kzunoguchi

趣味の範囲で…園芸・沖釣り・漢方・医食同源の投稿をします…業務はCX・225指数・FX Pro. …

俺たちはどこへ行けばいいんだ 築地の嘆き

2016年10月17日 09時13分25秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO08351130U6A011C1000000/?dg=1

俺たちはどこへ行けばいいんだ 築地の嘆き
(1/3ページ)2016/10/17 3:30日本経済新聞 電子版

 11月に予定されていた移転が延期された築地市場(東京・中央)。移転先の豊洲市場(同・江東)で建物の地下に盛り土をしなかった問題をめぐり、市場開設者の東京都で行政、政治の混乱が続く。引っ越しする当事者の市場関係者は途方に暮れている。

■移転中止なら…放浪者だ

 「豊洲への移転なんてあり得ない!」。10月上旬、水産仲卸の業者団体、東京魚市場卸協同組合(東卸)が組合員向けに開いた移転延期の説明会は荒れた。8月末に東京都知事の小池百合子(64)の移転延期決定以降、個別の仲卸業者が説明を受けるのは初めて。多くの参加者が土壌汚染への不安を訴え、涙を流す人もいた。

 それぞれが経営者の仲卸には様々な考えがある。市場移転をめぐる混乱に、不満の声が目立ち始めている。

 「会場内での録音機器使用は禁止する」。説明会の前にはこう記された文書が組合員に配られた。これまでに東卸が開いた非公開の会合の音声が外部に流出しており、混乱に拍車がかかることを懸念したためだ。東卸執行部に不満を持つ組合員が外部に音声を持ち出したとの見方が出ている。緊張感が高まる中でも説明会の音声はすぐに漏れ出し、テレビのワイドショーで取り上げられた。

何度も再整備計画が浮上しては消え、2001年に移転が決まった(築地市場)

 説明会では、豊洲への移転を中止して築地市場の再整備を求める声も出た。東卸理事長の伊藤淳一(63)は豊洲市場への不安を理解しつつも、再整備は不可能と断言する。「もし移転が中止になれば我々は放浪者になる」

 築地市場は1935年に開場した。開設当初は主に列車と船で魚を市場に運んでいたが、戦後は徐々に物流の主体が自動車に移る。自動車配送向けにつくられていない築地市場をどうするのか、東京都や市場の関係者は長年議論を重ねてきた。

 その道のりは曲がりくねっている。1970年代には、現在は主に青果を扱う大田市場(東京・大田)に移転する計画が持ち上がるも頓挫し、1986年に築地での再整備を決める。

 しかし一部では、商売をしながら再整備を進めることに懸念が強く、工事は遅々として進まなかった。ある関係者は1990年代に進められた築地市場の再整備を「水産仲卸売り場では仮囲いすらつくれなかった」と振り返る。一度は決定し工事にも着手、勝どき門付近には7階建ての立体駐車場まで完成した。それでも築地市場の再整備は実現しなかった。

勝どき門駐車場は1990年代に築地の再整備を進めた際に建てられた

 2001年には市場関係者の要望を受けて方針を転換、第7次東京都卸売市場整備計画で築地市場を豊洲へ移すことが決まった。その後も09年に都議会第1党の民主党(当時)が築地の再整備を主張、都議会が特別委員会を設置するなど混乱は続いた。

 変更につぐ変更に、市場関係者は振り回されてきた。水産卸会社の東都水産は1970~80年代に議論された大田への市場移転計画を受け、移転予定地近くに社宅を建てた。同社の幹部は「結局今となっては意味がなかった」と笑う。

■大田へ「避難」する業者も

 現在は移転延期の後始末に必死だ。水産物を加工販売するホウスイは、豊洲市場に大規模な冷凍庫を建設した。広い庫内を冷やすのに時間がかかるため、8月末に移転延期が決まる前にすでに稼働し始め現在も動き続けている。同社は「スイッチを切れば結露が大量発生して建物に損害が出るため、もう電源を落とせない」と説明する。

 築地と豊洲の混乱を避け、一部の水産仲卸は大田市場に拠点を構えることを検討する。大田市場のある関係者は「水産の場所は余っていると聞いていたが、急に埋まってしまった」と話す。

築地市場の移転は長い経緯を経て決まった
1935年 築地市場開場
1972年 第1次計画で築地市場の機能を大井市場(現在の大田市場)へ移す方針が示される
1982年 第3次計画で大井市場の建設を決定
1985年 築地市場の水産業界が大井市場への移転に反対する決起集会を築地の本願寺で開催
1986年 第4次計画で築地市場の再整備を決定
2001年 第7次計画で豊洲地区への移転を決定
2009年 民主党(当時)の意向で都議会に特別委員会を設置し築地市場の再整備を再検討
2016年 8月 小池百合子が都知事に当選、移転の延期を表明
9月 豊洲市場の建物の下に盛り土がないことが判明
11月 従来の築地市場閉場、豊洲市場開場予定
注)表中の「計画」は「東京都卸売市場整備計画」をさす

