京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

蛸薬師さんに行ってきました

2012年09月13日 04時11分25秒 | 社寺
昨日、ガングリオンを記事にしました。
昔、コブというやつも多かったと思う。
それと眼病も多かったらしい。
いまでいう脳溢血や脳梗塞の後遺症も多かった。
貴族なんかは、白米を食べられただろうから脚気や糖尿、それに寄生虫なんかもあったでしょうね。
昔の京都は、とても病気がいっぱいだったらしい。



色々な病気に対応するお寺も結構京都にあります。
眼病・・・仲源寺(目やみ地蔵)、楊谷寺、落語では清水寺もやっているらしい。(笑)仲源寺の「目やみ地蔵」は、もともと「雨やみ地蔵」だったそうです。京都は昔、よく大雨による水害が多かったらしい。だから雨を止ましてほしいと願ったそうなんです。それがいつしか「目やみ地蔵」になったそうです。
いつか効能別お勧め社寺というのも書きますね。


「蛸薬師堂(永福寺)」地図、航空写真にして見ると繁華街のど真ん中に、墓地がいっぱいあるのがわかります。結構すごいですよ。

本日の蛸薬師堂(永福寺)も病気専門のお寺みたいなものでした。
このお寺、いまは新京極の賑やかなところにありますが、豊臣秀吉の時代、都の東の城壁代わりに大きなお寺を集めたそうです。その時に二条室町から移転さされたそうです。



◎蛸薬師如来の由来(引用させていただきます)
後深草天皇の御世、建長(1249~1256年)の初めの頃善光と言う僧がこの寺に住しておりました。
ある時、母が病気になり寺に迎えて看病していましたが、一向に病はよくなりませんでした。
母は、「子供の頃から好物だった蛸を食すれば病が治るかもしれない」と善光に告げました。
しかし、善光は僧侶の身で、蛸を買いに行くことを躊躇しておりましたが、病弱な母のことを思うといてもたってもいられず箱をかかえて市場に出かけ、蛸を買って帰りました。



これを見た町の人々は僧侶が生魚を買った事に不審を抱き、善光のあとをつけて寺の門前で、箱の中を見せるようにと彼を責めました。
善光は断ることも出来ず、一心に薬師如来様に祈り「この蛸は、私の母の病気がよくなるようにと買ったものです。どうぞ、この難を助け下さい。箱を開けると蛸はたちまち八足を変じて八軸の経巻となり霊光を四方に照らしました。
この光景を見た人々は皆合掌し、南無薬師如来と称えると不思議なことに、この経巻が再び蛸になり、門前にあった池(今の御池通の由来となった御池)に入り、瑠璃光を放って善光の母を照らすと、病気はたちまち回復しました。
それ以来、蛸薬師堂の蛸薬師如来様と称されるようになり、この地で病気平癒を祈れば、身体の病だけでなく心の病もたちまち回復し、子を望めば生じ、財を願えば叶い、嘉吉元年(1441年)に、後花園院の天聴に達し勅願寺となりました。



京男談
箱を開けたらピンクの煙がでて、僧侶はままたく間に、美しすぎる尼僧になった。
それを見て、おかんがショックで、おっさんに変身し、老いてますます盛んになったとさ・・・。
そういう話しの方が好き。

そんなことを考えているから、ガングリオン退散祈願をするのを忘れてしまった!お賽銭は入れましたけど。
しかたない自分で治します。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
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