m o n o l o g u e

taddy // graphic designer / artist / poet

h u n g a r y (3)

2005-08-24 | journey


ハンガリーでは「二人のエルジェーベト」が今でも愛されてます。

「エルジェーベト」は英語の「エリザベス」にあたるハンガリー語名。
ちなみに「ジョン」は「ヤーノシュ」、「マシュー」は「マーチャーシュ」、「ピーター」は「ペーテル」、「アンドリュー」は「アンドラーシュ」、「ルイス」は「ラヨシュ」といった感じになります。

さて、「二人のエルジェーベト」の一人は、ハンガリーのアンドラーシュ王の娘でドイツの貴族にとついだ13世紀の「エルジェーベト」。

彼女は幼くして許婚としてとつぎますが、信仰篤く、貴族の身でありながら街中に出ていって貧しい人たちに施しをしたり、困っている人たちを助けていました。しかし夫ルートヴィッヒの家族はそれを好ましく思いません。夫が生きている間は彼が彼女をかばっていましたが、ルートヴィッヒが戦死すると、その後釜を狙った親族よってにエルジェーベトは追放され、子どもたちと一緒に路頭の生活を送ります。以前助けた人たちも領主の怒りに触れるのを恐れて彼女を助けようとしませんでしたが、ローマ教皇が仲介に入り、ルートヴィッヒとエルジェーベトの子が後継ぎと正式に認められます。それを見届けたエルジェーベトは、宮廷生活を好まず城から出て修道女として過ごし、持っている財産を投げ打って病院を立て、そこで自ら身寄りのない病人の世話をしました。しかし波乱万丈な人生の心労がたたって24歳という若さで亡くなります。

もう一人の「エルジェーベト」はオーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの后である19世紀の「エルジェーベト」。
ドイツ語では「エリザベート」。

彼女はその美貌でも有名ですが、同時に「じゃじゃ馬」で、当時としては型破りな生き方をした女性としても有名です。こちらはハンガリー人じゃなくてオーストリア人ですが、彼女はハンガリーをとても愛していて、それまで勉強嫌いでどんな言葉も身につけなかったにも関わらずハンガリー語をマスターしたり、グゥドゥッルーという街に自分の宮殿があり、ウィーンの宮廷生活を嫌ってよくハンガリーに滞在していました。また、皇后の身でありながらハンガリー独立闘争の士とのロマンスがあったりと、故ダイアナ妃とも似た感じのする女性です。貴族的特権生活を嫌い、弱い立場の人達に同情していた彼女は、皮肉にも訪問先のジュネーヴで無政府主義者のイタリア人に暗殺されてしまいます。

ハンガリーという国自体が「ヨーロッパの中のアジアの孤島」といわれているいわば「異端児」です。
なので、自分の身分に固執しない型破りな生き方をする人間が愛されるのかもしれませんね。

ちなみにブダペシュトにかかっている橋の一つに真っ白な橋があるんですが、この橋が「エルジェーベト橋」。
後者の「エルジェーベト」にちなんで命名されています。以前はその名に恥じないとても美しい橋だったみたいですが、現在の橋はシンプルすぎてちょっと味気なし(>_<)

■ (多分)かんたんなハンガリー語講座♪ 

・ Jo napot kivanok. (ヨー ナポット キヴァーノク) : こんにちわ。 (キヴァーノク無しでもOK。つけるとより丁寧。)
                                  ちなみに「jo (ヨー)」は日本語と同じで「良い」という意味!
・ Viszontlatasra. (ヴィソントラーターシュラ) : さようなら。
・ Koszonom szepen. (クスヌム セーペン) : どうもありがとうございます。(クスヌムだけでもOK。)
・ Szivesen. (スィヴェシェン) : どういたしまして。
・ Japan vagyok. (ヤパーン ヴァジョク) : 私は日本人です。
・ Nem beszel magyarul. (ネム ベセール マジャルル): 私はハンガリー語は話せません。.
・ Szeretlek! (セレトレク): 愛してます!
(ハンガリー語のアクセントは常に単語の最初の母音にあります。)

