本の中ではほとんど考察しなかったのだけれど、PTAの問題では、時々、「会長」がその中心にいることがある。
PTA会長は杉並のように女性が中心のところは、わりとほかの役員と同じ立場で和気あいあいとやっているケースが多い。
でも、昔のボスPTAをひきずるように、地元名士(男性)でないとPTA会長になれない、というような地域は今もあるみたい。
あるいは校長のおぼえめでたくなければ、とか。
いや、地元だろうがなかろうが、校長に気に入られようがうとまれようが、それ自体別にどうってことない。
それよりも問題なのは、むしろ、就任してからのこと。
特に男性のPTA会長は、「現場」を知る機会が少ない。
入学式・卒業式・運動会であいさつをするだけ、てなことはないにしても、対外的なつきあいに忙殺されて、内政(?)は副会長にまかせっきり、というのはよくあるパターンじゃないだろうか。
その際、現場のリアリティを知らないまま、封建的な地域と癒着していったり、あるいは校長の分身のごとき立場にたっていってしまうことがある。
会を代表するということは、会員の代理人【エージェント】である立場でもあるはずなのに、むしろ、地域有力者や、校長との間の取り決めを、会員に「おろす」ような発想になる人も出てくる。
たぶん、そういう人の発想として「子どもために」というPTAの存在理由が非常に大きなこととしてあって、その際、何が子どもためなのか、ということについては、それほど深く悩む必要もなく「自明」なのだろう。あるいは校長に協力すること、地域に協力することが「子どものため」なのかもしれない。
けれど、すっぱりと誰もが納得できる「子どものため」などない。
また、何かの事業で、母親がどれだけ神経をすり減らし、まわりまわって子どもの福祉にまで悪影響を与えるケースすらありうることにも無頓着だ。
だって、彼の目にはそのことは見えていないから。
もちろん、全員が全員というわけではなくて、ごく一部だろう、と思うのだが、独善的リーダーシップによって、会をミスリードする会長というのは、時として、一般保護者会員にとってモンスターになりうる。
本当に悩ましいことだ。
これは、校長がその立場ゆえ、PTA役員に対して簡単にモンスターになりうるのと似たメカニズム。
ぼくは会長というのを廃止して、せいぜい「事務局長」にしてしまうのもアリなのではないかと思っている。
あるいは、本当に会長をなくしてもいい(実は副会長もなくたっていい)。
事務局としての機能は、そもそもだいたい副会長や書記といった役職の本部役員がこなしている。もっといえば、副会長とか書記とかいわず、事務局員、としてもいいのだ。
また、会を代表することにしても、複数の「渉外担当」がいればよい。
会長と地域の封建的ボスとの間でかわされた約束がそのまま「下りてくる」のでなく、渉外担当が話を「持ち帰る」ようなイメージ。
一筋縄ではいかなけれど、校長同様、会長も、PTAの性格を決める大きな要素なのだ、と強調しておく。
追記
ぼくが体験したのは、会長ではなく副会長。
会長になる予定はないし、たぶんなることもないだろう。
お母さん役員たちと一緒に、事務方に徹して頑張ったことは、誇りに感じている。
副会長が体験する諸々のことは、少なくともぼくの子らが通う学校のPTAでは、会長とはまったく別の性質のものだ。
PTA会長は杉並のように女性が中心のところは、わりとほかの役員と同じ立場で和気あいあいとやっているケースが多い。
でも、昔のボスPTAをひきずるように、地元名士(男性)でないとPTA会長になれない、というような地域は今もあるみたい。
あるいは校長のおぼえめでたくなければ、とか。
いや、地元だろうがなかろうが、校長に気に入られようがうとまれようが、それ自体別にどうってことない。
それよりも問題なのは、むしろ、就任してからのこと。
特に男性のPTA会長は、「現場」を知る機会が少ない。
入学式・卒業式・運動会であいさつをするだけ、てなことはないにしても、対外的なつきあいに忙殺されて、内政(?)は副会長にまかせっきり、というのはよくあるパターンじゃないだろうか。
その際、現場のリアリティを知らないまま、封建的な地域と癒着していったり、あるいは校長の分身のごとき立場にたっていってしまうことがある。
会を代表するということは、会員の代理人【エージェント】である立場でもあるはずなのに、むしろ、地域有力者や、校長との間の取り決めを、会員に「おろす」ような発想になる人も出てくる。
たぶん、そういう人の発想として「子どもために」というPTAの存在理由が非常に大きなこととしてあって、その際、何が子どもためなのか、ということについては、それほど深く悩む必要もなく「自明」なのだろう。あるいは校長に協力すること、地域に協力することが「子どものため」なのかもしれない。
けれど、すっぱりと誰もが納得できる「子どものため」などない。
