経済中心に書いてます!

趣味の範囲で…園芸・沖釣り・漢方・医食同源の投稿をします…業務はCX・225指数・FX Pro. …

豊田通商 トヨタの先兵、未開の地をゆく(ナゴヤの名企業)

2017年02月24日 11時28分52秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO13286730T20C17A2940M00/?dg=1

豊田通商 トヨタの先兵、未開の地をゆく(ナゴヤの名企業)
2017/2/24 7:01日本経済新聞 電子版

 トヨタ自動車グループの豊田通商は「本籍地トヨタ、現住所商社」を任じ、トヨタの自動車生産の先兵役として未開の海外市場を次々と開拓してきた。

■アフリカ市場で存在感

豊田産業の株主総会議事録(名古屋市中村区)

 「今後も発展のために力を貸してほしい」。ケニアの首都ナイロビで昨年8月末、大統領のウフル・ケニヤッタ(55)が豊田通商社長の加留部淳(63)を笑顔で迎えた。豊通は2015年にケニアの総発電容量の2割を賄う地熱発電を始めたほか、肥料事業や医療データの整備も進める。

 トヨタ自動車の16年のアフリカでの新車販売は18万台強と、世界のわずか2%。その地で豊通は車の流通網を築きつつ、医療品卸やビールなど事業の幅を広げる。加留部は「難しい市場で汗をかき、現地の人脈と信頼ができれば、将来のトヨタの生産拠点の競争力にもつながる」と先兵役を自任する。

 豊通の16年3月期の連結売上高は8兆円強で、自動車関連では世界173カ国にネットワークを持つ。金属や物流、機械、半導体、食料も手掛ける。「本籍地トヨタ、現住所商社」を称し、トヨタグループの進出が難しいエリアを多様な事業で耕してきた。

 ルーツは豊田自動織機が1936年に設立した「トヨタ金融」だ。豊田喜一郎が“販売の神様”神谷正太郎の提案を受け、日本初の月賦販売の金融会社として創業した。だが波乱の時代が続く。まず日中戦争が始まり、金融の規制で役割を果たせなくなる。

 戦時中はトヨタグループの持ち株会社になり、42年に社名を「豊田産業」に変えた。それも戦後の財閥解体で、47年9月には解散命令を受ける。それを見越した動きが、黒い板に古紙をとじた豊田産業の「取締役會決議録綴」にある。

 「諸機械並ニ部分品、金属製品、木工品、薬品其他商品ノ販売――」。46年9月6日の会議事録には、事業を追加した定款の変更が記され、社長の豊田利三郎の押印がある。豊田家の大番頭だった岡本藤次郎がGHQと交渉し、この商事部門を独立させて「日新通商」が誕生。社長に岡本が就き、56年に社名を豊田通商に変えた。

 59年、支援していた二輪車メーカーの倒産を機に自らも経営危機に陥る。資本金の7~8倍の負債を抱え、トヨタが資材の取引窓口を回し、危機をしのいだ。特に鉄鋼の扱いで商社の基盤ができ、成長に転じた。

 その恩返しが「三河モンロー主義」とも呼ばれていたトヨタの急速な海外展開の露払いだ。

■「面倒なこと、すべてやります」

 88年にトヨタが単独で初めて稼働した米ケンタッキー工場。豊通で北米担当だった蓑輪信之(63)らは次々と新事業を創出した。在庫がかさむ特殊鋼の加工、手間のかかるホイール組み立て、アルミ溶湯などを請け負い「モノを右から左では見向きもされない」(蓑輪)と生産性に貢献した。

 中国でもトヨタが99年に小型バス、2002年に小型車の生産を始める前、デンソーなど10社以上の部品メーカーの進出を豊通が支えた。「面倒なことはすべてやります」。当時、天津事務所にいた永島渡也(54)はこう約束し、用地や光熱費の交渉、合弁相手の紹介、給食サービスまで一切を手助けした。

 いま問われているのは新たな役割の創造だ。トヨタグループのグローバル化が進み、豊通の力を借りるケースは減る。

 「グローバルでナンバーワンになれ」。加留部は4月に発足する半導体商社の社長、青木厚(55)に使命を与える。子会社2社が統合し、売上高で国内首位になる。10~20年後の自動車業界を見据えた時、自動運転やコネクテッドカーが新たな車の競争力になるとみて、電子デバイスの領域に経営資源を注ぐ。