海外を旅するときは、少なくとも簡単な挨拶は現地の言葉で覚えていきましょー!
全然相手の接し方も変わってくるし、お邪魔させてもらってる側のマナーだし、そこから生まれてくる楽しさもあるんで!

taddy


 アクセスランキングに登録してみてます。クリックお願いします♪

h u n g a r y (2)

2005-08-23 | journey


僕がハンガリーと関わるようになったキッカケは、大学2年ころの夏休みの実家(福岡)です。かれこれ10年くらい前かな。

ユニバーシアード(=学生のオリンピック)が福岡で開催されて(ちょうどトルコのイズミルで閉会したばっかですね)、帰省中に通訳ボランティアとして参加しました。で、僕が担当したのがハンガリー選手団。当時まだハンガリー語は話せなかったから、英語での通訳。

団長さんとか選手団を統括する立場のみなさんはいい人ばかりでした。でも朝から酒飲んでました。しかも控え室に下着で現れたりしました。今でも名前を思い出します。ショム翁(一応「博士」)とラースロー氏。もう一人通訳ボランティアでレディーもおるんやからわきまえんかい!余談だけど今をときめく若かりしころの室伏選手にも選手村で会いました。剣ちゃん、室伏に似てるよね?

そこで一人のハンガリーの選手と仲良くなったんですよ。体操選手のZoltan(ゾルタン)。
他の選手は無愛想だったり、なんか普段は遊びほうけてるようなヤツらだったりだったんだけど、ゾルタンはものすごく性格がよくて日本にも興味示して英語もしゃべれたのですぐに意気投合しました。僕もハンガリー語勉強し出して、ゾルタンも日本語を勉強。日本語の飲み込みが早かった!

それからしばしハンガリーの魅力にはまって、かれこれ4回くらいはゾルタンの家に遊び行きました。

彼の家はペシュト側の都心からちょっと離れた中流の住宅街。
ペシュトって工業地帯でもあるんで、中心から離れるとすごーく寂れてて、いかにも「旧共産圏だすブニダーニャ!」って感じの無機質な雰囲気なんです。当時、両親+妹二人でくらしで、中流と言ってもかなり狭いアパート。しかも彼以外はだれも英語しゃべれない・・・。ってことで、れっつ・すぴーく・ハンガリー語♪昼間ゾルタンは子どもたちに体操教えてて不在だったんです。

サバイバルです。食べ物のことや簡単な会話くらいならなんとかなるにしても、ちょっとレベルアップした内容はピーンチ!「洗濯したいんですけどぉ~」なんていう生活臭いっぱいの言葉なんてフツー覚えないでしょ?でもマダムキラーな僕ちゃん♪おかーさま方のハートを掴むのはばっちしっすよ(- v -)/

ハンガリーで困ったのは、ハンガリー人にサラダを食べるという習慣がないってこと。なんと「サラダ=ピクルス」なんです!

 野菜が摂れない → 食物繊維が不足する → お通じが滞る( ゜∀゜ ) ♪

切実な問題です・・・。ただでさえ旅行中は環境の変化でう●こちゃんが滞るのに・・・。
で、そんな時に天使のように見えるのが「困ったときのアメリカン」♪そ、某マックやウェンディーズちゃん。いぇーす、おふこぉーす、もれなくサラダメニューありんすよ。アメリカばんざーい \(-_-)/

なもんで、ランチは街に出て行ってサラダ食べまくってました。でも店員さんに「またこいつ来やがったよ・・・( ´,_ゝ`)」みたいな目で見られてねー。
だってサラダ置いてるとこが少ないんだもん。しょーがないじゃんかよ(-_-#) 
お前たちもちゃんと野菜食えよ!(逆ギレ)
ってなわけでハンガリーに行く人は食物繊維のパウダーなんか持ってくことおすすめ。

