「西福寺の裏の道を西進する。旧入間川街道の辻に詳しい里程の入った道標の地蔵がある。」
菅原神社脇を抜け入間川街道に出て左折する。

直ぐ先の信号のある交差点を過ぎ、左から来る大きな道とのT字路も過ぎると、先で細い道と交差する。
その四つ辻の左手前の角に石仏があった。
この写真は、交差点を過ぎてから、来た方を振り返って撮った。
右の道を行くと、国道16号に出る。

石仏は民家のブロック塀の角を凹ませたところにあり、北西を向いていた。
高い台座があり、その上に坐っていた。
「地蔵は坐像で台座に大塚新田、新河岸方面には、「大井二リ、白子六リ、板橋十リ、江戸十リ」、大袋新田方面へは「入間川二リ、扇町屋三リ、八王子七リ」、大袋、池辺方面へは「毛呂五リ、越生五リ」、田島新道、六軒町方面へは「川越一リ」とある。
嘉永7年(1854)6月豊田村の鈴木七兵衛、同朝光が建てたものである。」

地蔵は赤い前掛けをつけていたが、その直ぐ下でビニールの紐でぐるぐる巻かれていた。
何かの信仰かと思ったが、像が崩れるのを防いでいるようにも見えた。

頭部を見ると、光背と顔に大きなひび割れがあったからである。
このままでは、そのうち割れて落ちてしまいそうであった。
菅原神社脇を抜け入間川街道に出て左折する。

直ぐ先の信号のある交差点を過ぎ、左から来る大きな道とのT字路も過ぎると、先で細い道と交差する。
その四つ辻の左手前の角に石仏があった。
この写真は、交差点を過ぎてから、来た方を振り返って撮った。
右の道を行くと、国道16号に出る。

石仏は民家のブロック塀の角を凹ませたところにあり、北西を向いていた。
高い台座があり、その上に坐っていた。
「地蔵は坐像で台座に大塚新田、新河岸方面には、「大井二リ、白子六リ、板橋十リ、江戸十リ」、大袋新田方面へは「入間川二リ、扇町屋三リ、八王子七リ」、大袋、池辺方面へは「毛呂五リ、越生五リ」、田島新道、六軒町方面へは「川越一リ」とある。
嘉永7年(1854)6月豊田村の鈴木七兵衛、同朝光が建てたものである。」

地蔵は赤い前掛けをつけていたが、その直ぐ下でビニールの紐でぐるぐる巻かれていた。
何かの信仰かと思ったが、像が崩れるのを防いでいるようにも見えた。

頭部を見ると、光背と顔に大きなひび割れがあったからである。
このままでは、そのうち割れて落ちてしまいそうであった。










