風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「映画『男はつらいよ』の寅さんの故郷・葛飾柴又を訪ねてきました」

2016-10-13 11:09:20 | 日記・エッセイ・コラム

    





   



「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」
所用で東京へ出かけたついでに、映画「男はつらいよ」の寅さんが誇らしげに口にする「葛飾柴又」を訪ねてきました。帝釈天参道、寅さん記念館、監督・山田洋次の世界を知るミュージアム、寅さんが青空を眺めながら思いにふける江戸川堤防・・・。初めて訪れたのに、懐かしいところへ来た気分でした。

寅さんが旅に出る京成電鉄金町線の柴又へ。
駅前で寅さんの銅像に迎えられ、その先に帝釈天参道が続きます。鰻屋、蕎麦屋、くず餅、煎餅、天丼、佃煮、漬物、仏具店、民芸品店・・・。そして、やっぱり一番目につく団子屋さん。

「とらや」の看板が見えました。「映画がセット撮影でなかった4作目までは、ここで撮っていたそうですよ」と話しながら、団子を包んでくれた現在のさくらさん。
長旅から帰ってきた寅さんがなかなか中に入れず、店の前を行ったり来たり。「ああ、忙しいね」といいながら、笑顔で働くおいちゃん、おばちゃん。そんなシーンがよみがえりました。

参道の突き当りにある柴又帝釈天を参拝。これまた現在の御前様の読経を聞きながら、ひと休みしたあと、閑静な柴又の街を歩いて寅さん記念館へ。

まず、「男はつらいよ」48作の制作現場の様子。大道具、美術、メイク、演出、撮影、照明などが紹介されています。
当然のことですが、映画は寅さん役の渥美清や山田洋次監督だけではなく、マドンナたち、さくらや博、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、近所の人たち、そしてたくさんの製作スタッフによって作られたのだと改めて気づきます。

寅さんが生まれた開戦前年の昭和15年(1940年)から終戦、復興、浮き沈みする経済、激しく変貌する社会。そんな時代の流れには乗れないまま、恋を重ね、柴又への思いを胸に日本列島の隅々を旅するフーテンの寅さん。
それらを、妹さくら(倍賞千恵子)のナレーションで振り返るジオラマには、ほぼ同時代を歩んできた僕も引き込まれました。

帝釈天参道や「くるまや」、柴又駅舎、タコ社長が営み、博や「労働者諸君!」が働く「朝日印刷所」のセットも。
もちろん、吉永小百合や浅丘ルリ子、佐藤オリエ、栗原小巻、八千草薫、岸恵子、十朱幸代、長山藍子、大原麗子、松坂慶子らマドンナたちの写真にも包まれます。

寅さん記念館の向かいには山田洋次ミュージアム。「男はつらいよ」はじめ「学校」「東京家族」「幸せの黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「武士の一分」「故郷」「おとうと」「下町の太陽」「たそがれ清兵衛」「母べえ」などを制作してきた山田監督の信条や教育に対する思いがいっぱい詰まっています。

映写機や大量のフィルムなどとともに、山田監督の言葉が掲示されています。
「ぼくの作品は、必ずといっていいほど社会からはみ出してしまった人間が主人公で、一流大学を出たエリートの技術者とか権力者、実力者とかいう人が主人公になったことはありません」

僕は武将や歴史上の人物、文化人らを知る資料館を訪ねることが少なくありません。しかし、映画を何度も観ているせいがあるにせよ、今回の「寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」ほど、見終わって素晴らしい充実感と温かな思いに包まれたのは初めてだと思います。

そばを流れる江戸川の堤防へ。帝釈天参道でも記念館でも優しく流れていた「男はつらいよ」のメロディーをハミングつつ、余韻に浸ってきました。












      







『映画』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 楽書き雑記「待ち遠しい芳香... | トップ | 楽書き雑記「好天に恵まれて... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む