◆亜紀さんから、掲示板に、太宰治の銅像の画像が、投稿された。
(亜紀さんは、そのときの気分で、いろいろなHNを使うのだが、ここで紹介するときは、「亜紀さん」に統一することにする。)
太宰生誕100年記念祭の一環として、芦野公園に建てられたものだ。
亜紀さんは、太宰ファンだ。
亜紀さんのホームページを開くと、おっおっおっという感じで、太宰の顔が飛び出してくる。
太宰の作品論、取材旅行、太宰に関するサークル活動等、いろいろなコーナーで埋まっている。
この夏も、津軽・太宰旅」
〈1日目〉=蟹田→三厩・義経寺→龍飛→龍飛館→階段国道→十三湖(手前)→青森
〈2日目〉=青森県立美術館→青森県立近代文学館
〈3日目〉=弘前「学びの家」→弘前大学記念碑→千畳敷海岸記念碑→鰺ヶ沢(断念・次回へ)→弘前
〈4日目〉=斜陽館→新座敷→芦野公園→賽ノ河原地蔵尊→藤の滝→十二本ヤス(3キロ手前で断念・次回へ)→十三湖大橋→外ヶ浜→青森という、大旅行をやっている。
投稿画像は、旅程の4日目の撮影だろう。
コメント欄に、わたし宛に「お元気ですか? 桐下駄で散歩中……だったりして。下駄でカランコロンの元祖は この人ですね?」とある。
◆この銅像については、わたしは、生誕祭に先立ち行われた銅像除幕式の様子を、TVで観たのだが、少し首を傾げてしまった。
太宰の銅像の、わたしのpoint of viewは2つある。
(1)津島美知子さんが回想で「風景にも、すれ違う人にも、目を奪われず、自分の姿を絶えず意識しながら歩いてゆく人だった」と述べている。
point of view=その太宰像が「自分の姿を絶えず意識しながら歩いてゆく」あるいは「存在する」像になっているか?(*^_^*)
(2)わたしがいちばん好きな太宰の歩く姿は、この場面。
〈鬼火。
狐火。
ほたる。
すすき。
葛の葉。
私は、足のないやうな気持で、夜道を、まつすぐに歩いた。
下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く。
そつと、振りむくと、富士がある。
青く燃えて空に浮んでゐる。
私は溜息をつく。
維新の志士。
鞍馬天狗。
私は、自分を、それだと思つた。
ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた。
ずゐぶん自分が、いい男のやうに思はれた。
ずゐぶん歩いた。
財布を落した。〉
出典が何かお好きな方は、すぐおわかりになると思う。
point of view=その太宰像が「維新の志士、鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思つた。ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた」像になっているか?(*^_^*)
TVで観た感じでは、(実際にみていないので、断定はできないが)わたしのpoint of viewからは外れているのかもしれない……という印象をもった。
亜紀さんには、どうみえたのだろう?
★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。
待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! → http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/
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