職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

大東亜戦争下の教育学は抹殺されている。なのに生きている。このよじれを解明しつつ、戦前に立ち還る

2010-10-26 11:48:27 | Weblog

10.10.26 大東亜戦争下の教育学は抹殺された。なのに生きている。

   ☆早朝の、はなむけ号浮遊の折り返し地点。RICOH・CX3

◆新保祐司氏の主張には、常々、共感するところが多いのだが、保守右派(「わし」もだが……)としては、あまりにもステレオタイプの内容なので「なんだか頼りないなぁ~^^;」という印象もあった^^;。
 新保氏、m(_ _)mね。
 しかし、今回のWEB産経【正論】2010.10.25「戦前の地下水を汲み保守再生を」は、(ほとんどが他者の主張の継ぎ合わせではあるが……そのコーディネーターぶりは)なかなかよかった。
 わたしが自身が、ことばにする直前で逡巡している、あるいは、怠けて停滞させている「企み」を、キチンと言い当ててもらったようで、感激した。
 新保氏、ありがとうミ★(*^▽゜)v Thanks!!★彡

◆一部(ほんの一部)を、抜粋する。

 「戦前に立ち還」ることが戦前の思想のすべてを無差別に正しいとすることではないという点は、氏(西尾幹二氏※)も明言しているところだ。
 それは「復古」にすぎない。
 「再生」としての「戦前に立ち還」るということは、戦前と戦後を貫いて日本人の精神に流れているものを回想し自覚することである。

 日本人の精神の中で、戦前と戦後が余りにも激しく分断されすぎた。
 確かに氏(西尾幹二氏※)もいうように「戦前のものでも間違っているものは間違っている」。
 小林秀雄的にいえば、戦前を「上手に思い出す」ことが必要で、それが真に「戦前に立ち還」ることに他ならない。――抜粋、以上。註( ※)=わし。




◆なお、わたしの「企み」については、下記の「600字の教育学社」記事で、粗く触れる。

 戦後的な教育的価値観だけでは、現在の教育危機状況が解明できない。
 もちろん、克服することもできない。
 ただ、新保氏のように「戦前と戦後が余りにも激しく分断されすぎ」るという指摘だけでは不十分だ。

 教育学で言うと、「分断」の原因は、突き詰めれば、大東亜戦争下の「教育学」が抹殺されているからだ。
 さらにいえば、抹殺されているけれども、実は幻影は生きている。
 このよじれが問題なのだ(^_-)。
 まず、ここを解明しつつ、埋めつつ、「戦前に立ち還」る必要がある。・・・

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 600字の教育学社 学校中心自治民育体制の幻影

  ☆みなみ哲学の道(RICOH・R3)

◆水分の補充を待つ、植木鉢の植物のように、自分のからだが、教育学の論文に飢えていると感じている。
 ソファーに寝っ転がり、読んでは眠り、目覚めてはまた読み……を、土・日、いや、2日では足りない……、1週間、いや、1週間でも足りない……、ま、2ヶ月くらい、そんなふうにして教育学論文三昧で暮らしてみたいと夢みている……。

 夢の内容。
 読む対象は2つある。
 1つは、手もとにある教育雑誌を片っ端から、○○誌4月号~3月号まで、△△誌4月号~3月号まで……という感じで、1年間分を、ぶっ通し、ぶっ通し、ぶっ通し、読んでみたい。
 今、手もとにある(みなみ中で購読している)のだと、『道徳教育(明治図書)』『心を育てる学級経営(明治図書)』『授業研究21(明治図書)』『進路指導(日本進路指導協会)』『学校マネジメント(明治図書)』『現代教育科学(明治図書)』……。
 教育に携わる、小学校・中学校・高等学校・大学の方々が教育を語る言語に、自分のからだ全体を浸してみたい、自分をバラバラにしてさらしてみたい。

 もう1つは、戦前の教育学関連の書物だ。
 なぜ、戦前の教育学なのか……については、ちょっと横道にそれなければならない。

 わたしは、いつも、あちこちで、インコのひとつ覚えのように、あるテーマをくり返している。
 それは、第3の教育改革の伴奏のように鳴り響いている教育危機、その元凶が、学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制にある……、これを修正し、教育のバランスをよくしないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらないだろう……逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ……そのために……(わたしの話は、いつも、ここから始まる)


 わたしは、わたしのいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したのは、主に次の3点(の融合作用)だと考えている。
 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観に地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つをしいてあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまったと考えている。

 クルリとひとまわりした格好だが、話をもどす。
 わたしは、今、わたしが3つあげた、1つ目、すなわち「学校中心自治民育体制」の形成過程を、今、しっかりと分析しなければならないと考えている。
 その上で、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し、改める方策を打ち出していきたい。(というか、わたしはすでに具体的方策を打ちだし、実践もしているわけだから、正しくは、戦前の体制を分析しつつ、自分の方策と実践を見直したい……、見直した上で、さらに新たな実践を打ち出したい……ということになる。)

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、新しい学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協、あるいは「取り込み」が積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?と、わたしは、嘆いている。

◆グダグダ、延々、つづきそうなので、一応、しめくくる。

 教育誌を、読んでは眠り、目覚めてはまた読み、あるいは、わたしの仮説「学校中心自治民育体制の幻影=学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)」を検証し……、そして、自分がバラバラにされ、そして、そして、再び自分が組み立てられ、「新しいわたし」=「新しい原理を有するわたし」に至ることができれば、いいと思っている。


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