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命懸け密航、「ロヒンギャ」青年が夢見る新天地 タイ南部ルポ

2016年09月19日 14時53分26秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO07134910S6A910C1000000/?dg=1

命懸け密航、「ロヒンギャ」青年が夢見る新天地
タイ南部ルポ
(1/3ページ)2016/9/19 6:30日本経済新聞 電子版
タイ ミャンマー

 ミャンマーのイスラム教徒少数民族「ロヒンギャ」が、東南アジア各国をまたぐ人身売買の犠牲になっていたことが発覚して1年半近くがたつ。故郷での差別から脱し、新天地での暮らしを手に入れるはずの逃避行は、飢えや売買組織による虐待と隣り合わせの危険な旅だった。故郷を離れたロヒンギャに帰る場所はない。昨年、タイ南部で出会った2人のロヒンギャ青年のその後を追った。

迫害を逃れ難民となったミャンマーのロヒンギャ族のイスラム教徒ら(2015年、インドネシア沖)=AP

 6月24日、タイのプラユット首相はミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相とバンコクで共同会見した。スー・チー氏のタイ訪問はミャンマーの新政権発足後初めて。2人の首脳は隣国関係の新たなスタートを強調した。

■市民権なきイスラム教徒少数民族

 親しさの演出にタイ側は気を回した。スー・チー氏の2日間の滞在中、タイでタブーになった言葉がある。「ロヒンギャ」だ。ミャンマー政府は彼らに市民権を与えておらず、「ロヒンギャ」を名乗ることも認めていない。彼らは多数派の仏教徒による厳しい差別の対象になってきた。

約3年前から入院する病院で、歩く練習を始めた少数民族「ロヒンギャ」のザマ・アフマドさん(6月27日、タイ南部のソンクラー県)=浅原敬一郎撮影

 数日後、バンコクから南へ800キロメートル離れたマレーシアとの国境の町パダンベザールの病院で、ロヒンギャの男性が懸命に歩く練習をしていた。金属製の支援具を支えにしながら、ゆっくり進む。下半身にピンクの布を巻いただけで上半身は裸だ。手の指にまひが残っていて、支援具をつかむのも大変そうだ。

 彼、ザマ・アフマドさんに初めて出会ったのは昨年5月だった。当時の彼はやせ細り、ベッドに寝たきりだった。声をかけてもほとんど反応がなかった。衰弱し、ただ天井を見上げて毎日を過ごしているように見えた。

 だが、1年という時間が彼を変えた。支援具につかまりながら廊下を進む彼の瞳には希望の光が宿っている。トイレにも自分で行けるようになった。入院から約3年たつ。一時20キログラムほどだった体重は45キロまで戻った。

 「少し体調は良くなった気がする。指がうまく動かないので、食事や歯磨きはできないんだ」とザマさんは話す。彼を勇気づけたのは携帯電話でつながった母親や妻だ。ロヒンギャが多いミャンマー西部ラカイン州にいる。ザマ氏は母親からも歩く練習をするように言われているのだという。

 彼は昨年話そうとしなかった境遇を語り始めた。多数派の仏教徒による放火などで10万人以上のロヒンギャが家を失った2012年の民族衝突後、密航船に乗りこんだ。自宅も焼け落ち、未来がないと感じたという。「船には1000人ぐらい乗っていた」。目的地はイスラム教徒が多いマレーシアだった。

 タイに着いたザマさんの身に何が起こったのか、彼の記憶は定かではない。はっきりしているのは、3年ほど前、彼はパダンベザールの道ばたに瀕死(ひんし)の状態で倒れていたということだ。幸いにも発見されて病院に担ぎ込まれ、治療を受ける機会を得た。

 ロヒンギャの大規模な密航が国際社会の注目を集めたのは昨年4月末だった。パダンベザールに近い熱帯ジャングルの中に、数百人のロヒンギャを監禁していたとみられるキャンプが見つかったのがきっかけだ。キャンプ脇にはロヒンギャとみられる30ほどの遺体が埋められた集団墓地もあった。

 キャンプ跡を昨年訪れたとき、山中には異様な光景が広がっていた。急な斜面に粗末なテント小屋が並び、地面には飲食物の包装紙やペットボトルが散乱していた。大勢の人が住んでいたことを示す異臭が漂っていた。

