5連休だった。
ゴールデンウィークならぬシルバーウィークと
巷では呼ばれていたけれど、
ネーミングがダサいし、いくら敬老の日も含まれているとはいえ、
何かすっきりしない。
ゴールデンと対比するなら、シルバーのままではおかしいのだ。
銀製の・・・とは英語で何と言うか調べてみたら、
どうやらsilvernというらしい。
でも日本人には耳慣れない言葉だから
シルバーウィークになったのだろう。陳腐だ。
5連休、極めて充実したようでいて、
極めて空虚だったようでもある。
初日、一日かけて原稿を書いた。
テープ起こしから始めて、6頁6,000字に及ぶ原稿を書き上げたのは
夜中の3時くらい。
二日目、東京駅から新幹線に乗り京都へ。
2泊3日の京都旅行を計画してあったのだ。
ホテルだけとって、あとは無計画。
行ってみて初めてわかったことも多く、
帰ってきてから行っておけばよかったと思ったことも多かった。
行った場所をおさらいすると、
駅にほど近い巨大な寺・東本願寺、
五重塔で有名な東寺、
京都観光のメッカ・清水寺、
祇園にそびえる朱塗りの門・八坂神社、
同じく・金閣寺、並びに・銀閣寺、
お茶で有名・宇治、
その宇治にある世界遺産・平等院鳳凰堂と宇治上神社。
とにかく人が多く、食事(特に夜)をするところが
どこも空いていなくて途方に暮れた。
旅とは常にそうであるように、
残ったのはおぼろげな記憶と
確固たる疲労と、
やたら鮮明なデジカメの画像。
そして、最終日は社長命令による出勤。
夕方、帰り支度を始めたころ、
連休初日に必死で書き上げた原稿(記事広告)の
キャンセルが明らかになる。
同時に5連休が終わる。
終わってみれば、決して金色ではなく、
シルバーとはまさに言いえて妙と思わざるを得ない、
皮肉な、空虚な、充実した休日だった。
ゴールデンウィークならぬシルバーウィークと
巷では呼ばれていたけれど、
ネーミングがダサいし、いくら敬老の日も含まれているとはいえ、
何かすっきりしない。
ゴールデンと対比するなら、シルバーのままではおかしいのだ。
銀製の・・・とは英語で何と言うか調べてみたら、
どうやらsilvernというらしい。
でも日本人には耳慣れない言葉だから
シルバーウィークになったのだろう。陳腐だ。
5連休、極めて充実したようでいて、
極めて空虚だったようでもある。
初日、一日かけて原稿を書いた。
テープ起こしから始めて、6頁6,000字に及ぶ原稿を書き上げたのは
夜中の3時くらい。
二日目、東京駅から新幹線に乗り京都へ。
2泊3日の京都旅行を計画してあったのだ。
ホテルだけとって、あとは無計画。
行ってみて初めてわかったことも多く、
帰ってきてから行っておけばよかったと思ったことも多かった。
行った場所をおさらいすると、
駅にほど近い巨大な寺・東本願寺、
五重塔で有名な東寺、
京都観光のメッカ・清水寺、
祇園にそびえる朱塗りの門・八坂神社、
同じく・金閣寺、並びに・銀閣寺、
お茶で有名・宇治、
その宇治にある世界遺産・平等院鳳凰堂と宇治上神社。
とにかく人が多く、食事(特に夜)をするところが
どこも空いていなくて途方に暮れた。
旅とは常にそうであるように、
残ったのはおぼろげな記憶と
確固たる疲労と、
やたら鮮明なデジカメの画像。
そして、最終日は社長命令による出勤。
夕方、帰り支度を始めたころ、
連休初日に必死で書き上げた原稿(記事広告)の
キャンセルが明らかになる。
同時に5連休が終わる。
終わってみれば、決して金色ではなく、
シルバーとはまさに言いえて妙と思わざるを得ない、
皮肉な、空虚な、充実した休日だった。










仕事にのしかかられていたので、重たい連休でしたが、連休明けの木曜日は、仕事の量も通常モードに減ったので、うきうきと、ケーキを焼きながら仕事をしていました。
ちなみに、kyozoさんが6000字を書き上げる前になさったことが、私の職業なんです。
忍耐の要る仕事ですが、内容がすごくおもしろいことも結構あり、勉強になります。
まあ、最初の二年ぐらいはとてもきつくて、一人親家庭でなければ10年近くも続かなかったと思います。
こんなに働いても、息子は東大一貧乏だと言っています(笑)。塾とか予備校にも行かせられませんでしたからね。
経済を度外視すれば、適職かもしれませんが価格破壊がこの業界にも押し寄せており、単価の相場も10年前の半分、それなのに、要求される完成度は、ぐんぐん上がっている矛盾に日々悩まされています。
ほとんど無休で仕事をしているので、お気に入りのブログに来るときが至福のとき。kyozoさんのブログも5本の指の中にしっかり入っていますよ。
書いておられましたね、
「父親に退学のことを相談したとき、私は「進振りのことをもっと調べておくべきだった」と
反省の言葉を投じたが、父親の反応は
「んなもん、誰も知らんわ」というものであり、少しばかり救われた気持ちになったのを覚えている。
この一文で、すごく立派な方だなという強烈な印象を持ちました。懐が深いというのでしょうか、なかなか出てくる言葉ではありません。
末川博という立命館の総長だった民法学者が京都の三高を中退して帰ってくるときの父の態度にも通じるものを感じます。その後、彼はお父さんと百姓を始めるのですが……。「彼の歩んだ道」という末川氏の自伝にあります。
たびたびおじゃまして、ごめんなさい。一度話しておきたかったので。
うちは息子が二人、明日は長男の就職の内定式です。激務といわれているシンクタンクで、心配は尽きません。