★夜、改札口を出て、駅の長い階段を降りていたら、どこからかヴァイオリンの音色が聞こえてくる。 チェロも混じっている。 悲しい旋律だった。 駅前の噴水広場で2人の男が演奏していた。 立ち止まって外灯の下で聴いているうちに、僕の自己の輪郭線上に沿って演奏されていることに気づく。 「この楽譜をどこで手に入れたんですか?」 ヴァイオリンの男に質問したら、「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」と、身振り手振りでしゃべる。 一種異様な重々しさを伴っていた。 「それは同感ですよ。いや、でも、僕の質問に答えてくださいよ」と言っても、再び「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」を繰り返す。 「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」 「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」……。 イライラするというより、男の一言一句が胸にこたえ、無性に悲しく、涙がこみあげてくる……しかし、ヴァイオリンの男に涙を見せたくない。 グッとこらえている……という息苦しさで目が覚めた。 ★目が覚めて、ヴァイオリンの男の手を握り、いっしょに泣けば楽になれたのに……と思った。 そして、夢の中で流れていた旋律は、コレッリの「ヴァイオリン・ソナタ集 作品5」にちがいないと思った。 江藤淳の弔い期間(6/21から命日7/21)に、弔いの伴奏に聴きつづけた曲だ。 念のために、さっき、DAKA古書店跡の床に、いつもの腕枕スタイルで寝そべり、パイオニアX-HM50と、スピーカー=音響コーラルFLAT―6Sで、ボリュームを最小にしぼり、聴いてみた。 第7番ニ短調の2楽章だった。 ★関連記事 ・★江藤淳が聴いたはずの豪雨の轟きのコンチェルトに、コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集を ・★ひさしぶりに引き明けの街を走る。4キロ地点の手前で、心地よい「衰弱」状態に陥る。フワフワ。フカフカ ★僕の公式ホームページへ★★★★ ★僕のWEB無人駅線ページへ |
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