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開け、「三菱村」 再起の2017年へ

2016年12月31日 17時48分48秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO10917050Q6A221C1I10000/?dg=1

開け、「三菱村」 再起の2017年へ
「Disruption 断絶を超えて」特別編
(1/3ページ)2016/12/31 12:00日本経済新聞 電子版

 日本経済新聞では2017年1月1日、変革の大波への挑戦を描く新年企画「Disruption 断絶を超えて」をスタートします。Disruptionとは、粉々に打ち砕くほどの激変です。技術革新やグローバリゼーションの歩みは速まるばかり。明日は今日とは全く別の常識が支配していてもおかしくありません。日経電子版は新聞の紙面よりも早く関連テーマのルポルタージュ、インタビュー記事などを先行公開していきます。1回目は、日本を代表する企業集団、三菱グループの苦闘と再起の物語です。

 社外はおろか、社内との交流もほとんどない。そんな孤高の集団が変わろうとしている。130年の歴史を持つ三菱重工業の長崎造船所(長崎市)。造船を祖業とする三菱重工にあって、最も格上の事業所とされる。

■不振のシンボル、最先端の研究所へ

 「他の会社も巻き込んだ造船技術の研究所を作ろう」――。長崎造船所の発案で、こんな構想が水面下で進み始めた。ライバルであるはずの造船各社、顧客の海運会社、そして大学にも参加を促す。いわばオープンイノベーションの場をつくろうという試みだ。

三菱重工が2016年3月、クルーズ会社に引き渡した大型客船

 三菱重工の造船の技術は「世界最高峰」と称賛されてきた。造船業界で進んだ再編を尻目に、自前主義にこだわった。特に難しい船種をこなす長崎造船所は、他の事業所との人事交流もほとんどなく、技術を内部に閉じ込めたままだった。

 このタイミングでなぜ門戸を開くのか。その背景には、宮永俊一社長の強い危機感がある。

 「高いプライド、それゆえの閉鎖性があった」

 2016年秋、宮永社長は不振が続く造船事業のてこ入れ策を発表し、改革への姿勢を示した。

 ターゲットに据えたのが、歴代社長を数多く輩出してきた長崎造船所だ。設計ミスから大型クルーズ船の完成が遅れ、建造費が膨張。この2年で2500億円を超す損失を計上した。2016年4~9月期に最終赤字に転落するきっかけとなった、不振のシンボルでもある。

 トップに指弾された長崎造船所は、交流の拠点となる研究所を設けて外にノウハウを求める道を選んだ。新型船の開発や今までにない建造の手法を結集する。伝統や格にこだわらず、知恵を持つ企業や人に教えを請う。

■グループ首脳OB「第2の財閥解体も」

 内にこもったままではいられない。もはやプライドを捨て、外部の人材や技術から学び、自らの競争力に変えよう。そうでなければ、「負の連鎖」は断ち切れない。

 それは、三菱東京UFJ銀行、三菱商事とともに三菱グループの「御三家」と呼ばれる三菱重工だけの問題ではない。日本最強の企業集団でもある三菱グループの多くが抱える病巣でもある。

 三菱グループは一つ一つの企業に業界トップクラスの実力がある。結束力も他の財閥系グループより強い。グループ内で結集すれば、どんな難局でも乗りきれたのかもしれない。

 しかし、これからはどうだろう。デジタル革命が進む製造業にせよ、フィンテックが台頭する金融にせよ、変化の波はかつてなく大きいのだ。

 「身内の論理で動いていて、対応できるのか。いっそのこと、『第2の財閥解体』を自ら選んだ方がいいのではないか」

 こんな意見を隠さないグループ企業の首脳OBもいる。事実、一部で株式の持ち合い解消が進んでいたり、新しい世代の経営層からは「グループ頼みなんて、もはやナンセンス」という声も聞くことが増えた。

■燃費不正問題、続く苦悩

 三菱グループだけでは手に負えない問題は、すでに噴出している。2016年春に発覚した燃費不正の不祥事が社会問題化し、日産自動車のカルロス・ゴーン社長に救いの手を求めた三菱自動車である。

