆の救済」が成しえないというので、独自の行動をとる僧が現れるようになっていました。
この代表格が、行基でした。
このような行基のような僧の行いは、国家反逆、いわゆる邪法と等しく、弾圧されていました。

「大仏造立」という目的に、聖武天皇自らが、行基を説得し、ここに和解をしたのでした。
仏教に深い信仰をしていた光明皇后 。
この鎮護国家思想には、皇后が多大に影響していたといわれております。

大仏(盧舎那仏坐像)、聖武天皇が目指したのは、座った姿で16メートル(現在は15メートル)でした。
ガンダムが立ち上がった姿で18メートル。
16メートルの大仏が立ち上がったら、32メートルに及ぶといわれています。

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行基登場。世界初の黄金大仏を建立。―4―

2009年11月23日 | Weblog
742年、紫香楽宮にいたときのことでした。
聖武天皇がとった策、それが、大仏の建立でした。
「大仏建立の詔」をだされたのでした。

暗澹たる世相に光をもたらす。
ネガティブダウンな空気を一掃する超・ポジティブアップなイベントを思い立ったわけですね。

それが、大仏建立。

仏教の信仰によるカリスマ、遠い唐の国では、塔より高い大きな仏像があり、それが人々を見守っている。
それが、心の弱い人たちの励みとなり、また信仰を厚くしているのでした。
それは、お台場の等身大ガンダム、神戸の鉄人28号を超える効果があると思われたのでしょう。
それもただの大仏ではない。
全身に金をあしらい、世の中に希望の光を放つ、それこそ、世界初の大仏グッド!を目指していました。

745年。ようやく、平城京へ戻ってきます。
財政ではかなわぬのなら、豪族、そして民間の力を集めようと思いました。
それが「鎮護国家思想」。
つまり、国家事業として、全国から寄付を集め、様々な人々が関わり行われることを呼びかけられたのですね。

この国家イベントにかかせない人物がいます。
民間から厚く慕われていた僧がいました。
在野の僧・行基でした。

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呪われた都・平城京。権力闘争の果てに―3― 平城京跡地 奈良

2009年11月23日 | Weblog
平城京遷都、710年に完了したのでした。
それが、来年2010年から数えて1300年前の出来事でした。

「あをによし

 奈良の都は 咲く花のにおうがごとく 

 今盛りなり」

美しい都、平城京



ところが、720年、藤原不比等が亡くなると、「長屋王の変」が起こります。
藤原不比等の死後、息子である藤原四兄弟が政治の主権をとります。
天皇の後継ぎ問題で、長屋王と対立。
結果、長屋王の一族もろとも滅亡に追いやります。
しかし、長屋王のタタリか、天然痘が流行します。
藤原四兄弟をはじめ、聖武天皇を支えていた大勢の高級官僚たちが倒れてゆきます。
藤原氏は一時衰退の様相をみせます。

しかし・・・

不満を抱いたのが藤原四兄弟の一人、藤原広嗣(ひろつぐ)。
地位を落とされ、批判するが、九州は大宰府に左遷されます。
そこで、乱をおこします。

740年(天平12年)。「藤原広嗣の乱」です。

母、そして皇后と藤原の血をひく聖武天皇のとって、同族である広嗣の反乱は、衝撃であったのです。
乱は鎮圧され、広嗣は逃亡の末、捕縛、斬首となったのでした。

・・・ようやく授かった子を失い、

  長屋王の変、

  天然痘の流行、そして、
     政治の主導者を失い、

  同族の反乱、

          飢饉・・・

都は、タタリか、長屋王の呪いかと、噂でもちきりになります。
暗い時代がつづきます。

ある日、聖武天皇は、平城京を離れ、伊勢行幸へ出かけました。

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平城遷都1300年祭 物語 ―2― 平城京跡地 奈良

2009年11月22日 | Weblog
平城宮跡地から20分ほどの法華寺町の「法華寺」です。
聖武天皇の后こと、光明皇后ゆかりのお寺です。

民間出身の皇后の第一号の光明皇后。
日本最初の福祉を行ったのが、この光明皇后が開いた悲田院、施薬院といわれています。
悲田院は、身寄りのない子どもや年寄りの世話をしました。
施薬院は、貧しくて医師に診てもらえない者に治療を施します。