また、何かの事業で、母親がどれだけ神経をすり減らし、まわりまわって子どもの福祉にまで悪影響を与えるケースすらありうることにも無頓着だ。
だって、彼の目にはそのことは見えていないから。
もちろん、全員が全員というわけではなくて、ごく一部だろう、と思うのだが、独善的リーダーシップによって、会をミスリードする会長というのは、時として、一般保護者会員にとってモンスターになりうる。
本当に悩ましいことだ。
これは、校長がその立場ゆえ、PTA役員に対して簡単にモンスターになりうるのと似たメカニズム。
ぼくは会長というのを廃止して、せいぜい「事務局長」にしてしまうのもアリなのではないかと思っている。
あるいは、本当に会長をなくしてもいい(実は副会長もなくたっていい)。
事務局としての機能は、そもそもだいたい副会長や書記といった役職の本部役員がこなしている。もっといえば、副会長とか書記とかいわず、事務局員、としてもいいのだ。
また、会を代表することにしても、複数の「渉外担当」がいればよい。
会長と地域の封建的ボスとの間でかわされた約束がそのまま「下りてくる」のでなく、渉外担当が話を「持ち帰る」ようなイメージ。
一筋縄ではいかなけれど、校長同様、会長も、PTAの性格を決める大きな要素なのだ、と強調しておく。
PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ 294) 価格:¥ 819(税込) 発売日:2008-10 |
追記
ぼくが体験したのは、会長ではなく副会長。
会長になる予定はないし、たぶんなることもないだろう。
お母さん役員たちと一緒に、事務方に徹して頑張ったことは、誇りに感じている。
副会長が体験する諸々のことは、少なくともぼくの子らが通う学校のPTAでは、会長とはまったく別の性質のものだ。
毎回、興味深く拝見させていただいております。
只今、川端様の著書を今読ませていただいている最中です。
私も、今年度から子どもたちの通う小学校でPTA会長として役員をやらせていただいております。
就任早々、今年度は学校が開校40周年を迎え、周年行事にも首を突っ込まなくてはならない状況です。
新米の会長にとって、地域や学校の様子を把握しなくてはならないこと、もちろんPTAの本部の内情もいろいろと把握しなければならない。
就任から今日で半年が経ちましたが、可能な限り本部会、それぞれの委員会の集まりがあって挨拶をしたり、ぎっしりと詰まった予定でした。
メインは副会長がほとんど現場参謀として色々と指示しているのが現状ですが、PTA側から配布される資料などは、私の名前が入り、各家庭に配布されていることを考えると、ほとんどが任せきりであっても、現場の動きを把握しているのが、会長としての最低限の責務だと感じております。
会長という立場は、PTAという団体の代表であり、私個人の気持ちとしては、会社でいえば、社長という立場なのだろうと感じるくらい、会社の組織となんら変わらずという意識です。ただ、就任してから責任の重さをひしひしと感じています。
外回りのP連やP協の活動、地域の育成会、その他講習や講演会などにも顔出しをしてきましたが、だいぶ状況が見えてきています。
川端さんのおっしゃるように、取材力は必要だと著書の中から、うなずくしだいです。
差支えなければ、私のブログサイトからこのサイトにリンクを張らせていただいてもよろしいですか?
ご了承いただけると幸いです。
現在、話の流れから(責任と取る意味もあって)、自分が会長という役割を担っています。意識としては、事務方の一番下っ端という認識です。
若い、小さな組織の「言いだしっぺ」ということもあって、会の動向や活性度が、自分の行動に大きく影響を受けてしまうという現状を、少々重荷に感じることも少なくありません。
できれば、自発的に動く会員が増えて、会長などという人間が旗を振らなくても、ぐるぐると回っていくようになれば良いなと思います。そのときには、会長や役員などというものは要らなくなるかもしれません。(事務局は残るかなー)
しかし、そこまで持っていくのは、やはり誰かが意識的にドライブを掛けていかなければならず、その段階では「会長」「役員」という看板が役に立つのも事実だと考えています。ささやかなジレンマ。
会長という役割をやっていると、ときに「子どものため」という前提よりも、会の活性化や存続という方にウェイトが移ってしまう面があることは否めません。
また、時に独善的という批判をも覚悟しなければ、結局何も進まない、ということを感じることも多いです。(無意識に独善性を発揮できる性質でないので、またそれが難しい。)
「会長」を置かない組織…、実現できるかな…。
今のところ、「組織」という枠を設定した時点で、やはりそれを引っ張っていく、あるいは舵を持つような役は欠かせないのかなぁと考えています。
ということは、「組織」とすることが間違い、なのかしらん??
