日日の幻燈

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【note】甲州街道・内藤新宿から高井戸宿まで歩いてみた

2015-06-07 | 旧甲州街道を往く

5月某日、甲州街道に沿って新宿から高井戸まで歩いてみました。江戸時代の内藤新宿と高井戸宿の間ですね。距離にすると約8キロ。

【新宿駅南口前】

出発地点は新宿駅南口。江戸時代でいうと内藤新宿の上町のはずれからスタートです。

【新宿西1丁目交差点】

当日は天気に恵まれウォーキング日和。というか、5月にしては暑すぎたくらい。いい感じに日焼けしてしまいました。

【新宿近郊】

新宿を出てしばらくすると、さすがに人混みはなくなってきます。しかしまだ新宿圏内。歩道は綺麗に整備され、道行く人もまだまだ多いといった状況です。しばらくは甲州街道の左側を進んでいきます。

【初台交差点】

初台の交差点で上を見上げるとこんな感じ。まるで少年のころマンガや映画で見た近未来都市。そうか、あのころからすると、今はもう「近未来」なのか。そういえば、「BACK TO THE FUTURE」の2作目の舞台は2015年、つまり今年だったはず。

【高速道路の下を往く】

高井戸宿への道は高速道路に並行して続いていきます。

【子育地蔵尊】


京王線の幡ヶ谷駅の手前にある子育地蔵尊。街並みに違和感なく溶け込んでいて、うっかり見落としてしまいそうですので注意。
案内板によると、1686(貞享3)年の造立で、もともとはすぐ前にお堂があり、甲州街道の道路拡張で現在地に移されたとのこと。1970年に道路拡張工事があったようなので、その時でしょうか?
江戸時代、この地は地蔵窪と呼ばれていたそうです。
現在のお堂はちょっと珍しい形ですが、これも狭い土地を有効に利用した結果なのでしょうね。そしてお堂の中に今もお地蔵様が安置されています。

【牛窪地蔵尊と道供養の碑】


幡ヶ谷駅前を過ぎて数分のところに、牛窪地蔵尊と道供養の碑があります。先ほどの子育地蔵尊も珍しいお堂でしたが、こちらは、それに輪をかけた(ある意味奇抜な)お堂です。ビルとビルの合間に建つお堂の宿命でしょうか。都会に生きる人間もお地蔵さまも、狭い場所に押し込まれてしまうのが現代の日本…。

【お堂の中のお地蔵様】

1711(正徳元)年の造立のお地蔵様です。
案内板その他によると、かつてこの近辺は処刑場で、牛裂きの刑が行われたことから牛ヶ窪と呼ばれてました。宝永のころ、この地に悪疫が流行し、処刑された罪人たちの怨霊のためでは…と考えられ、お地蔵様が祀られたとのことです。

【道供養の碑】

道供養の碑は1806(文化3)年の造立で、もともとはこの先で甲州街道と交わる駒場道(鎌倉道)に面して建てられていたとのこと。道そのものを供養し交通安全を祈願する珍しい碑なのだそうです。

【笹塚の一里塚跡】

牛窪地蔵尊を過ぎて、すぐ道路の右側に渡ります。しばらく歩くと笹塚の一里塚跡があります。

「この辺りに直径1メートルほどの塚(盛り土)があり、上に笹(または竹)が生い茂っていたことから笹塚と呼ばれた。江戸時代の古文書にも記されていて、一里塚としている古地図もある。そして、この塚があったことからこの一帯を笹塚といい、今も町名として残っている…」
と、案内板にありました。

こちらも見落とし注意です。笹塚交番の横にひっそりと佇んでいます。案内板の他には、残念ながらというか当然というか、塚の痕跡はありませんでした。

【明治大学和泉キャンパス】

明治大学です。広々としていて、とてもきれいです。
昔、ここに通う友達にキャンパスを案内してもらったことがありますが、平成なのに昭和の学生運動の雰囲気が色濃く残っていたのが印象的でした。ビラもあちこちに貼ってあって、アンダーグランドな感じでした。
それが今は…オシャレになりましたね。

【塩硝蔵跡】

明治大学の一帯は、江戸時代に幕府の塩硝蔵(武器弾薬庫)が置かれていました。1750年代(宝暦年間)にできた和泉新田御塩硝蔵です。それまでは、同じ甲州街道沿いの上石原宿にあったと伝えられているそうです。甲州街道は、いざというとき将軍が甲府へ向かう危急の道。軍事的な施設があって当然ですね。
明治維新の江戸開城の際、この塩硝蔵は官軍に接収され、その後の彰義隊征討や奥州平定に使われたとか。せっかくの武器弾薬が味方に向けられるとは、さぞ無念だったかと…。
ちなみに、煙硝ではなく塩硝と表記するのはなぜなんだろう?

【旧塩硝蔵近辺】

塩硝蔵の案内板によると、このあたり、かつては人家もなく雑木林が鬱蒼と広がり、狸や狐が人を化かした話が伝わる…とか。

【築地本願寺和田堀廟所】


樋口一葉の墓が境内にあるそうです。先を急ぐので門前を素通りしました。

【玉川上水跡】

このあたり、甲州街道に沿ってかつての玉川上水の跡地が、公園というか遊歩道のように整備されています。

【下高井戸駅近辺】

下高井戸駅入口の交差点。この辺りからかつての下高井戸宿だったうようです。残念ながら、今はそれを示す痕跡も案内板もなし。東海道の宿場町だった市町村が、それなりに案内板やら標柱を出してアピールしているのと比べて、ちょっと寂しいかな。
でも東海道のほうはメジャーだし、観光客もそれなりに見込めるからね。

それはそれとして、とりあえず下高井戸宿に到着。
新宿駅南口からここまで、途中休憩や写真撮影もしながら約1時間50分。

いよいよ高井戸宿ですが、今回はここまでで、宿場内の様子のご案内は次回といたしたく候。


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