 2016年11月下旬、7カ月ぶりに夜間の生産を再開した水島製作所(岡山県倉敷市)。軽自動車を組み立てる作業を久しぶりにこなせば、従業員たちに落ち着きが戻ってもおかしくはない。

三菱自動車の水島製作所では7カ月ぶりに夜間生産を再開した(岡山県倉敷市)

 しかし、夜間生産を終えて家路につく従業員の表情は笑顔ばかりではなかった。「ゴーンさんがやってきて、三菱自動車は変わりますか?」と聞いてみると、組み立てラインの40歳の男性作業員が答えてくれた。

 「燃費不正でお客さんの信頼を再び裏切ったんですよ。信頼回復はまだ遠いと思っています」。

 三菱自動車は燃費不正問題の影響で2017年3月期に約2400億円の最終赤字に陥る見通し。2000年にはダイムラークライスラー(当時)から、2005年には三菱グループから、と2度も支援を受けたが、社内の風通しの悪さ、意思疎通の不足という体質は変わっていなかった。

■頼った「グループ外の目」

 日産にとって、三菱自動車への出資は失敗できない決断だ。ゴーン氏自身、三菱自動車の会長に就任。日産が面倒をみるための布陣はつくった。まずは「外部の目」から現場改革を進めようとしている。

 「皆さんの考えを聞きたい」

 2016年12月の臨時株主総会で筆頭株主となる以前から、日産出身の山下光彦副社長は毎週のように現場に足を運び、耳を傾ける。ほんの小さな違和感も、見過ごしていた強みも探し出そうとしているのだ。

 三菱自動車の協力会社で組織する協同組合「ウイングバレイ」の昼田真三理事長(ヒルタ工業会長)は、瀬戸際にたつ三菱自動車の状況をチャンスと捉える。

 「(部品会社に対して)日産と三菱自動車には長期的な視点で取引してほしい」

 日産と信頼が築ければ、三菱自動車の5倍以上の売上高がある日産とも取引する道が開ける。変化の大波は、うまく乗れば成長の推進力にもなるからだ。そんな絶好の機会を今度こそ三菱自動車は生かせるのだろうか。

■「丸の内@ミャンマー」のキーマン

 三菱重工と同じく御三家企業の三菱商事。資源バブルの崩壊で2016年3月期には戦後初の赤字という屈辱を味わったが、立ち止まってはいない。そして、その構想の大きさもしぼんではいない。

 「もう一つの『丸の内』をつくる」。2017年にとりかかる大規模プロジェクトの一つがミャンマーの開発。三菱地所や地元資本と組み、ホテルなどが入る複合施設を600億円超かけ、ヤンゴン市内に建設する。

三菱商事のヤンゴン駐在事務所のマウン・マウン・ティン副所長。36年間、「一度も三菱商事を辞めようと思ったことはない」

 現地駐在事務所で働くマウン・マウン・ティン副所長の勤務歴は36年。「丸の内プロジェクト」の本格始動を前に満面の笑みを浮かべる。

 「10年前ならヤンゴンに高層ビル群が出現するとは想像できなかった」。

 1988年の国軍のクーデター、1997年の米国の経済制裁発動……。最貧国に転がり落ちた。ミャンマー事業は苦難の連続だったが、マウン・マウン・ティン副所長は会社を辞めようと思ったことはない。

 入社時は社会主義政権。当時としては外資、なかでも車や電気製品で知られる三菱は別格の就職先だった。そして、大事な人材として扱ってくれた。

■ダイナミズムを再び

 三菱商事の歴代社長のミャンマー訪問が決まると、必ず国内情勢の分析を求められる。ヤンゴン駐在事務所全体で取り組む「丸の内」をつくる知恵袋の役割も担っている。

 アジアの新興市場で「スリーダイヤ」に憧れた現地人が、いまや事業を進めるために欠かせない人材に育っている。日本人だけに頼らなくていい時代はとっくの昔に到来しているのだ。

 外部から再成長へのダイナミズムを取り込み、再生への道を走って行けるのか。その道は、決して平たんではない。

 三菱グループの姿は「ニッポン株式会社」の縮図でもある。2017年、その再生への苦闘は我々にとっても見逃せないドラマになる。

(篤田聡志、花井悠希、ヤンゴン=松井基一)
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