明日もハンガリーの旅は続きます。(森本レオ風)

to be continued...

taddy


 アクセスランキングに登録してみてます。クリックお願いします♪

h u n g a r y (1)

2005-08-22 | journey


ネタが思いつかないんで、ぼつぼつ旅の話を始めまつ。

最初はどこからにしよっかなーと思ったけど、ハンガリーが書きやすいんで、とりあえずハンガリーから♪

正式名称はMagyarorszag(マジャルオルサーグ)。
「マジャル人(magyar)の国(orszag)」って意味です。「Hungary(ハンガリー)」という英語名は世界史でも出てきたフン族(民族大移動の中で出てきたアッティラとかいたでしょ)から来てるんだけど、「フン族=マジャル人」じゃないんですな、実は。

でもフン族もマジャル人もどっちもアジア系遊牧民なのはたしか。
ちなみに、フィンランド人(=フィン族)やエストニア人、ブルガリア人(=ブルガール族)もアジア系です。トルコ人もだよね。今はこれらのどこの国も混血が進んでるんで白人系の顔立ちだけど、やっぱどっか違う。元は僕たちと同じばりばりのモンゴロイドの顔してたはずなんです。

歴史的には9世紀ころまでにはアールパードという族長に率いられたマジャル人が今のハンガリーの土地に定住しますが、建国は11世紀。12世紀には一時世界に領土を拡大していたモンゴル軍の侵略を受けます。16世紀からトルコの支配を受け、18世紀になるとオーストリア・ハプスブルク家の領土に。第二次世界大戦ではドイツ、イタリア、日本と同じ枢軸国側に立っています。戦後は共産圏に組み入れられますが、もともとから独立気運の高い国なので、あまり共産化は成功しなかったみたいです。

さて、ここで思いつくままにちょっとハンガリー豆知識。

■ ハンガリー人の名前
ハンガリー人も名前は姓名の順番。
「Mr.」に当たる言葉も後に来ます。例えばMr. Smithだったら、Smith-urって感じ。日本語と同じでしょ?(^_^)
文法もほぼ日本語と同じ並び。ただ、目的語があるかないかで動詞の活用が2パターンあるのは頭痛の種です・・・。

■ 蒙古斑点
ハンガリー人の赤ちゃんにはアジア系であることを示すように、おしりに蒙古斑点があります。

■ 温泉
ハンガリーにはヨーロッパに珍しく「温泉文化」があります。温水プールと言ったほうがいいかもしんないけど。でも風呂好き。女性ならペディキュアもお勧め。とても安いみたい。

■ 文化の香り高い国
ハンガリー人って実はいろんなもの発明してんですよね。身近なもので例を出すとルービックキューブもハンガリー。イギリス以外でヨーロッパで一番最初に地下鉄を導入したのもハンガリー。文化・経済面でも優れてます。音楽家のリストもハンガリー人。未だに音楽家を目指す人はウィーンかハンガリーに留学します。アラニス・モリセットもハンガリー系カナダ人だな。投資家のジョージ・ソロスもハンガリー人。そしてノーベル賞受賞者はハンガリー人多いです。やっぱアジア系ってオツムのいいのかな?

■ 料理
ただ、食事は日本とは正反対。すっごく濃いです。ってのも豚油をふんだんに使うから。ハンガリー料理で有名なのはグヤーシュ(肉をパプリカで煮込んだシチュー)、ハラースレー(グヤーシュの魚バージョン)なんか。料理にはパプリカをたくさん使います(でも辛くない)。

