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波乱の欧州統合 英離脱の底流、戦後連綿と

2016年09月18日 14時19分11秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO07391030X10C16A9TZG000/?dg=1

波乱の欧州統合 英離脱の底流、戦後連綿と
2016/9/18 3:30日本経済新聞 電子版

 第2次大戦後、欧州は統合を深化させてきた。その困難な作業は行きつ戻りつしながらも、独仏を核とする政治指導者の粘り強い意志を支えに途絶えることはなかった。だが戦後70年あまりを経て統合への求心力は、にわかにあせてきた。決定打になったのが今年6月の英国の国民投票である。(欧州総局長 大林尚)

 国民投票で英有権者は欧州連合(EU)から抜ける道を選んだ。この選択を多くの国は世界を揺るがす椿事(ちんじ)と受け止めた。だが戦後史をたどると英国は常に欧州とつかず離れずの関係を保ってきた。英国がグローバル化に終止符を打つと考えるのは早計だ。

 国民投票のキャンペーンが白熱していた5月半ば。離脱派のボリス・ジョンソン保守党下院議員(前ロンドン市長、のちに外相)はサンデー・テレグラフ紙の取材でこんな見方を披露した。「ナポレオンやヒトラーは欧州を制覇しようとして悲劇に終わった。EUは別のやり方で超大国の形成を模索しているが、同じ運命をたどることになろう」

■過去にも国民投票

 奇妙なことに英国で発言を問題視する空気は強くなかった。ヒトラーに限らず、スペイン無敵艦隊など「国を脅かす災いは大陸からくる」と刷り込まれた英国人は少なくない。EUの官僚統制を皮肉ったジョンソン発言は、かえって人びとの共感を呼び覚ました。

 英政府が欧州統合への参加の是非を問うた国民投票は、実は2度目だ。初回は67対33で残留派が勝利した1975年6月である。

 民の力を引き出す経済運営に転換したヒース保守党政権は73年、成長持続を狙い欧州共同体(EC)に参加した。だが第1次石油危機による景気後退で、74年の総選挙で敗北。労働党政権が国民投票に踏み切る。興味深いのは労働、保守の両党とも残留派、離脱派双方を抱えていた事実だ。労働党にはEC加盟が国内雇用を脅かすと警戒する議員が、保守党には欧州懐疑派の議員が少なからずいた。

 キャンペーンは党派を超えて展開された。残留を訴える「欧州の中の英国」と離脱を訴える「国民投票運動」が争う図式だ(細谷雄一編「イギリスとヨーロッパ」)。今年の国民投票も似た面があった。投票後に首相に就き、離脱交渉を指揮するメイ氏は残留派と目されていたし、コービン労働党党首は党の方針に反して離脱側に肩入れした。

■「中」でなく「共に」

 事ほどさように英国は欧州との距離の測り方に試行錯誤してきた。チャーチルは次の語録を残している。

 「われわれは欧州と共にある(with Europe)が、欧州の英国(of Europe)ではない」。大戦前、新聞に寄せた一節を51年の対仏首脳会談でも持ち出した。

 この精神を受け継ぎ、政策に反映させたのが79年に首相に就いたサッチャーだ。当初は親欧州の立場だったが、ミッテラン仏社会党政権への反感もあって欧州統合と一線を画した。農業国フランスを利するECの共通農業政策を批判し、欧州理事会で再三「英国のお金を返して」と唱えた。

 仏蔵相としてミッテランを支えたドロール欧州委員長との確執が折に触れ表面化した。88年のサッチャーの演説から引く。「フランスはフランスとして、スペインはスペインとして、英国は英国として、独自の慣習、伝統、主体を保っているからこそより強くなる」。衝撃を受けたドロール氏は翌日、EC本部に出勤する気力を失った(同書)。

 サッチャーは一方でレーガン大統領の米国、大英帝国時代の植民地で構成する英連邦の国・地域、さらには日本と、経済、安全保障の両面で関係を強めた。英米の特別な関係はこの時代に強固になった。ジョンソン外相やキャメロン前首相ら保守党の中枢を担ってきた人材が、大なり小なりサッチャーの薫陶を受けた世代である点は見逃せない。

 足元の英経済は好調だ。中国を含む世界各国との間で貿易を拡大させ、自国に恩恵をもたらす人とお金は貪欲に呼び寄せる。主要7カ国(G7)の中で高い成長を達成した背景には、サッチャー流のサービス経済化の徹底がある。

 このようなしたたかさは通貨政策にも共通する。独仏主導による通貨統合の取り組みは99年、決済通貨としてのユーロの誕生につながり、3年後に実際にユーロ紙幣と硬貨が登場した。

 英国はユーロを使っていないが、ユーロ圏に加わる機運がなかったわけではない。90年10月、2国間の通貨変動を一定幅に収める為替相場メカニズム(ERM)に参加。2年後、ジョージ・ソロス氏率いるヘッジファンドに英ポンドの猛烈な売り浴びせに遭う。市場介入に精根尽きたイングランド銀行は公定歩合を1日に2度、計5%上げる捨て身の防戦に出たが、ついに敗退。英国はERMを抜けた。これが通貨統合への不参加を貫く原点になった。

 2009年秋に表面化したユーロ危機に際し、英経済が深手を負わずに済んだのはユーロ圏外という立ち位置が幸いした。欧州一の金融センター、ロンドンのシティーは「EU離脱後も優位性は不変だ」(エバンズ名誉市長)と強気だ。

 域内の国境審査を省き、人が自由に行き来する欧州シェンゲン圏にも英国は入っていない。EUの一角として経済の利を追求しながら、政治力学を働かせて欧州とドーバー海峡で一線を引く。一方の大陸側ではいくつかの国で反EU政党の伸長が目立つ。欧州統合は明らかな転換点にある。

 メイ首相が新設したEU離脱相デービス氏は言う。「離脱は欧州との関係の終わりではない。新しい関係の始まりだ」。そのとき、EUとの間でモノやサービス、お金のやり取りを滞らせぬよう交渉を導くのが、グローバル国家、英国の世界に対する責務であろう。(肩書は当時)
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