仏教に深い信仰をもった光明皇后。
皇族ではない、民間の出であり、権力をかさにきた卑しいものと陰ながら中傷されてきました。

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平城遷都1300年祭 物語 ―1― 平城京跡地 奈良

2009年11月22日 | Weblog
近鉄西大寺駅から歩いて10分ほどのところ、

町中におおきな、おおきな広場があります。
それが、世界遺産「平城京跡地」です。

町中を四角く切り取ったような平城京跡地。そのほぼ中央、朱雀門のよりを、近鉄電車が横切ります。
奈良、大和西大寺から、京都、大阪・三宮へとゆく道となります。

さて、平城京が藤原京から遷都したのが710年。
来年は節目となる1300年となります。
これを祝し平城遷都1300年祭が各地で催されます。

この平成の未曾有の不況において、なんとも華やかなことではないでしょうか。

「あをによし

 奈良の都は 咲く花のにおうがごとく 

 今盛りなり」

美しい平城京の姿をたたえた歌です。

しかし、その美しい平城京とは裏腹に、世の中は、政情不安、天変地異が相次ぎ、伝染病がはやり、人々の心は暗澹としていました。

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十人十色(3)

2009年05月08日 | Weblog
だけど、このドラさん、僕も苦手なんですよね。
彼らより下の立場の人と仕事をしていました。
ある部分の設計で、彼は悩んでいました。
10年以上前の古いシステムの仕様です。
方々にたずねまわったりしました。
その中に”ドラ”さんもいます。
しかし、回答を得ることができませんでした。
ガックリとうなだれ、壁にぶつかっていました。
結局、このシステムを扱っていた人は、フロアにいないのです。

ありとあらえる資料をかきあつめ、時間をかけて総合的に解析し、回答を得ました。
そのドラさんに、その報告にいったときでした。
ドラさん、驚いたことに、「ま、ぼくもしっていたんだけどね・・・・」
と、得意そうに言うのではないですか。
え・・・
私も、彼も耳をうたがいました。
ドラさん、知っていることを語り始めました。

ドラさんは、”自分”を好きな人らしく、
人が忙しくしているときにも関わらず、自分の話をしてきます。
どんな話だって?
どんなDVDをもっていとか、どこへ行ったことあるとか。
無視してても話しかけてきます。

わたしと一緒に仕事をしていた彼は、その後、色々なことを考えた結果、この会社を辞めていきました。
今でも親交はあります。
風のうわさによると、ドラさんは、まだ会社にいるようです。
この上司に、この部下か・・・・
わるい空気になっているな、この会社は。


「十人十色(3)」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年10月に掲載されました。
十人十色(3)」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_371.html


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ホームページ「ささら さら」設立

2009年05月07日 | Weblog
伊真田孝司です。
出張所、特別編です。

わたしの知人がホームページをつくりました。
ささら さら
URL:http://sasara-sara.com/
まだまだ、調整中、作成中ではありますが、
もし、お気に召しましたら、一度、お立ち寄りください。

主にアロマテラピーを紹介する内容となっています。
テーマは、「より快適な生活を送るため」
アロマテラピーの体験談として、伊真田も第一段として、寄稿させてもらいました。


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5月の伊真田です。

2009年05月06日 | Weblog
伊真田孝司です。
出張所特別編です。

しばらく、ご無沙汰していました。
SNSも、全く手つかずでした。
おいおいとあげていきます。


ゴールデンウィークもいよいよ終わりです。
いや、今週いっぱいとられている方もいますかな。
もしくは、永遠のゴールデンウィークを過ごしている方も・・・

近所のつつじも、まっさかりです。

こんごとも、伊真田孝司をよろしくおねがいします。

伊真田孝司の自由研究室」もよろしくお願いします。



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十人十色(2)

2009年05月06日 | Weblog
仕事の話をつづけています。
私には、信条があります。

・身内の悪口を平気で言うやつは信用できない。

自分の妻を、”おばはん”というやつ。
部下に悪いあだ名をつけて侮蔑するやつ。

愚痴で、身内の悪口をいってしまうのは仕方がないのです。
それは、なんとかしたいという気持ちのあらわれ・・・かな、と思っています。

ある会社の人と仕事をしていたときです。
肥っていて、仕事がうまくできない部下を、”ドラ”と呼んでいました。
体形がドラえもんと言いたいのでしょう。
日常の会話でも、
「”ドラ”はしょうがないな。あれはキモイからな”」とか言葉のはしはしにあげてきます。
私が、よその人間であるにもかかわらずです。
この人、キライになりましたね。
そんなにいやな部下なら、首にすればいいのに。
上司が関係のない人間に、自分の部下の悪口を日常会話のようにいうのは、いささか閉口します。

