歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




【与瀬神社付近の甲州街道】


旧街道は与瀬神社の前で国道20号線と分岐して、集落の間をぬう長閑な道となります。やはり騒がしい国道を歩くよりは、こちらのほうが風情があっていいものです。

【再び国道と合流】


このまま長閑な雰囲気で進むのか、と思うとそうでもなく、再び国道と合流します。上の高架は中央道、左下には線路(JR中央本線)。旧街道、国道、中央道、中央本線が交差するこの地点、昔だったら交通の要衝とでも記されたのでしょうね。

【いざ、古道復活路へ】


合流してすぐに、国道は大きくU字型に曲がります。ここにラーメン店があるのですが、その手前で山道のような(林道かな?)細い道へと進みます。ここが数年前に歩けるように整備された「古道復活路」への入口。以前は、そのまま国道に沿って歩くしかなかったようです。それにしても、「クマ出没注意」とは…。

【古道復活路1】


まさに山道。すでに埋もれていた道なき道を探し出して整備したのでしょうか。小仏峠を彷彿とさせます。ガイドブックには「砂利道」「足元が悪いので注意」と記されています。そんな山道を沢に向かって下っていきます。

【貝沢橋】


小さな川に架けられた貝沢橋。古道の復活時に作られたのだと思いますが、けっこうグラグラしています。飛んだり跳ねたりすると崩落の恐れがあるので、はしゃがずに静々と渡りましょう。ま、川に落ちたとしても水面まで20センチ程度なので怪我はしないと思いますが、濡れた靴で歩くのはこの先ちょっと辛いかと…。

【古道復活路2】


橋を渡ると今度は上り坂。渡河した直後がいちばんの悪路。木や蔦を掴んで急勾配をよじ登るような感じです。確かにガイドブックの言うとおり「足元が悪いので注意」が必要です。せっかく無事に渡った川に転がり落ちませんように…。
写真はそんな急勾配が落ち着いてからの古道。

【与瀬の一里塚】


沢から山道を登っていくと、突然開けた草地に出ます。ここに一里塚の標柱が建っています。日本橋から16番目。ガイドブックによると、片塚でモチノキが植えられていたようです。一里塚というと榎が定番のような気がしますが、場所により様々なのですね。ここも残念ながら当時の痕跡は残っていません。

【与瀬一里塚付近の甲州街道】


右側が山、左側が相模湖方面。山の中腹に沿うように道は伸びていきます。

【甲州街道から相模湖を望む】


相模ダムの建設に伴い、相模湖が出来たのは昭和22(1947)年。ここは人造湖だったのですね。それ以前は相模川の渓流が流れ、その流れに沿うように相州四ヶ宿の宿場が並んでいました。広重の味覚には合わなかった与瀬宿の名産・鮎も、相模川で釣ったのでしょうね。湖底には与瀬の集落の一部が沈んでいるそうです。
なので江戸時代の旅人の目には、今と全く別の風景が見えていたことになります。

【横道】


しばらく進むと山道は終わり、住宅地の間を抜けるようになります。横道の標識が出ているこの辺り、江戸時代の地誌「新編相模国風土記稿」の与瀬村の項に「横道組」と記されているので、昔から続く集落なのでしょう。

【古仏石碑群1】


道端に並んだ古い石仏・石碑。右からお地蔵様、供養塔、不明、庚申塚、二十三夜塔。

【秋葉神社】


古仏・石碑群の後ろ(山側)には火伏せの神様・秋葉神社の鳥居と常夜燈が見ます。現地では気づきませんでしたが、あとで写真をよく見ると鳥居は竹で作られているようです。社殿は街道からは見えません。奥に進んでいけば社殿があるのか定かではないまま、道端から手を合わせて先へ進みます。

【秋葉神社前の甲州街道】


秋葉神社前の旧街道。春の暖かな陽射しのもと、またまた長閑な雰囲気です。

【古仏石碑群2】


しばらく進むと橋を渡ってU字に道は曲がります。そこにたたずむ古仏と石碑群。真ん中に見えるのが二十三夜塔。あとは、ちょっとわかりません。こういう古い石碑を見て即座にこれが何なのかがわかると、街道歩きももっと楽しいだろうに…と、いつも思うのです。

【集落の間を往く甲州街道】


僅かながらですが、道は上り坂になっていきます。相模湖駅の観光案内所で入手した「甲州古道案内図」(無料)には勾配図なるものが載っていて、それによると相模湖駅前交差点は201m、その後、徐々に上ってゆき、この辺りからもう少し先のポイントが300m、そして道は下りとなり吉野宿本陣付近は179mとのこと。気づかなかったけど、相模湖駅から100m近くも上ったのでした。

【馬頭観音】


道の左手に馬頭観音。比較的新しいもの?…とは言っても、馬が行き交っていた明治初期までのものでしょうね。

【菜の花と甲州街道】


この時期、どうしても桜にばかり目が行ってしまいがちですが、菜の花も見事に咲き誇っていました。

【橋沢】


「新編相模国風土記稿」与瀬村の項に横道とともに記されている橋沢。ガイドブックには間の宿(あいのしゅく)とも。間の宿とは、宿場と宿場の間にあって、茶屋など簡単な休憩施設が設けられていた場所のこと。与瀬宿と吉野宿との距離は34町(約3.7キロ)。距離の数値だけ見たら茶屋などなくても大丈夫そうですが、やはり険しい山道の多い甲州街道、単純にそうはいかないということを、このとき、我々が身を持って体験してる最中なのでした。単に運動不足なのか?

【橋沢付近の甲州街道】


さて見渡しても、現在の橋沢には茶屋に代わるものも見当たらないので、このまま吉野宿へと急ぐ一行4人。何やら空模様も怪しくなってきました。家を出る際の天気予報では、雨は昼間には降らないとのことでしたが、ここは東京ではなく神奈川県だったのが大きな誤算になるのかならないのか…。


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