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在庫管理に腐心 パン屋の発注、本屋がヒントに 「タビオ」創業者の靴下一徹人生(第5回)

2016年09月18日 23時18分55秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO07124340S6A910C1000000/?n_cid=DSTPCS001

在庫管理に腐心 パン屋の発注、本屋がヒントに
「タビオ」創業者の靴下一徹人生(第5回)
(1/3ページ)2016/9/18 6:30日本経済新聞 電子版

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 創業当初は資金もなく、取引してくれる工場を見つけるのにも苦労しました。しかし、工場にも小売りにも喜んでいただける靴下作りを丁稚時代に徹底して仕込まれたおかげで、数年ほど過ぎると、大阪を中心に商売が少しずつ拡大していきました。

 当時、取引先のお店を回り、在庫を確認したうえで、売れた分を追加するという営業スタイルでした。売れた物をすぐに補充するのでよく売れます。それまでは売り切れ御免だった婦人服店で、売れ筋のフォローを試み、成果に結び付けていたのです。

■高知県の店をどうフォローするか

越智 直正(おち・なおまさ) 1939年愛媛県生まれ。中学卒業後、大阪の靴下問屋に丁稚奉公。68年に独立し、ダンソックス(現タビオ)を創業。靴下の卸売りを始める。84年に「靴下屋」1号店をオープン。メード・イン・ジャパンにこだわり、その品質の高さと独自の生産・販売管理システムで、タビオを靴下のトップブランドに育て上げる。2000年大証2部に上場。08年から会長(写真:太田未来子)

 そんなある日、高知県で婦人服専門店を経営しているという徳弘英一さんが取引をしたいと訪ねてきました。当時、事務所はたったの2坪。裏に13坪の倉庫があっただけという小さな会社にわざわざ来てくれました。「越智さん、お前さんのところの靴下、ごっつ売れとるらしいな。わしにも分けてくれ」と言うのです。

 まだ資金繰りに四苦八苦していた時期だったので、一銭でも欲しいというのが本音でしたが、この話を僕は断りました。高知まで行く電車賃がなかったからです。

 当時、営業担当者が「梅田まで行きます」と言うたら、「梅田までの地下鉄代、往復なんぼや」と、ぴったりの金額を渡しとった時分ですよ。

 当時は週に2回ぐらい、店舗まで行って売れ筋や在庫状況をこまめに確認していました。靴下は全色均等には売れません。ある色は売れ、ある色は残る。だから売れ筋を追加しなければ残品だらけになってしまいます。

 徳弘さんは「毎月、現金で買いに来るから商売をしてほしい」とまで言ってくれましたが、僕は承知しませんでした。「なんぼ現金でも嫌です。自分が一生懸命作った靴下が店頭に売れ残っとるのを想像しただけでもぞっとする。靴下がかわいそうでんがな」と返すと、徳弘さんは「現金で買うと言って、売らんと言ったのはおまんが初めてだ」と驚くやらあきれるやらしていましたわ。

 帰り際、徳弘さんはタクシーに乗り込むときに、「何とか商売をする方法を考えてほしい。お互いに四国同士やないか。おまはんが気が済む方法で分けてくれや」と言うたんです。

 そのときドアを閉めながら僕はつい「分かりました」と返事をしてしまった。僕は長い丁稚生活で「約束したら殺されても守れ」とたたき込まれました。こうなったら死に物狂いで考えないとあきません。どこかに頭のええ人が考えたいい方法がないかと、必死になってハウツーものの本を片っ端から読みました。でもないんですわ。これはえらい約束をしてもうたなと思いました。