■人身売買組織が介在、餓死者相次ぐ

 密航に国をまたがる人身売買組織が介在していたことが判明した。組織は勧誘、誘拐などの手段でロヒンギャやバングラデシュ人を大型の密航船に乗せ、アンダマン海沿いのタイ南部ラノーン周辺で上陸させていた。

 タイに着くと、陸路で山中のキャンプに移動した。家族や親類が組織に1人当たり4万~10万バーツ(12万~30万円)の身代金を払った者だけがマレーシアへの越境を許された。キャンプでは最低限の水や食料しか与えられず、人々が次々と餓死した。組織の暴力で殺害された人もいたとみられている。

昨年5月、入院中のロヒンギャの男性、ソロット・アラムさん(右)とベッドに横たわるザマ・アフマドさん(タイ南部のソンクラー県)=小林健撮影

 タイ当局が摘発に乗り出すと、人身売買組織はアンダマン海上の密航船を次々と放棄した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、一時5000人ものロヒンギャらが行き場を失って漂流し、東南アジアを揺るがす人道危機に発展した。

 昨年初めてザマさんに会ったとき、彼には同じ20歳代半ばのロヒンギャの仲間がいた。彼、ソロット・アラムさんは当時、アミーンと名乗った。その3週間ほど前にキャンプから救出され、骨と皮だけの姿で入院していた。

 ラカイン州で一家12人で暮らしていた彼は父親の知り合いの誘いで密航船に乗った。500人近くが共同生活していたキャンプで3カ月半を過ごした。「周りで50人が死んだ。大半は餓死だった」。病床で「母が亡くなる夢を見るんだ」と涙を流した。

 今回病院を訪れたとき、ソロットさんの姿はもうなかった。ベッドはどこかへしまわれていた。彼の身に起きたことが、懸命のリハビリに励むザマさんのもうひとつの心の支えになっている。

 ソロットさんはいま、パダンベザールの病院から1万5000キロ離れた米国の首都ワシントンにいる。体調が回復した後、UNHCRから難民認定を受けた彼を米国が受け入れた。「体に気をつけて、もっと歩く練習をするんだよ」。彼はこうザマさんに言い残し、5カ月ほど前に新天地に旅立った。

■同室の若者の米移住を励みに

 病院の関係者によると、この後、ザマさんは見違えるようにリハビリに取り組むようになったという。

 ソロットさんに電話で話を聞けた。米国に到着後3カ月間英語を勉強し、2カ月ほど前に自動車部品の工場で働き始めた。月1300ドルほど稼ぎ、一部をバングラデシュ経由で故郷の家族に送っている。「ハウ・アー・ユー?」と問うと「アイ・アム・ファイン」と覚えたての英語で答えてくれた。

 「着いたばかりの時は経験したことのない寒さに驚いたが、この地に来られて幸せだ」と彼はうれしそうに語った。ソーシャルメディアで彼の写真を受け取った。1年前の彼とは別人に見えるほど肉付きが良く、いま暮らす町で見つけたとみられる高級車「キャデラック」の前でポーズしていた。

 ザマさんの行く末がソロットさんと同じになるかどうかは分からない。UNHCRタイ事務所のラチャコーン・スラバクディ氏によると、13年から今年5月末までに191人のロヒンギャが米国に移住した。7月中旬現在、先の見えないままタイ各地の収容施設で暮らすロヒンギャはなお342人にのぼる。

 移住は狭き門だ。パダンベザールからほど近いサダオに、タイ警察の入国管理局が運営する拘留施設がある。一階のすべての窓には鉄格子がはめられ、有刺鉄線が建物を取り囲む。ここにもロヒンギャが収容され、外界と隔絶された生活を余儀なくされている。

 タイ政府による人身売買組織の摘発で密航者は大幅に減ったが、命懸けの旅に出る人々がいなくなる保証はない。タイに住むロヒンギャの団体ロヒンギャ・タイランド・グループのモハマド・サベール会長は「ロヒンギャは今もリスクを取ってでも脱出したいと願っている。ミャンマーでひどい扱いを受けているからだ」と話す。

 ザマさんとソロットさんはそれぞれの新たな一歩を踏み出した。だが、ミャンマーに残る宗教対立という根っこの問題を解決しない限り、推定100万人のロヒンギャに希望の光は差さない。

(タイ南部パダンベザールで、小谷洋司)
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