歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




寄り道から街道へ復帰して、西へ進みます。

【旧八幡宿辺り1】


八王子十五宿のうち、八日市宿の西側には八幡宿。写真は八幡町の交差点付近です。
八幡宿は、十五宿のうち横山宿、八日市宿に次ぐ地位にあったそうですが、あくまで加宿。本宿の横山宿、八日市宿に対して対抗心を燃やしていたらしいです。

【八王子織物工業組合】


八王子は「桑都(そうと)」とも称されるとおり、昔から養蚕や織物が盛んでした。江戸時代、付近の農民は副業として織物を市に出していましたが、のちには江戸や京、大坂の商人とその仲買人によって問屋制家内工業が組織され、八王子宿は織物の集積地としても繁栄しました。
明治32(1899)年に設立された八王子織物同業組合が、現在の八王子織物工業組合の前身だそうです。
現在は「多摩織」として経済産業省より伝統工芸品に認定されています。ちょっと高いけど、ネクタイが欲しいなぁ…。

【旧八幡宿辺り2】


八王子の市街地から少し離れたこの辺りは、趣ある建物が散見されます。こちらは頑丈そうな蔵造り。

【本郷横丁交差点】


街道は直進。右折して北へ向かうと、十五宿のうちの本郷宿。写真は撮り忘れたので、後日、こっそりと。

【旧八木宿辺り1】


八幡宿の西隣は八木宿。北条氏照の家臣だった八木源左衛門という人物が、八王子城落城後、この地に住居を構えたことが地名の起源だとか。江戸時代の後半には、その子孫がどうなったかはわからない…と記されています。虎は死して皮を残し、八木氏は滅して地名を残す…そんなところでしょうか。

【旧八木宿辺り2】


こんにゃく屋さんです。ここも趣のある素敵な建物です。

【追分(旧久保宿)】


市守大鳥神社から出発して、街道は一直線に西へ続いてきましたが、ここ追分(十五宿のうち、久保宿)で分岐し南西方面へと向かいます。この追分町の交差点を左折すると甲州街道、直進すると陣馬街道(案下道)です。

【追分道標】


追分町の交差点の交番前に、文化8(1811)年に建てられた道標。
「左甲州道中高尾山道」
「右あんげ道」
あんげ道(案下道)とは現在の陣馬街道のことで、川を渡り峠を越えて、相模の津久井方面へと続いていました。
空襲により4つに折れてしまいましたが、近年再建されました。2段目と4段目が当時のものだそうです。

【八王子千人同心屋敷跡記念碑】


追分の交差点を陣馬街道へ進むとすぐのところにあります。
この辺りに、八王子千人同心たちの拝領屋敷が連なっていたといわれます。彼らはもともと武田家の家臣で、主家滅亡後、家康に召し抱えられ八王子の守りにつきました。普段は農業を営んでいて有事の際には武士としてその任に当たったというのは、坂本竜馬で有名な土佐藩の郷士のような感じだったのでしょうか。
戦乱が収まり平和な世の中になると、主な任務は「日光火の番(日光東照宮の警護)」となったそうです。また、幕末には蝦夷地の開拓も任されたそうですが、これは悲惨な結果に終わったとのこと。
これが縁で、八王子市は日光市、苫小牧市と姉妹都市となっています。

【千人町辺り】


今もこの辺り(JR西八王子駅の北側)は千人町という地名です。バス停だってこの通り。

【JR西八王子駅】


現在の甲州街道と一旦別れて、旧街道はJR寄りの細道に入ります。西八王子駅前を通って西へ。

【JR西八王子駅を過ぎた辺り】


駅周辺は店舗で賑わっていますが、ちょっと往くと、静かな通りになります。

【お昼の休憩】


八王子を出発した当初から、同行者のひとりが、蕎麦を食べたい!と言い続けていました。なので、蕎麦屋を探しながら歩いてきたのですが、なかなか見つかりませんでした。
蕎麦屋なんてどこにでもありそうなものなのに。さすが八王子、蕎麦よりやっぱりラーメンなのか?
で、ようやく西八王子駅を過ぎて蕎麦屋を発見。我々のような一見さんが入っていいのかな?的な店構えでしたが、とても美味しかったです。
ランチメニューは蕎麦と小どんぶりで1300円。ご馳走さまでした。

時間はちょど午後の2時。
腹ごしらえも終わったところで、いざ、八王子宿から高尾・駒木野宿方面へと歩を進めましょう!


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