■ ワイン
ハンガリーについて忘れてはいかんのがワインの名産地ってこと。
「Tokaj Aszu(トカイ・アスー)」という貴腐ワイン、サイコーでっす!かのフランス王ルイ14世が、「ワインの王様、王様のワイン」と呼んだと言われてます。マジうまい!(「貴腐」だから甘いです。)ハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアも自分の農園を持っていたほど。日本でも入手できるので是非お試しを。 焼酎もあって「Palinka(パーリンカ)」って言うんだけど、これはフルーツから作ります。有名なのは「Barack Palinka(バラツク・パーリンカ)」。杏で作った焼酎。すごくアルコール度が強いです。朝から飲んでるおっさんいます・・・。

さてさて、ハンガリーの首都はBudapestですね。
「ドナウ川の薔薇」とか「ドナウ川の真珠」などと呼ばれてて、とーっても美しい街並みです。「ブダペスト」と言ってるけど、ホントは「ブダペシュト」。ちなみにドナウ川をはさんで「ブダ」と「ペシュト」という街に分かれてます。「ブダ」側は王宮とか歴史のある高級住宅地。「ペシュト」側は主に商業の中心地。

両方の街はたくさんの橋で結ばれてますが、一番美しいのが「Lanc hid(ラーンツ・ヒド)」。「鎖の橋」という意味です。夜はライトアップされてまたびゅ~てぃふぉ~♪ラヴァーズにはほんとおすすめのスポット。http://www.hungarytabi.jp/

ブダの丘には王宮や古い教会があります。
マーチャーシュ教会は歴代の王が戴冠した教会だけど、中の装飾がとても独特。ヨーロッパ風というより中央アジア風のエキゾチックな感じです。この教会はトルコ支配時代はイスラムのモスクとして使用されました。マーチャーシュ教会の前には「漁夫の砦」と呼ばれるものがあって、ここからペシュト側の市街を見下ろせます。王宮は博物館になっています。ブダの丘はマストな観光スポットかな。

ペシュト側で有名なのは聖イシュトヴァーン教会。
「イシュトヴァーン」とは英語の「スティーヴン」と同じ。ここはハンガリーの建国王にして名君、聖イシュトヴァーン王の教会。彼は聖人君主で、彼の右の手は今でも腐敗をまのがれてて(さすがにかなりミイラ化してるけど)、今でも見ることができます。右の手のみが腐敗をまのがれているのは、右手は権力を示すんですが、彼がただしく国を治めた聖人だからといわれています。

ブダペシュトのショッピングストリートと言えばVac(ヴァーツ)通り。
でも、正直日本の地方の街より小規模かも・・・。あまりお買い物欲はそそられません。そんな中でもこれだけは買うべし!というお勧めは「Herend(ヘレンド)」の磁器。ホント美しい!すべて手描きの一点モノです。日本にも販売店があるし、デパートに入ってることもあるけど、現地で買うほうが断然安い。「ウィーンの薔薇」や「アポニ」という模様が個人的お気に入り。http://www.herend.co.jp/ 同じく磁器で「Zsolnay(ジョルナイ)」ってのも有名だけど、僕的にはイマイチ。

ちょっと長くなったので、次回どうやって僕がハンガリーを関わるようになったか等の続きを!

To be continued...

taddy


P.S. 一番上のデザインはハンガリーの国旗の色でっす。


 アクセスランキングに登録してみてます。クリックお願いします♪

j o u r n e y

2005-08-11 | journey


僕ちゃん、基本的に一箇所にずーっといることが出来ない人間です♪
カルシウム不足じゃありません。放浪癖があるみたい。

僕がこれまで旅した国は10カ国。
アメリカ、カナダ、フランス、スイス、ドイツ、オーストリア、イタリア、ハンガリー、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ。
旅好き人間としては訪問国数は決して多い方じゃないと思うけど、同じとこに何度も行っちゃうんでこんくらい。
一つの場所をじっくりと堪能するのが好きですねー。

旅のスタイルは基本的に一人旅派。
周囲に気兼ねする必要ないし、自分の身一つですべて済んじゃうし、より深く現地に溶け込めるから。
でも年取ったのかな、最近は親しい友人と旅の時間をゆったり共有するのが好きですね。一人旅とはまた違った得るものがあるし。

みんな信じてくれないんだけど、こう見えても学生の頃はバリバリのバックパッカー!
学生の頃なんて時間はあるけどお金がないから、じっくり旅するときも安く済ませないといけないでしょ?

