京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

今熊野観音寺

2017年05月11日 04時23分34秒 | 社寺



↑観音寺に行く階段から上を見ると新緑が折り重なって鬱蒼とした感じがしていた。

観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつ。
今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神巡りでは三番としてえびす神を奉祀。


↑階段のところにある弘法大師と子供たちの像

観音寺は、初め東山観音寺と称したが、後白河上皇が永暦元年(1160)、新熊野社を勧請創建された際、改めて新那智山の山号を寄せられ、今熊野観音寺と称することになったといいます。


↑今熊野観音寺

ここはなんと言っても「ぼけ封じ」と「頭に関する病気」に御利益があるとされています。だから日頃は、中高年の団体さんが来られています。
売店?に枕カバーが売っていたのが印象的だった。


↑五智の井

大同年間(806年〜810年)、空海さんが庵を結んで住んだはったらしいのです。
平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創され、御本尊は十一面観世音菩薩である。西国三十三所第十五番霊場・厄除、開運の寺として知られ、特に頭痛、智恵授け、ぼけ封じ、の観音様として信仰されている。



昔は、ぼけ封じなんてなかったかもね。
長生きする人もすくなかっただろうし。


↑大師堂

御詠歌
「 昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり 」
ここの境内にいると巡礼の団体が唱えたはる時があります。
幼少の頃、葬式といえば個々の家でやっていた時代、お通夜に御詠歌を長時間唱えるということをやっていた。生まれてはじめて正座をして座っていた。足の痛さをいまでも憶えている。御詠歌そのものは短いのになんでそんなにゆっくり唱えるの!と心で叫んでいた。

明日に続く

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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4 コメント

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おはようございます (すー)
2017-05-11 04:39:00
このモミジの新緑、その圧倒的な量、覆いかぶさるような姿に元気もらえます。
大きく深呼吸をしたくなるのですが、黄砂が怖いといは何とも、何とも・・・
>すーさん、おはようございます (京男)
2017-05-11 04:43:56
泉湧寺は、大きな木が多いのでうっそうとした感じがします。緑の濃淡が圧倒的。
今年の黄砂、ちょっと多すぎますね。
こんにちは。 (路渡カッパ)
2017-05-11 11:47:31
私もちょうどこの時期に訪ねたことがあります。
大師像はお遍路の団体さんが「南無大師遍照金剛」と唱えながら廻り祈願されますね。
それとは別に爺さん婆さんが観音様の足元にまとわりつく像がありますが、ちょっとシュールでした。(^_^ゞ
多宝塔、医聖堂の方には登られましたか?
>路渡カッパさん、こんにちは (京男)
2017-05-11 16:44:40
確かにあの観音さまの所はシュールですよね。
ぼけたらこんなになるんだ・・・と。
多宝塔の所は今回登っていません。

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