驚いたことに、この会社の支社長までが、
その人のことを”ドラ”と軽蔑していうのです。
会社ぐるみで、”ドラ”と呼んでいるようです。
愛称にしては、扱い方が洒落になってませんね。

(つづく)


「十人十色(2)」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年10月に掲載されました。
十人十色(2)」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_368.html

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十人十色(1)

2009年04月20日 | Weblog
ところで、私は、性格が原因かもしれませんが、仕事中は寡黙です。
誰とも話をしません。できません。
ある程度、区切りをつけたところでないと、人と話ができません。
役割柄、質問をされたりします。
それには、応じます。
嫌ではないですが、苦手です。
私の今の職場は、作業工程が”設計”段階であるためか、私と同年か、年上の人が多いです。
そのせいか、職場は、基本的に寡黙です。

若い人もポツポツいたのですが、どんどんやめていきました。
先日、営業をしているものと話をしました。
どうも今の若い子は、しゃべったりしながら和気あいあいとするのがいいと思う傾向にあるらしい。
そのため、寡黙な現場は、たえられないそうな。
なるほど・・・と思った。

前にいた現場では、私より10以上下の部下たちがいました。
和気あいあいとしゃべってましたね。
しかし、ある瞬間、瞬間では集中し、仕事を仕上げていました。

またあるとき、ある青年と話をしました。
私に年が近いのですが、彼は、私と違い、結構、若い子たちに好かれています。
それは、親しみやすく、話しかけやすいからのようです。

で、彼に聞きました。
君はよくしゃべるけど、よく仕事はこなしてるね。
よくそんなことができるね。
イヤミではなく、本当に好奇心でたずねました。

彼の返事は、私にとっては、斬新でした。
「しゃべりながら、今、悩んでいるところとかを整理しているんですよ。
整理ができて、解決しそうなら、相手がどう思おうが、会話はやめます。
解決したら、また、勝手に話題をふって、話しをします。
そのときは、次の壁にぶつかっているときです。」
「へー!」本気で感心しました。
「後、家にかえってテレビみながらも、仕事のことを考えてますね。
整理しているんですよ。」

それは、私にはできません。
私は、仕事をするときには仕事モードに切り替えます。
家に帰ったら、リラックスモードにします。
また、しゃべりながら、整理はできないですね。
他の人は、どうなんでしょう。
単に私が馬鹿で、私の処理能力スペックがシングルタスクしかこなせないだけかもしれませんが。

設計を詳細設計にするチームは、まだ若い20代前半からの人が多いです。
参加したばかりの青年から、設計について質問されました。
懇切丁寧に答えて、なにかわからなかったら、遠慮なく聞いておくれともいいました。
しかし、彼は、机についているときは、モニターを前に頭をかかえ、呪文のように、わからない、わからない・・・とつぶやくばかりでした。
そして、頻繁に席をあけていました。
気がつくと、いなくなっていました。

他に、私の席の近くにいる人が3人、やめていきました。
一人目は、いつも呪いを吐くように「わからない、わからない・・・」と繰り返していました。
二人目は、時々、煙草を吸いながら話しとかしてました。
「伊真田さん、よく客と話をしていますが、それで設計がすすみますか」と聞かれたことがありました。苦笑いで返します。
彼も、最後には自分のチームリーダーに、「わかりません」といって設計を放棄する宣言をしました。
そして、その月に去っていきました。
三人目は、いかにも若い感じの青年でした。
彼も、わからないなりに頑張っていました。
前向きに対処しているように思えましたが、先月の末にやめていきました。

多分、彼らそれぞれにはちゃんとした理由はあると思うのです。
体勢があやふうやだ、ルールがきちんと決まっていない、差し迫った状況である・・・と。
でも、それよりも、もしかすると、現場の雰囲気が悪かったのかなぁと思いました。
寡黙な状況が、彼らには耐えられなかったのかもしれません。
一人目が去った後、奇しくも、私が彼の設計を引き継ぐことになりました。
引き継ぎはしてないんですけどね。
彼の仕様書には、彼の怨念が込められていました。
”誰それの仕様書待ち”、”何々処理・未決定”
特大フォントでコメントがはいっていました。
ふと、ある設計書で、この一文がありました。

