★12/8(=ハワイ海戦記念日)から4年後(2015年)の8/15に至る3年と8ヵ月の僕の「新企画=新職員室通信」――「茫漠の時空間」(=僕の過去の総体)を「職員室通信」の枠組み(カタチ)で疾駆する。 ただ、今、何かに追われるように、アップしている「職員室通信」には、「(例)2006/10/01発行」という特定の時間の枠組みがある。 「2006/10/01」という日付のブルーシートに覆われている。 やがて、この日付の枠組み=ブルーシートを取り払う――ま、いってみれば「屋台崩し」をやる――のだが、一点、気になることがある。 枠組みの中の文体と、枠組みの外側の文体が、あきらかに違う。 「違い」を簡単に説明すると―― 枠組みの中の文体=基本的には、描写と説明を分離させている。 これに対し、外側=説明に描写を含ませている。 解決するためには、ま、単純に考えるなら、枠組みの中の文体を、微調整して、外側の文体に一致させればいい。 一致した段階で、ドド~ンと屋台崩し……。 ということなのだが――現に、きのうの夜からけさにかけて、眠りに落ちたり眠りから覚めたりしながら、僕はこのように考えていた。が、しかし――2つの文体間の「落差」、あるいは「落差」から生じる、2つの文体間の「緊張」には、単に技術的に消滅させるべきでない、何か――残念ながら今の僕は「何か」としか言えないのだが――「意味」があるのではないか?と、今、思い直している。 一致させるか? 「落差」を残すか? とりあえず、「一致させる」方向でやっていこうと思う。 ★けさ、TV・ウェークアップ!の新春スペシャルインタビュー「脚本家・倉本聰×岩田公雄」を観る。 倉本聰氏については、『歸國』(2010年、TBS系※演劇作品のドラマ化)に失望して以来、やや興味を失っていたのだが、本日のインタビューには、きっと倉本聰氏が現在、存在している、具体的な(北海道の)時空間が背景として映し出されるにちがいない……あるいは、挿入されるにちがいない……その「時空間」には興味がある……正確には、その時空間と氏には興味がある……要するに、僕は『谷は眠っていた』(富良野塾の記録)に強烈な刺激を受けつづけている……ということで、TVのスイッチを切らないで観つづけた。 結論として2点。 1点目=(挿入された氏の散歩風景を見て)ああ、やっぱり(僕の普段の散歩道――自動車が走り、人が行き交い、家並みから人々の身過ぎ世過ぎが染み出す時空間から、と~~~んと飛躍した)こういう時空間の散歩はいいなぁ~!と心底、思った(*^_^*)。 2点目=氏の発言で次の箇所が僕の心にひっかかり、氏の発言を切り口に、僕の思考をチェックしてみなくてはいけないと思った。 「富士山に登ったことありますかっていうと、かなり手をあげるんですね。 で、富士山は3776メートルですけど、それだけ登ったことあるんですかっていうと、みんな手を下しちゃう。 5合目から登るってのが、今一つの常識のレベルになってますでしょ。 5合目って2300メートルあるわけですよね。 駿河湾から登らないと登ったことにならない。 つまり海抜ゼロからものを発想しないと、間違えることがいっぱいあるような気がするんです。」 ★関連記事 ・富良野塾開校の労苦を記した倉本聰『谷は眠っていた』の、100倍の苦渋、苦難……等々、いわゆる光太郎の生活の歴史(そのなかから、わたしが、いくつか、いくつか、勝手につまんでいるだけかもしれまへんが……)に強くひかれている ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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