■パンの発注に居合わせ、ひらめく

 高知県まで行かずに在庫状況が分かる方法はないか。ある日、たばこを買いに近くの店に行くと、奥でおばさんが何か手元の表を見ながら、「××が2、○○が4、△△が3……」と電話で数字を言っているではありませんか。僕は電撃のごとくパーンとひらめきました。もうたばこどころじゃない。電話が終わったら店の中に飛び込み、「おばちゃん、それ見せて」と頼んだんです。その場で表を見せてもらうと、一番左側にあんパンやメロンパンという品番が書いてあって、その横に注文の日付と必要な個数が書いてあった。商品別にその日に売れた数を電話で連絡し、売れた分だけ工場からパンが配送される仕組みです。

 これにヒントを得て、店頭に残っている商品の数を品番別に週に一度、電話で教えてもらう「ユニットコントロールシステム」を考え出しました。毎週、それを電話で申告してもらえれば、距離が離れていても店頭の在庫を把握できるし、細かいフォローもできる。売れた商品の数を連絡するパン屋の発想を逆転して、在庫を教えてもらうことにしました。当たり前のことのようですが、当時はどこもやっていませんでした。

 徳弘さんと約束してからすでに半年が過ぎていました。パンの注文をヒントに考えた方法の説明書きと一緒に商品を送りました。徳弘さんが「商品が着いたけど、何のことや」と聞くんですわ。「何言うてまんねん。考えてくれって言うたやないか」と答えたら、「おまん、あれからずっとうちのこと考えてくれとったんか」と電話口で泣いていましたわ。「俺とこの5店舗全店で売らせてもらう。友達も紹介したる」と言い、本当に口を利いてくれました。これをきっかけに、遠く離れた地域の方々との取引が一気に拡大し、売り上げも急速に伸びました。

■書籍売り上げカードがヒントに

 ユニットコントロールシステムで売り上げが伸び、店に足を運ぶ出張旅費が捻出できるようになりました。当時、取扱店は約170店まで増えていました。この頃は月に一回、営業担当者が在庫調べに行っていました。

 その日僕は在庫調べのため、三愛の金沢店に出向きました。そしたら店長が「越智さん、ちょっと話があるねん」と声を掛けてきた。「20分ほど待っとくんなはれ。在庫調べはすぐ終わるから」と返事をしたんです。そしたら「在庫やったら、うちの女の子に調べさせるよ」と言うので、そうでっかと店長と喫茶店に行きました。2時間くらい話して店に戻ったら、女の子がまだ在庫を調べているのです。

 僕はびっくりして「今日は忙しかったんですか」と聞きました。「いいえ」と言う。僕はもう頭がパニックになりました。「途中で何かほかの仕事をしよったんですか」と聞くと、「いいえ」と言う。それで僕は一番恐れていたことを聞いたんです。「いつもこんなに時間かかってまんのか」と聞いたら、「はい」と言う。

 僕はバットで頭をたたかれたような衝撃を受けました。これはえらいことになった。みんなから褒めてもろうて、いい気になっていた。でもお得意さんにこれだけ負担がかかっていたら、このシステムは絶対続かんと思うたんです。

 それで僕は在庫調べしてもらわなくてもいい方法はないかと考えた。それからというもの僕は時間があったら本を読んでいました。それなのに在庫調べをしなくても、全国にあるお得意さんの在庫が分かる方法はどこにも書いてない。

 今度、本を買うてあかんかったら、根本的に考え直さないかんと思いました。うちの近くの本屋さんに行き、僕はやけっぱちで、5、6冊の本を買うたんです。ほな、店の主人が二つ折りの短冊のようなカードを取りましたんや。「おっちゃん、何やっとるねん。これ、わしが買うた本じゃないか、何で抜くんや」と文句をつけたら、これは「本屋のもんや。商品の一部やないよ」と言う。このときにカードシステムを考えついたんです。僕は「もう分かったから、必要ない」と本を返そうと思ったくらい。50メートルぐらいの距離を本を抱え、うちまで走って帰りましたわ。

 これは書籍売り上げカード(スリップ)というもので、書籍のデータが書き込まれていて販売時にレジで抜き取ります。このカードで売り上げの管理や商品の補充注文ができるというわけです。