 世界中から観光客が訪れる市場内の飲食店にも混乱は広がる。東京中央卸売市場飲食業協同組合理事長で、喫茶店「センリ軒」を営む川島進一(79)は「すでに豊洲市場で厨房の設備を作ってしまった店も多い。どうすればいいのか」と戸惑いを隠せない。

 雇用の問題も深刻だ。移転を契機に解雇、採用するはずだった人員をどうすればいいのか。水産卸の中央魚類は「移転後は廃止予定だった社員食堂の従業員に勤め続けるよう頼んだが、新たな移転時期が定まらずいつまで働けるか分からないので引き留めにくい」と打ち明ける。

 次々と起こる目の前の問題への対処に追われる一方で、築地市場で商売を営む人々が都庁の混乱を見る目は冷ややかだ。本来、築地市場は食品流通のための場所で、行政、政治のいざこざの舞台ではない。今日も世界中から大量の魚や野菜が入荷され、売り買いされている。

 それなのに、都は現場のことを考える余裕がない。築地市場の問題なのに市場で働く流通業者は蚊帳の外。都庁や都議会の紛糾を横目に、こう感じる人は多い。「都には早くこちらを向いてほしい」――。築地市場協会副会長の泉未紀夫(67)はため息をつく。

■8月以前には戻れない

 先行きにも不透明感が強まっている。築地市場内には立場の異なる多くの業者が集まる。主要な業界団体が豊洲移転で一致するまでには長い時間がかかった。移転の延期で一度崩れたバランスを再び取り戻すのは容易ではない。

東卸の伊藤淳一理事長は「600弱ある仲卸業者は一枚岩ではない」と話す

 中でも、水産仲卸業界は難しい調整を迫られそうだ。移転に積極的な伊藤が業界団体、東卸の理事長に就任したのは2013年。それまでは移転に慎重な姿勢を示す人物が理事長を務めた。他業界が移転の意志を固め、豊洲市場の建物の設計について都に希望を伝えるなど具体的な準備を進める中で、東卸は後れをとった。12年にはこうした現状に仲卸業者の意見は割れ、危機感を抱いた一部の仲卸は当時の理事長に解職要求を突きつけた。

 伊藤は「現在も一枚岩ではない」と話す。仲卸業者の数は600弱。多くの主体がいる中でやっと作り上げた移転への流れは、移転予定日の2カ月前でせき止められた。

 「本当はこのまま築地にいたい」と言いつつ移転準備を進めていた業者も多かったが、移転延期で豊洲への反感を強めている。少しずつ進んできたのに、10年前の状況に逆戻りしてしまった――。市場では水産仲卸の状況についてこんな声も出ている。今後新しい移転予定が決まったとしても、8月の移転延期決定以前と同じとはいかないようだ。

■移転、困難の歴史

 これまでも、市場の移転は常に困難に直面してきた。築地市場の前身は江戸時代から東京都中央区日本橋にあった魚市場とされる。1923年の関東大震災で日本橋の市場は焼け野原となり、使用できなくなる。その後港区芝浦周辺での仮住まいを経て、市場設置主体の東京市(現在の東京都区部)が海軍から築地の土地を借り受け暫定的に市場を設置したまま現在に至る。

現在の築地市場への移転も、関東大震災でやっと実現した

 日本橋時代を知る人は多くないが、取扱量の増加に対応して日本橋からの移転が検討される中、地震で市場が壊滅的被害を受けたことでやっと決断したと伝えられる。当初は築地市場への批判もあり、築地で落ち着くまで一筋縄ではいかなかったようだ。

 1989年に誕生した日本一の青果卸売市場、大田市場も開設時には苦労した。現在の秋葉原駅(東京・千代田)周辺にあった神田市場などを引き継いだ大田市場。一部の青果仲卸・小売りは神田から大田への移転を拒否、大田市場開場後1年がたっても10社が旧神田市場での営業を強行していた。

 移転を目前に控えて築地で始まった混乱。あと少しで抜け出せる生みの苦しみなのか、それとも長い混迷の始まりなのか――。1年先も見通せず、行くあては定まらない。

=敬称略

(山田彩未)
ジャンル:
きいて!きいて!
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 新潟知事選、政府・与党に痛... | トップ | 【秋冬限定商品】大黒杵もち... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。