 この世界では売上高3兆円の米アヴネットなどが日本でも攻勢をかけ、競争は激しい。それでも「トヨタの仕事で終わっていたら、逆にトヨタのためにならない」と加留部。次の時代への種まきの質がグループ全体の競争力も左右する。(敬称略)

 

■豊田通商の加留部淳社長に聞く「現場で1歩先んじて汗をかく」

豊田通商、加留部淳社長

 ――日本の商社の中で豊田通商の特徴は何でしょう。

 「トヨタグループなら当たり前だが、『現地現物現実』を大事にする。商社としては珍しい。米国駐在だった1980年ごろ、三洋電機のキャッシュレジスターの輸出を担当した。代理店の商売を譲り受ける時、ニューヨークの倉庫に在庫を引き取りに行った。倉庫内はぐちゃぐちゃで、いくら数えても台帳と合わない。ユダヤ人の代理店のおじさんが『持って帰って数えてみろ』と。自社の倉庫できれいに並べて数えたら1台たりとも違わず驚いた。菓子折りを持って行って『あなたが正しかった』と言うと、おじさんが笑って『俺は自分の金で商売をやっている。おまえは会社の金でやってるだろう』と言われた。今でも鮮明に覚えている。在庫確認を業者に任せたり、1000~2000ドルぐらいの差なら損で落としてもいいかなと思ったりしていたら、この勉強はなかった。現場主義が豊通として大事な文化だと思う」

 ――トヨタグループの中で金融、持ち株会社、商社と役割が変遷してきました。変わらない役割は。

 「トヨタができない分野を1歩先んじて、トヨタの理念を持ちつつ実業をこなすのが役割だ。例えば自動車販売ではトヨタがアフリカに拠点を設けて売ることは難しい。我々の先輩が先駆者になり、世界中の小さい市場やリスクのある地域で汗をかいてきた歴史がある。インフラがない地域では港湾や道路を作る手伝いもして、自動車以外の仕事で勉強したり、人脈ができたりし、未知の市場の露払いをしたい。アフリカでは現在、地熱発電、ビール工場、肥料工場などを始めているが、今の点がいずれ線になって面になると感じる。南アフリカに完成車工場があるが、いずれ生産を拡大する時にトヨタに最適なパートナーや地域を紹介できるように人脈を大事にしていきたい」

 「(1960年前後の)経営危機で、トヨタグループに助けてもらった。恩返しを忘れてはいけない。ターニングポイントはトヨタの米国進出で、ケンタッキー州に1次、2次の部品メーカーを連れていく時に用地選定、資材の確保、パートナー紹介、会社設立、雇用などでお手伝いをした。トヨタが車づくりと経営に集中できるようにホイールセンターなども手掛けた。今の役員には米国事業で鍛えられた人材が多い。米国モデルが中国やインドに広がり、パキスタンなど中小規模の市場では豊通が相当の人と資金を出して、生産も学んでいる」

 ――自動車業界の競争環境は厳しくなっています。今後、果たすべき役割はどう変化しますか。

 「業界は100年に一度の転換期と言われている。材料も(豊通の扱い量が大きい)鉄からアルミ、炭素繊維など新しい材料への置換が進みつつある。車の電動化でエレクトロニクス分野などがより重要になり、グループでの責任や役割も増してくると思う。(系列2社を統合して)4月に発足する半導体商社の新会社『ネクスティエレクトロニクス』は社長就任時からの懸案だったが、外部環境として良いタイミング。開発エンジニアも多く、メーカー機能が我々の強みになり、エレクトロニクス分野を強化していく」

 ――欧米での保護主義の高まりなど不透明な時代のなかで、経営判断の軸をどう考えますか。

 「厳しい時代でも社内には『安全とコンプライアンスはすべての仕事の入り口』と伝えている。目線は上司でも社内でもなく、社会に役立つ仕事で貢献をすること。(グループ創始者の豊田佐吉の思想をまとめた)豊田綱領はどこに出しても誇れる。昔の商社らしさが薄まるかもしれないが、コンプライアンス上の問題で企業が傾いたり、潰れたりするケースがある。利益をいくら出しても、コンプライアンス違反をしたり、安全をおろそかにしたりしたら全く意味がない。次の10年の飛躍を見据えて、地域ではアフリカ、事業ではモビリティ分野の新しい価値を創造していきたい」

(聞き手は名古屋支社 工藤正晃)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 相模原殺傷、元職員の男を起... | トップ | 東証10時、下げ渋り 国内勢... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

市場動向チェックメモ」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。