 本と同じように、靴下のゴム口部分に品番とカラー番号を打った管理カードを付けて、売るときにちぎり、週に1回こちらに送り返してもらうことにしたのです。これで戻ってきたカードを集計すれば、何がなんぼ売れたかがすぐ分かります。

 この方法が結構話題になって、当時業界紙で「小物雑貨究極の管理法」という特集記事になりました。それからは毎日のように日本全国の専門店から新規取引の申し込みがきたんですよ。

■またも在庫調べに行き詰まる

 ただこれも早々に行き詰まってしまいました。おたくは月曜日、おたくは火曜日と、カードを送ってもらう日を割り振ってはいましたが、なんせカードがようけ戻ってきます。社員は朝から晩までカードの整理に追われて、ほかの仕事が何もできんのです。その当時、北海道から沖縄まで取引先が1400店近くありましたから。ひとまずカード整理専門のパートさんを4人ぐらい採用してしのいでいました。

 たまたま少しだけ早く家に帰った晩、歌番組を何の気なしに見よったんです。そしてらアナウンサーが「今週の第3位、ただ今からコンピューターに聞きます」と言って、万年筆みたいなものでコンピューターの画面をぽっと押さえたんです。僕はひっくり返りました。それだけで歌の題名や歌手の名前が出た。今週の得票数を押したら、数字が出まんねん。コンピューターというのは神さんみたいやな、これをうちの会社で使えば、「A店の売り上げは何万円、売れ筋はこの商品で何足売れた……」と出るはずやと思ったんです。

 翌朝、僕は社員にこう言いました。「夕べえらいもんを見つけた。これから我が社はコンピューターでやります。もう何軒、何店舗になっても大丈夫や。今はおまえらに苦労をかけとるけど、これで安心や」と宣言したんです。

■コンピューターはどこで買えるのか

 ところが、コンピューターがどこで売っているのかさえ知らなかった。社員も誰も知れへん。あちこち聞き回っていたら、知り合いが大阪市内でコンピューターショーがあると教えてくれ、それを聞いて僕は横っ飛びで走りましたんや。

 IBMとかNECとかの担当者に「あんた方のコンピューターで在庫は分かりまっか」と聞いたら、「分かります」って言いまんねん。「説明してくれまへんか」と言うと、パンフレットを渡される。見てもちんぷんかんぷん。全部のブースに行ったけど、みんな「パンフレットを持って帰ってくれ」と言って、誰も説明してくれへん。こっちは本気で買いに来とんのに、何でこんな粗末に扱われるのかと思いました。

 途中でトイレに行って鏡を見て気づいた。僕は首にタオルを巻いたランニング姿やったんよ。こんな格好しとるのは僕だけでんがな。ほかのお客さんはみんな背広を着てまんのに。「かっこ悪う」と思うて、トイレの前にあった東芝の小さいブースに行って、「兄ちゃん、お前のとこのコンピューターで在庫は分かるか」って聞いたら「分かります」と答えたからね。「僕はこういうもんや。適当に見繕って明日、会社にコンピューターを持ってきてくれ」って言うたんよ。何かしつこく質問してきたけど、「もうよろし。お前に任せるわ」といって帰りましたんや。

今でも、日本一麦わら帽子の似合う経営者と言われている

 明くる日、兄ちゃんが約束通り会社に来た。でもコンピューターを提げてきていない。僕はここでカチンときましてん。そのうえ僕に「商品点数は何点ぐらいありますか」「得意先は何軒ありますか」と聞いてくる。「そんなの企業秘密の最たるもんじゃ、何でお前に言わないかんのじゃ。第一なんでコンピューターを持ってこんのか」と怒りました。「それでは機種選定ができない。それにソフトが必要です」と抜かす。「僕が見たのはテレビみたいなやつや。そんなものは要らん」と突っぱねたら、「ソフトがなかったら動かない」と言うの。「東芝は遅れとるんちゃうか、わしをばかにしたらいかんぞ。あれは電気で動くはずや」と言い返した。

