風の吹くまま

気の向くままに

雨が降っている

2017-06-14 04:43:37 | Weblog
04:02起床
まだ薄暗い。道路は濡れていて雨が降っているようだ。

昨日は9時過ぎに家を出て娘の家に向かった。途中農家で茄子とトマトを買い、その後スーパーで買い物をして何時もの道に戻った。小雨が降っていて傘を差しながら歩いたが何時もの広場で「文庫本」のひとがいた。ベンチの位置は一番端っこより少しずれた位置に座り足を組んで膝に文庫本を置いている。傘を差していて肩にその傘の軸を置き手で支えている。これでは器用じゃないとページがめくれないと思いながら横目で観察したがその細身の男性は文庫本から目を離さない。にんげんの習慣など世間の他人さまがみたらおかしなことばかりだ。昼食の準備をして娘と二人で食べた。午後も雑用をしながら過ごしたが6時に娘の家を出て歩いて自宅に戻った。歩いている途中で娘から動画が入り全部美味しいなどと1号2号がコメントをしている姿を見るとわーと思う。この評価(??)が聞きたくてあれこれやっているようなものだ。農家で買った採りたての枝豆、焼きなす、とうもろこしの蒸したもの、それにウーウエンさんのレシピで酢豚を作った。
イヌタデ(犬蓼)別の呼び方でアカマンマとも言う。雨が降っていたので雫を撮りたかったのだが上手く撮影できない。
ヤブガラシ(薮枯らし)と言うようだ。雨が降っていたので綺麗だと思ったが日の照っている時にはあまり好きな花ではない。「秋吉台で出会った花」の中沢妙子さんの説明だと薮を枯らすほど繁茂すると書かれている。別名にビンボウカズラという名前もつけられているようだが花なのにビンボウなどと呼ばれてあらまあと思うしかない。
取り分けて持ち帰った酢豚で晩酌をした。

今日も押しかけ家事代行で出かける予定だ。
追記
そう言えば1号がオジギソウに名前をつけて育てていた。
名前は「はるの」。
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少しだけ肌寒い日になっているが? (唐辛子家浅次郎)
2017-06-14 08:49:23
今朝は少し肌寒い日になっているが昨日から描いてあったお地蔵さんにどんな言葉を書いたらいいか朝からチラチラ見て考えていた。
山頭火の本を読んでいて次の言葉にしようと決めた。
 
真に生きるということは、
 真に苦しむということだよ!
山頭火 (唐辛子家浅次郎さんへ)
2017-06-15 05:21:53
真に生きるということは
真に苦しむということだよ

ブログ拝見しました
山頭火は人っ子ひとりいない山道や田んぼに植えられた苗が風に揺れる様子を眺めながらその孤独のなかで自分のじんせいについてあれこれ頭のなかで思い巡らせながら歩いていたのでしょうね

村の道から外れて耕運機一台がやっと入れる農道を歩いていると、その先は歩いて上るしかないひとがひとりやっと通れる獣道が続いていています

息を切らせて上った先は行き止まりで緑に囲まれた鬱蒼とした森を背に最後の田んぼがあってそこには若かった頃の父と母の姿があります

幻のように過ぎて行く一瞬一瞬を行く先の定まらない不安な気持ちでひとは歩いているのだと思います

浅次郎さんにつれられて昔のことなど思い出してしまいました

何時もありがとうございます
情けは自分の為になる? (唐辛子家浅次郎)
2017-06-15 12:51:43
毎日好きなように絵を描いて勝手に自己満足の浅次郎と[風の人]のコメントのやりとりで心中に、片隅に置いてくれて感謝してます。。情けは自分の為になるとタイトルにしたが勝手な題にしたが笑ってもいいですよ。それに心がはればれとしているのは故郷を思う優しい心に触れたことも理由の1つ。
 
もし生まれた所を教えてくれたら一人で訪ねていってみたい。そんなにたいした意味はないがここから始まりがある、そして今があると自分の目で足で確かめられたらまたひとつ思い出が増えて、今よりも[風の人]を知ることが出来る
変な不思議な浅次郎と笑っていますか?
だから唐変木といわれるのは覚悟している。
人にはいろいろな旅があるがこんな旅をするのも悪くないとおもっている。
少しだけ力を貸してください。生まれた場所だけでいいです。
不思議以上ですよ (唐辛子家浅次郎さんへ)
2017-06-16 05:23:18
何処の馬の骨とも知れない山ン婆の故郷を訪ねてみたいなどと浅次郎さんは既に仏さまを超えてしまっています

無名のにんげんが勘違いしそうなくらいの長文のコメントを連日書いていただいている上に山に捨てられた山ン婆の故郷などと、不思議なお話をされるお方です

年齢を重ねるごとに子どもの頃に過ごした日々が鮮明に思い起こされるのは一体どうしたことかと首を傾げたくなります

その時考えた心持ちまでもはっきりと思い出すことができるのですから山に捨てられた山ン婆にも故郷があったのだと「仏さまの浅次郎さん」に昔を思い出すきっかけをいただきました

にんげんのこころが和むとはきっとこんな時の事を言うのでしょうね

捨てられた山ン婆にとっては故郷でも何ひとつ観光する場所もないところですので仏さまの浅次郎さんはどうかお気になさらずお過ごしください

いつもありがとうございます
人の気持ちはままならないね? (唐辛子家浅次郎)
2017-06-16 09:43:03
人の気持ちが直ぐに簡単にわかるわけがないとおもっている。
本を読んでいていってみたい所とか知りたい景色とか、そんな思いがあって人は誰も旅にでたり旅行をしたりする。浅次郎もそんな人間の一人だとおもっている。行ってみたいと、ブロクのやりとりをしているひとの生まれ育った所が山あり田んぼあり浅次郎と少しだけ過ぎて閉まった昔、昔の田舎の景色を見ることが出来る。
ただそれだけで幸せな気持ちになれる。
毎日顔を合わせていても気持ちがつたわらないのが当たり前の世の中、ブログにこんな訳の分からない意味不明なコメントで自分の気持ちを紛らわそうとした浅次郎は不思議な本当の唐変木だと
余計な心配かけて申し訳ないとおもっている。。
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