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三菱東京UFJ銀行、原点回帰「ともに世界へ」 (ナゴヤの名企業)

2016年10月12日 09時14分10秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08229530R11C16A0L91000/?dg=1&nf=1

三菱東京UFJ銀行、原点回帰「ともに世界へ」
(ナゴヤの名企業)
2016/10/12 7:00日本経済新聞 電子版

 名古屋市の伏見地区で40階建ての高層ビルの建設が進む。名古屋の老舗劇場、御園座の新ビルで2018年4月に開業する予定だ。だが今から5年ほど前には、この再開発の光景は誰も想像できていなかった。

御園座共同ビル計画地で行われた地鎮祭(15年3月、名古屋市中区)

 「御園座の再建だ」。三菱東京UFJ銀行の中部駐在の前副頭取、小笠原剛(63)は5月の退任会見で、在任4年間の思い出を問われてこう答えた。13年3月期まで7期連続で最終赤字に陥った御園座。経済合理性を考えれば存続は難しいが、「地域全体で支えれば必ず立ち直る」と再生の旗振り役を買って出た。

 融資などに慎重な姿勢から時に「動きが鈍い」ともいわれる三菱UFJ。最近は「地元回帰の姿勢を強めている」と地方銀行が警戒するほど、中部での動きを活発化させている。実際、持ち株会社の三菱UFJフィナンシャル・グループ社長の平野信行(64)はこう話す。「中部は発祥の地。原点は大事にしなければならない」

乱歩が「ジゴマ」を見に通った御園座(松山昌平氏提供)

 同行の源流の1つは、名古屋市に本店があった東海銀行だ。1941年、戦時下の1県1行主義のもと、尾張徳川家などの愛知銀行、平民資本の名古屋銀行、松坂屋創業家の伊藤銀行が合流した、まさに「我が家の銀行」として発足した。

 一宮や半田、岡崎などの支店を地元では今も「本店」と呼ぶ人もいる。その存在感は大きく、県内の預金シェアは5割、中堅以上の取引先企業の4割超でメーンバンクを務め、中部の貸出金シェアは約2割を握る。

 だが90年代のバブル崩壊後に不良債権問題に悩み、再編の荒波に飲み込まれる。2001年、三和など2行と合併してUFJホールディングスになる。UFJ銀行は本店を名古屋に置いたが、地元企業が懸念した「名古屋離れ」が起きる。

 まず他地域より低い「名古屋金利」の是正が始まった。行内の格付けを取引先に開示してまで貸出金利の引き上げに動き、取引先の経営を苦しめた。合併前に150近くあった愛知県内の店舗を5年たらずで約30閉鎖。我が家の銀行の変節ぶりに、地元は裏切られたとの印象を強めた。

13年8月当時のシャッターが閉まったままの劇場(名古屋市中区)

 バブルの後始末は銀行本位ともいわれる状況で行われた。ぎくしゃくした銀行と取引先の関係を元に戻すことは各銀行の課題だった。とりわけ、地域との関係が濃密な中部での、三菱UFJの信頼復元の取り組みはその象徴ともいえた。

 当時、総合企画室長だった平野は「中部でより多くのことができるようにした」と振り返る。為替取引に精通した旧東京銀行出身者を名古屋に異動させたほか、富裕層向けオフィスを開設するなど手を打った。トヨタ自動車の首脳らが「中部企業を大切にしてほしい」と同行に申し入れ、中部駐在の副頭取を置くことを確約し、地元の権限を手厚くした。

 2年後に起きたリーマン・ショックでは、「東京の銀行」ゆえに意思決定が遅くなるとの疑心暗鬼が中部で渦巻いた。だが中部駐在副頭取の山名毅彦(60)は「取引先の役に立つ出番は多かった」と話す。例えばデンソーの借入金のうち同行グループの比率は53%と10年間で約20ポイント伸び、特にリーマン後や東日本大震災の際に上昇した。

 それでも三菱UFJのある幹部は「十数年前のわだかまりが消えていないのは分かっている。信頼の復元が我々の仕事だ」と話す。そのためには単に「我が家の銀行」に先祖返りするのでなく、取引先との新たな関係の構築がカギになる。その1つが中部企業の海外展開の支援だ。

 今年夏、自動車用アルミ部材の美濃工業(岐阜県中津川市)がメキシコ中部で工場の建設を始めた。同社のメーンバンクは地元地銀だが、工場建設では国際協力銀行の融資の保証分を含め、三菱UFJが半分を貸し出した。「市場調査や治安など信頼できる情報を提供してくれた」のが決め手だった。

 トヨタの世界戦略にも食らいつく。同社が14年に米国拠点をテキサス州ダラスに集約することを決めると、当時の副頭取だった小笠原は東京に拠点の拡充を依頼した。15年秋に兼務者を増やし、18年3月末には常駐者を10人程度に増やす。

 実は80年代、トヨタとの取引で存在感を高めていたのは旧東京銀行だった。海外展開するトヨタのニーズに、メーンバンクの旧東海銀は応えられなくなっていた。

 その東京銀をルーツにもつ東京三菱銀との再編で、海外ネットワークは旧東海銀の約2倍の約50カ国・地域に拡大。中部での海外向け貸出残高は16年3月末で2兆3200億円と、4年で2倍強に増え、同行全体の伸びを上回る。

 もう一つの新たな役割は、地元に医療・介護や農業など新たな成長の芽を育てることだ。

 名古屋市で9月に開所した通所介護施設。広い空間にトレーニング設備や浴室を設けるなど、業界の常識を覆す施設として注目を集める。運営する牧野隆広(48)は地元のIT企業、エイチームの非常勤取締役だ。施設自体は赤字の見通しだが、10年来の付き合いがある牧野の計画を評価して三菱UFJが十数億円の融資を申し出た。

 ローカルとグローバルが混在する中部。多様な特性を備えた地域での信頼回復の取り組みは、銀行と地域の関係を占うヒントになる。(敬称略)

名古屋支えた「五摂家」 存在感なお、地元期待

 福岡の「七社会」や広島の「二葉会」など、地方には地元経済界を引っ張る有力企業の集まりがある。名古屋でその地位にあったのが旧東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)など5社を総称した「五摂家」だ。
 名古屋で開催されるイベントなどを経済界で支援する際、地域の生活インフラを支える5社の役員や部長級が集まり、どのように協力するか情報交換をしていた。集まりは「五社会」といい、戦後、このメンバーは五摂家と呼ばれるようになる。財界の要職を持ち回りで担う様を、公家の名門になぞらえた形だ。
 しかし近年の企業再編の大波に東海銀と松坂屋(現J・フロントリテイリング)が飲み込まれ、社名は変わり、本社も名古屋から離れた。それでも5社の存在感は大きく、三菱東京UFJ銀も名古屋駐在の副頭取を常駐させるなどして地元の期待に応えている。
 中部でいま勢いがあるのは、世界最大の自動車メーカーになったトヨタ自動車と、リニア中央新幹線を建設中の東海旅客鉄道(JR東海)だ。中部電を加えた3社が「新御三家」と呼ばれ、名古屋の新しい顔と認められることも多い。
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