”・・・となるようだ。 by ひこにゃん”
思わずふきだす。
「こらこら・・・ごっついニーチャンが、なにをかいてるかね・・・」

私は、ひとりでこもったりするほうが性にあっているので、いいのですが。
それではたえれない人の方がおおいようです。

あなたは、どうですか。

「十人十色(1)」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年10月に掲載されました。
十人十色(1)」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_366.html


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O型 自分の説明書

2009年04月16日 | Weblog
私の血液型O型である。

よく人から、「らしい」とか、「典型的なO型人間だ」といわれる。
どうも雑な私の性格が、まわりにそういう心象を与えているらしい。
先日、紀伊国屋書店でふと入口で平積みされていた「O型 自分の説明書」なる本を手にした。
よくある血液型占いの類だろうと思いつつ、同じようにみている人が意外と熱心に、時に笑みを浮かべているので興味がひかれた。
血液型占いとは少々違うようであるが、いずれにしろ、4つの血液型に人を分類し判じるものであることには変わらない。
しかし、開いたページに思わず、ブッとなる。

・・・・・”会話の50%くらい擬音”

おお、あたっている。

全文を読む

「O型 自分の説明書」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年9月に掲載されました。
自分の説明書」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_130.html


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マクドナルド異聞

2009年04月14日 | Weblog
普通、マクドナルドを”マック”といいますよね。
関西ではマクドナルドを”マクド”といいます。
老いも若きも、マクドナルド行くときには、
”マクドいこーけっ”
”ええやんけ、マクドいったらんか”
”じゃーお昼はマクドだね”
”やったーマクドのハッピーセット!”

発音は、マク・ドぅって感じです。
マク↑ドぅ↓ってこと。
”ド”に力が入ります。
これは呼び方の違いというよりも、地方限定の言葉でしょうね。
つまり関西弁です。

ところで、マクドナルド限定のたまごっちキャラって、「まくどっち」というそうです。
・・・あ、関西弁だ。


「マクドナルド異聞」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年11月に掲載されました。
マクドナルド異聞」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_593.html


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春ですね。

2009年04月13日 | Weblog
寒気と暖気がいりまじり、空に雲がみだれ、風がつよく吹きます。
肌に凍みこむ冷たさから、ふと、からだをつつみこむような大気がおとずれます。
春ですね。

春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)季節を並べると、春が先頭になります。
その移り変わりを色であらわしたのが、次になります。

  ・青春
  ・朱夏
  ・白秋
  ・玄冬

陰陽五行に由来されるといわれております。
玄冬は”黒”を表します。
青春が年若い時代を指す、希望満ち溢れた意味で、それが、年々歳々、熟、往年を重ねていくいイメージですね。
まさしく春は木々、草花が芽吹き、長い冬眠をしていた動物たちが穴から出てきます。
また人間社会においても、卒業、入学、入社と物事の節目の時です。
自然界においても暦においても、春はすべてにおいて”はじまり”・門出を意味しているわけですね。

四季あふれるこの星で象徴的な状態ではないでしょうか。

全文を読む


「春ですね。」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2008年3月に掲載されました。
春ですね。」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_43.html


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その船にのれ(4)

2009年04月11日 | Weblog
1月6日、自民党の坂本総務政務官が、「年越し派遣村」を巡り、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」という失言に対し、撤回し謝罪した。
これについて、失言問題としてマスコミをにぎわせました。
確かに不適切な発言であり、なにもわざわざ言うことではないのではと、筆者も首をかしげました。
とはいえ、派遣社員でも、色々です。
やむにやまれず派遣業に身をやつす人もいます。
だけど、働くことにまじめになれない派遣社員もいることは確かです。

何かとキレる派遣社員。
そんな彼との出会いは、世間知らずの私には衝撃でした。

以前、会社の我が部署で派遣社員を増やして事業化を企画しました。
そんなときに数人のフリーランスを雇うこととなりました。
全員、20代半ばでした。
そのうちのひとりの青年がいました。

背丈が190センチと大きく、180センチの私を見下ろすような体躯です。
しかし彼の心は、おそろしく小さい。

全文を読む


「その船にのれ(4)」は、「伊真田孝司の自由研究室」
ブログ「なんでだろう」に、2009年1月に掲載されました。
その船にのれ(4)」「URL:http://labo-ss.info/blog/item_838.html


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