京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

滅びの梵鐘

2016年10月01日 06時46分35秒 | 社寺・和菓子

↑観光の人はあまり通らないでしょうね。前に見えるのが梵鐘。

昨日の夜は、クーラーなしだった。
窓を開けると虫の声が聞こえてくる。



ちょっと暑さがましだったので、徒歩で散髪屋さんに行く。
雨だったり、暑かったりすると行くのが億劫になっていたのです。
先週、眼鏡の調整に行って、髪が伸びて鬱陶しく感じた。
以来、あまり天気がよくなかったのでいけなかった。
今年はよく降りますね。
また来週、前半に台風18号がくるらしい。



散髪屋さんに徒歩で行く時、必ず通るのが方広寺と豊国神社を通って行く。
最初の写真の猫道を通ります。
ここ、この間テレビで出て来た。
京都の大仏ということで、NHKでやっていた。





方広寺には、豊臣家が滅ぶきっかけになった梵鐘があります。
いつも不思議に思うのは、それだけ問題のある梵鐘なのに、こうやっていまだに残っている。
普通なら徳川家の方からすると「けしからん」ということになったなら、この梵鐘を壊してしまえばいいのに。逆に豊臣家の方もそうだ。
「すんませんな〜」とこの文字だけ削ればいいのに。(笑)
まあ、どっちにしてもいちゃもんだから梵鐘の文字は関係ないのか。


↑千本玉寿軒「名月」

また、ここにあった大仏も運が悪いですね。
豊臣秀吉が奈良に負けない大仏を作る!と造ったのはいいけど、文禄5年(1596年)開眼供養前に地震で潰れた。
秀吉としては、腹がたったのでしょうね。夢のお告げがあったと言って、善光寺如来(阿弥陀三尊)(当時は甲斐に在り)を移座して本尊に迎えることを計画。木食応其の尽力により、慶長2年(1597年)7月18日に善光寺如来が京に到着し、大仏殿に遷座した。ただ、その祟りなのか秀吉が病気になってしまう。さすがに怖くなって元に返したそうです。でも結局秀吉は亡くなってしまう。
その後、豊臣秀頼が造った。その時の梵鐘がこれなんです。
そして、クレームです。


↑外郎、白こしあん

その後、四代の大仏があったけど、結局、残っていない。
いま、あったら観光名所になったのにね。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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2 コメント

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おはようございます (すー)
2016-10-01 06:55:21
本当に不安定なお天気の連続ですね。
今朝も雨のスタート・・また台風か! 日本上陸も多いですね。

確かにNHKで京の大仏が取り上げられていましたね。見ませんでしたが・・・
>すーさん、おはようございます (京男)
2016-10-01 09:37:34
今年は、鬱陶しい天気が続きますね。
われわれが鬱陶しく感じているだけですが。
NHKでやっている時、断片的な情報ですね。
その程度なのかも。

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