職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★「職員室通信」内の文体と、外の文体が異なる。一致させる努力をすべきか、あるいは落差を生かすべきか?

2012-01-08 11:00:15 | 僕のモンマルトル日記

 

2012

01.07
「職員室通信」内の文体と、外の文体が異なる


★12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の「新企画=新職員室通信」――「茫漠の時空間」(=僕の過去の総体)を「職員室通信」の枠組み(カタチ)で疾駆する。

 ただ、今、何かに追われるように、アップしている「職員室通信」には、「(例)2006/10/01発行」という特定の時間の枠組みがある。
 「2006/10/01」という日付のブルーシートに覆われている。
 やがて、この日付の枠組み=ブルーシートを取り払う――ま、いってみれば「屋台崩し」をやる――のだが、一点、気になることがある。


 枠組みの中の文体と、枠組みの外側の文体が、あきらかに違う。
 「違い」を簡単に説明すると――
 枠組みの中の文体=基本的には、描写と説明を分離させている。
 これに対し、外側=説明に描写を含ませている。
 解決するためには、ま、単純に考えるなら、枠組みの中の文体を、微調整して、外側の文体に一致させればいい。
 一致した段階で、ドド~ンと屋台崩し……。
 ということなのだが――現に、きのうの夜からけさにかけて、眠りに落ちたり眠りから覚めたりしながら、僕はこのように考えていた。が、しかし――2つの文体間の「落差」、あるいは「落差」から生じる、2つの文体間の「緊張」には、単に技術的に消滅させるべきでない、何か――残念ながら今の僕は「何か」としか言えないのだが――「意味」があるのではないか?と、今、思い直している。

 一致させるか?
 「落差」を残すか?
 とりあえず、「一致させる」方向でやっていこうと思う。

★けさ、TV・ウェークアップ!の新春スペシャルインタビュー「脚本家・倉本聰×岩田公雄」を観る。
 倉本聰氏については、『歸國』(2010年、TBS系※演劇作品のドラマ化)に失望して以来、やや興味を失っていたのだが、本日のインタビューには、きっと倉本聰氏が現在、存在している、具体的な(北海道の)時空間が背景として映し出されるにちがいない……あるいは、挿入されるにちがいない……その「時空間」には興味がある……正確には、その時空間と氏には興味がある……要するに、僕は『谷は眠っていた』(富良野塾の記録)に強烈な刺激を受けつづけている……ということで、TVのスイッチを切らないで観つづけた。


 結論として2点。

 1点目=(挿入された氏の散歩風景を見て)ああ、やっぱり(僕の普段の散歩道――自動車が走り、人が行き交い、家並みから人々の身過ぎ世過ぎが染み出す時空間から、と~~~んと飛躍した)こういう時空間の散歩はいいなぁ~!と心底、思った(*^_^*)。

2点目=氏の発言で次の箇所が僕の心にひっかかり、氏の発言を切り口に、僕の思考をチェックしてみなくてはいけないと思った。
 「富士山に登ったことありますかっていうと、かなり手をあげるんですね。
 で、富士山は3776メートルですけど、それだけ登ったことあるんですかっていうと、みんな手を下しちゃう。
 5合目から登るってのが、今一つの常識のレベルになってますでしょ。
 5合目って2300メートルあるわけですよね。
 駿河湾から登らないと登ったことにならない。
 つまり海抜ゼロからものを発想しないと、間違えることがいっぱいあるような気がするんです。」

★関連記事
富良野塾開校の労苦を記した倉本聰『谷は眠っていた』の、100倍の苦渋、苦難……等々、いわゆる光太郎の生活の歴史(そのなかから、わたしが、いくつか、いくつか、勝手につまんでいるだけかもしれまへんが……)に強くひかれている

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