 でも「どこのコンピューターもソフトがなかったら動かないんです」と繰り返すからね、「ソフトがどうしても要るのやったら、わしはお前んところで買わへん。雪印か明治にする」と声を張り上げた。そしたら兄ちゃんがね、ふらっと立ち上がって帰ってしもたの。待ってくれと言うとんのに。

 困ったものやと思っていたら、翌日おっさんが来ましたんや。またコンピューターを提げてきていない。それで「社長、雪印さんか明治さんからソフトをお買いになると聞いたのですが、懇意な方がいらっしゃるんですか」と聞くんよ。「ほんなこと心配するな。近所の林のおばちゃんとこで売っとる。あのおばちゃんに口を利いてもらったら一発や」と自信満々で答えた。そしたらおっさんがやっぱりという顔をして、「ソフトと申しますのはソフトクリームとは違いますので」と言いましたんや。これ、実話やで。

 僕はソフトクリームのほかにソフトがあるって知らんかったんです。「一体どないなものですか」と聞いたら、おっさんが英語で説明する。「おっちゃんな、僕は(当時会社があった大阪市)平野区ではアラン・ドロンと呼ばれとるけど、実は日本人や。日本語で説明してくれ」と頼みました。おっさんは、あわあわしながら東芝の社員やいうのに日本語ができないようで、「当社の常務が詳しいので、私どもの会社まで来てほしい」と言うんです。

 その後1週間くらいたって、東芝に行きました。恰幅のええ常務が出てきました。白板にまず「入力」って書きましたわ。その後5つぐらい何か日本語で書いた後、常務が白板にへばりついてぴくりともしませんのや。僕はたまらず「常務、頑張っておくんなはれ」って励ました。でも「常務、落ち着いてください」って、僕が声を掛ければ掛けるほど焦ってまんねん。ついに「せっかくお越しいただきましたが、勉強不足で今日のところはこれ以上説明できませんので、リポートを提出させてもらいます」と言われてね。僕は「常務、しっかり勉強しとくなはれや」と、その日は帰りましたわ。

■ヒントは身近になんぼでもある

 まあそんなこんなでコンピューターを導入しました。生涯忘れんけどね、東芝からシステム担当で今井君という子が来ましたんや。「何かデータが要るなら何を見てもいい。ええか、今井君、僕には聞くなよ。自分で探せよ。僕がやりたいのはこういうことや。あとはお前が考えてくれ」と指示したのに、それでも僕に質問してくるもんやから、「今井君、会社の前に電柱があるやろう。あそこで聞いて来い」と言うたんです。「あの電柱には何かありますのか」と聞くから、「あれは電気関係やから、わしよりは詳しいはずや」と答えましたわ。それから1年ちょっとかかって、おかげさんで店と工場と本社をつなぐネットワークシステムができましたんや。

 あるとき、当時の通産省の課長さんが取材に来て「どういうふうにしてお考えになったのですか」と聞くからね、「あれは風呂の中で考えましたんや」と言うと、「もう少し詳しく説明してもらえませんか」と食い下がるの。「大分昔のことやからはっきり覚えてまへんけど、掛け湯を3杯ぐらいしましたかな。で、湯船に入ってこれくらい漬かっていたかな」と言ったら、それ以上の質問はなかったですわ。

 花を見ても映画を観ても、散歩していても、自分の人生や職業に結びつくヒントがあります。常に問題を解決する気構えがあれば、自然に見えてくるもの。タビオ飛躍の源泉になった販売システムは、タバコを買いに行って見つけました。カードシステムも本屋で見つけた。システム化はテレビの歌謡番組にヒントがありました。真剣になれば、商売のヒントは身近になんぼでもあるんですわ。

[『靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓』を基に再構成]
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