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究極の人間ドラマが始まる 闘争再び(1)

2016年10月16日 14時18分15秒 | 市場動向チェックメモ
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO08021050V01C16A0I00000/?nbm=DGXMZO08420210V11C16A0MM8000

究極の人間ドラマが始まる
闘争再び(1)
2016/10/16 3:30日本経済新聞 電子版

 2012年11月の中国共産党大会で最高指導者、総書記に就いた習近平(63)。「中華民族の偉大な復興」を「中国の夢」と唱え、世界の大国としての自負を強めている。国内では政敵を追い落とすだけでなく、人権派弁護士を次々と拘束。南シナ海では独善としか見えない主張を譲らず、周辺国との摩擦は増した。「習の支配」から浮かぶ中国の姿は、決して気のおけない隣人と呼べるものではない。

中国の習近平国家主席は2017年秋に開く5年に1度の共産党大会をにらみ、権力集中を急ぐ

 ならば「習の支配」はなぜ、強権ぶりが際立つのか。なぜ他国とのあつれきをいとわないのか。なぜ中国自身が「世界は中国を理解していない」と常に感じているのか。

 こうした疑問のいくつかに対して、向こう1年間の中国自身が答えを出してくれるだろう。中国という国家、中国人の血肉となっている行動原理や思想を如実に表す、権力闘争という究極の人間ドラマが始まるからだ。

 来年秋には5年に1度の党大会の開催時期が再び巡ってくる。2期目を迎える習政権は最高指導部のメンバーが大きく入れ替わるのに加え、「ポスト習」の世代の登用もあり得る。習は自らの権力強化にどんな手を打つのか。対抗する勢力はどう動くのか。それは成長鈍化という難局に直面する経済の運営など政策路線にどのような影響を及ぼすか。権力を巡る争いに、中国の実像が浮かぶだろう。

 21世紀に入り、米同時多発テロや金融危機を経て、世界の政治、経済、外交、安全保障を取り巻く風景は大きく変わった。その激動の時代に台頭する中国を習は率いる。20世紀を「米国の世紀」とすれば、21世紀は「中国の世紀」となるかもしれない。「外交は内政の延長である」というように、中国の国内事情に根差す論理は、外交や安全保障にも投影される。中国指導部内の権力を巡る争いは、国際社会にとって「対岸の火事」ではない。

 「習の支配」がめざす最大の目標は、共産党の一党支配という体制を維持することだ。香港で広がる自立志向といった政治問題だけでなく、インターネット上でのさまつな「つぶやき」にも当局が目を光らせるのは、体制の揺らぎを過剰に警戒しているからだ。では、体制側とはいえない市井の人々、いわば「支配される側」の人々はこの国をどう思い、何を感じて暮らしているのだろうか。

 「空気汚染がひどい」「言論の自由がない」という負のイメージが先行しても、実際に暮らす市民が幸せな生活を送っているのなら、海外からとやかく批判される筋合いはないかもしれない。しかし、習が権力を掌握するにつれ、中国の人々の暮らしは「物言えぬ息苦しさ」が増していると思えてならない。「没弁法(メイバンファー=仕方ない)」という諦めの言葉を耳にする機会も増えた。

 中国人の行動原理や思考方法は、数千年の歴史と文化の中ではぐくまれ、党指導部という「支配する側」にも、一般庶民という「支配される側」にも通じるものだ。一方で、中国社会も大きく変わろうとしている。海外とのつながりが増え、豊かな中間層が社会に広がってる。「支配される側」に変化が生じれば、それが「支配する側」の論理や行動にも影響を及ぼすことは避けられないだろう。

 世界は、中国という「古くて新しい大国」を理解することをやめるわけにはいかない。まずは「親中」や「嫌中」といった好き嫌いの色眼鏡を外し、「習の支配」から浮かぶ実像に目をこらすことから始めたい。=敬称略

(国際アジア部次長 大越匡洋)
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