何かのファンは自然とそうなった(結果)のであって、そうである(目標)ではない。だから、ファンならかくあるべしと云うものは存在しない。〜のファンなら節度を守れ、というのは道徳であってファンであるなしは関係ない。
たとえば鉄ちゃんが列車の走行や周囲の人の生活を妨害をすべきでないというのはマナーであって守る守らないはファンであることについて因果関係はない。
もしファンであることにルールを設けてしまっているとしたら、それは自らの欲求の発露ではなく、自縄自縛の状態である。何かのきっかけで好きになったものがあるとして、それに類するものを好きと云うのが所謂ファンだが、類するものなのだから同等のものではないのだ。
だから、途中で心が離れてしまっても無理にファンであり続けよう、とする必要は全くない。要は好きか嫌いか、に心をゆだねるだけである。
もう少しモデル化する。事象「A」「B」「C」を好きな人がいるとして、これらに共通する属性を抽出したところ、「イ」を見出すことができた。すると、その人は「イ」ファンを標榜することとなる。つまり、事象に「イ」と云う名前ができた。
名前ができると逆に名前から事象を作り出すこともできる。「イ」と云う名を冠した「D」という事象が作り出された。以下同様に「E」「F」…とつづく。
だが、注意したいのはシニフィエとシニフィニアンはイコールではない。本当にその人が好きなシニフィエとシニフィアンである「イ」には乖離があるかもしれない。それがファンであることを続けられなくなる現象である。
スティングに当てはめると、リヴィエラとユグドラを好きな人がいるとして、それに共通する属性を抽出したところ、スティングゲームを見出すことができ、その人はスティンガーを名乗る。以降、グングニルやグロリア・ユニオンが作り出されていく。しかし、リヴィエラやユグドラとスティングゲームは同値ではない。だからグングニルやグロリア・ユニオンと乖離が産まれるかもしれない。
スティンガーだけど、最近のスティングの傾向には……。という人は認識が間違っている。好きになった切欠を基に自分の状態にとりあえず名前を付けたのがスティンガーであって、無条件の愛を共用されるものでは決してないのである。
何度も言うが、属性は抽出「される」ものであって、属性から物事を抽出「する」のではない。古代四元素説に近いものと考えると良い。あらゆる物事から火や水の要素を抽出するのは可能だろう。だが、火や水から物事を構成することはできないのである。
たとえば鉄ちゃんが列車の走行や周囲の人の生活を妨害をすべきでないというのはマナーであって守る守らないはファンであることについて因果関係はない。
もしファンであることにルールを設けてしまっているとしたら、それは自らの欲求の発露ではなく、自縄自縛の状態である。何かのきっかけで好きになったものがあるとして、それに類するものを好きと云うのが所謂ファンだが、類するものなのだから同等のものではないのだ。
だから、途中で心が離れてしまっても無理にファンであり続けよう、とする必要は全くない。要は好きか嫌いか、に心をゆだねるだけである。
もう少しモデル化する。事象「A」「B」「C」を好きな人がいるとして、これらに共通する属性を抽出したところ、「イ」を見出すことができた。すると、その人は「イ」ファンを標榜することとなる。つまり、事象に「イ」と云う名前ができた。
名前ができると逆に名前から事象を作り出すこともできる。「イ」と云う名を冠した「D」という事象が作り出された。以下同様に「E」「F」…とつづく。
だが、注意したいのはシニフィエとシニフィニアンはイコールではない。本当にその人が好きなシニフィエとシニフィアンである「イ」には乖離があるかもしれない。それがファンであることを続けられなくなる現象である。
スティングに当てはめると、リヴィエラとユグドラを好きな人がいるとして、それに共通する属性を抽出したところ、スティングゲームを見出すことができ、その人はスティンガーを名乗る。以降、グングニルやグロリア・ユニオンが作り出されていく。しかし、リヴィエラやユグドラとスティングゲームは同値ではない。だからグングニルやグロリア・ユニオンと乖離が産まれるかもしれない。
スティンガーだけど、最近のスティングの傾向には……。という人は認識が間違っている。好きになった切欠を基に自分の状態にとりあえず名前を付けたのがスティンガーであって、無条件の愛を共用されるものでは決してないのである。
何度も言うが、属性は抽出「される」ものであって、属性から物事を抽出「する」のではない。古代四元素説に近いものと考えると良い。あらゆる物事から火や水の要素を抽出するのは可能だろう。だが、火や水から物事を構成することはできないのである。