そんな学生時代の一番の思い出は、ヨーロッパを一ヵ月半くらいかけてバックパックの旅をしたこと。
海外生活と言えば高校の頃に一年間アメリカ留学してたけど、それ以外に長期といえるのはこのバックパックの旅。
厳密にはたかが一ヵ月半だから「長期」とはいえないけど、とても密の濃い旅でした。

当時僕が設定したルートはこんな感じ。ある意味世界一周!
ローマ(イタリア) → フィレンツェ(イタリア) → ヴェネツィア(イタリア) → ウィーン(オーストリア) → ザルツブルク(オーストリア) → ミュンヘン(ドイツ) → ジュネーヴ(スイス) → リヨン(フランス) → パリ(フランス) → アメリカ
ヨーロッパって国境を越えるだけで、人種や言葉、文化がガラっと変わっちゃうんで面白いですよね。

ヨーロッパは基本的に国どうしが鉄道でつながってます。
で、「ユーレイルパス」という鉄道乗り放題パスがあるんですね。移動手段はこれ。何時間も掛けて列車に揺られていろんな国と都市をまわります。だから列車内でいろんな人との出会いもあったり(^_^) ロマンスまでは行かなかったけど、例えばウィーンからザルツブルクまで行く車中で知りあった女の子と文通を始めて、翌年から何度かリンツにある彼女の実家をお邪魔したりして家族のようにもてなしてくれました。

列車の旅って昼間ならいいんだけど、夜行列車に乗ったりすることもあるでしょ。夜行列車はスリがいたりして結構危険。寝るときも自分の荷物をしっかり抱きしめてとかないとヤバいんですね。同じコンパーメントに乗り合わせたアメリカ人夫婦と「共闘しようね!」といって一緒にがっちり荷物を固めて寝たり(^_^) でも早朝に列車がどこかの駅で停車したとき、窓を開けて吸い込むフレッシュな空気と、ターミナルから漂ってくるエスプレッソやパンの匂いにほっとした気分にさせられました。

宿は25歳以下が利用できる安宿「ユースホステル」。たしか一泊2,000円くらいかな。ほんとにボロっちーところから貴族の邸宅を改築したとこまでいろんなバラエティがあって、世界中から旅する若者が集ってルームシェアするんで、そこで知り合った連中と街に繰り出したり次の都市まで一緒に列車に乗るとかしましたね。懐かしいなー。みんな今は立派な大人だけど、それぞれの国で何してんだろ?

経済的&時間的に許すなら、誰しも一度は海外一人旅を経験して欲しいんですよね。
思いがけないトラブルや危険な目にも会う可能性あるけどそれも現実。そしてそれ以上に人の優しさに触れます。大多数が最初で最後の出会いなんだけど、それなのに知らない土地で親切にしてくれる人たち。彼らにお返しできない分、日々出会う人にお返ししたいなって思います。旅を通して人間って素晴らしいなーと実感するし、一人旅したことある人間ならこんな素晴らしい人たちと殺しあう戦争なんてバカらしいと思うはず。「井の中の蛙」状態になってると自分の世界だけになっちゃうから自分の利権だけに固執してしまう気がするんです。それに日本という国を、そして自分自身を見つめ直す良い機会にもなりますよ。

昔は「アメリカかぶれ」だったり「ヨーロッパかぶれ」だったけど、最近は「やっぱ日本が一番」って思うようになってきたかなっ(^_^)

ってなわけで、これからネタ作りのためにも今まで行った国をちょくちょく紹介して行きマッチョ(^_^)/
質問なんかあればいつでもどーぞ m( _ )m

taddy


 アクセスランキングに登録してみてます。クリックお願いします♪