幼少期には、何でも口にし、触れ、解剖しながら、全感覚的に世界とまぐわう。青年期になると、事物は表象化され、表象化されざる余剰がノイズとなる。老年期には、通時的にも共時的にも潜在しながら広がる事物連鎖に触れ、その編み目のなかに自らを置く。もっとも孤独なのが青年期である所以である。
— 中島 智 (@nakashima001) 2017年11月18日 - 01:20
先日川越で見た猫が、猫を超えた別の生き物にしか見えない。 pic.twitter.com/5nkPnmlbiq
— わーらー (@funzwara) 2014年10月5日 - 20:10
【内なる魔女を解放せよ!ー2017冬至に向けて】
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月18日 - 22:13
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「健康であるということは、正常であるということを意味するのではない。それは、時の中で変化し、成長し、成熟し、死にゆくことができるということを意味している」 ヴァイツゼカー 『医療の諸問題』
— 死の名言bot (@ffwhhros2) 2017年11月18日 - 22:18
山で踊っている時、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年11月18日 - 23:37
山がわたしの内に入ってくるのか
わたしが山のうちに入っていくのか。
どちらと言い切ることはできない。
そして全てではなくどこかが「同化」する感覚がある。
これが「中動態」なのだろうか。 pic.twitter.com/DrxLgbbF5e