網干さんの本、見たことがあります。今度、読んでみますね。
それはそれとして、PTA会長としてのお役目、ご苦労様です。
会社の社長というのは、現状を説明しているのかもしれませんね。
組織論的には、むしろ労組の組合長とかに近い(会員の意向を汲んで行動する)のですが、むしろ、トップダウンのイメージが強いようです。
そして、Pさん。
千々に悩んでください(笑)ませ。
それだけのことはある大きなテーマです。
ちなみに、ぼくの子が行っている学童クラブは、保護者の会に会長はいないし、役員もいません。
いるのは、スタッフとスタッフリーダーです。
何年か前に、任意加入にして(ぼくが言い出した)、そのあと、誰かが「役員って堅苦しいよね」と言い出して、そういうことになりました。ぼくはそれが決まった会議のおしまいにだけ出席できたんですけど、知らない間に決まってて感動しました。
で、そうなってからも、なんの不都合もないです。
PTAほど、行政や地域からがんじがらめに当てにされていないから、なんですけどね。
先日書店で川端さんの書籍を見つけ、8割ほど読ませていただきました。
シングルファザーの立場上、少しでも子供に関わっていたくて参加したPTAですが、問題点・疑問点がありました。
「子供達の為に」は、全ての保護者の合言葉にはならないようですね。
やはり、役員決めの難しさから来る問題点を我が校も抱えています。
顕著なのが、学習発表会のバザーでの役員の負担の大きさでした。
「ワンデイ・ボランティア」は是非実行したいと思います。
今後、「PTA再活用論」を羅針盤として参考にさせていただきます。
ネット検索で偶然このブログを見付け、思わずコメントさせていただきました。
書籍とブログに出会えたことに感謝します。
もともとは昨年の今ごろに選考委員をしていたうちの妻が、次年度の副会長を決める選考会議の時に数時間続く無言のプレッシャーと「どうにかしなければいけない」という義務感から一本のメールをわたしに寄越してきたのがPTAに参加するきっかけでした。
「あなた、副会長だったらやる?」
もとより子どもの送り迎えや幼稚園/小学校の保護者会にも出席していてPTAにも多少の関心があったので
「誰もいないなら考えるよ」
の返事を出した所、その5分後に再び妻からメールが
「副会長に決まったから!」
その速攻ぶりにいかに候補者がいないのかにビックリしました。
会社を経営しているので会社との両立は大変ですが、会社組織とは違うタテではなくヨコのつながりが、僕にとっては心地良く今のところ楽しく活動させてもらっています。来年度は80周年という記念行事があるのと校舎立替を3年後に控えた行政を含めた懇談会が定期的に始まるので何かとばたつくと思います。それでも
「やる以上は楽しくやろう!」
をモットーに頑張ろうと思います。
先日、川端さんの著書「おとうさんといっしょ」を拝読しました。
主人公の言葉に「うん、わかる、わかる」とうなづくことしきり。
これからも著作&ブログ楽しみにしております。
男性が1年間副会長をして、翌年会長に、というのがなかば制度化しているところがありますけど、そういうかんじなのでしょうか。
ぼくは今は楽させていただいているので、「現役」の副会長さんには、ほんと、お体に気をつけて、としか申し上げられないきょうこのごろです。
ご健闘を!
よき体験となりますように。
さて私自身、副会長を1年経験したあと、他の先輩たちに逃げられてしまい、気がつけばPTA会長になってしまいました。
ところが、いざなってみると、「これが天職なのでは?」と思うくらいに、楽しい思いをすることができたのです。「PTA再活用論」に登場する、悩めるお母さんたちにしたら、申し訳ないくらいストレスがないのです。
確かにP連などで他の会長と話をしていると、よくも悪くも、先生方と女性副会長にお任せな人が多く、「同じ立場でもこんなに違うのか?」と驚くこともあります。
私は会長の仕事として一番大事なのは、「役員さんたちと一緒に活動していく上での基本理念を掲げること」を自分の言葉で提案することだと思っています。
私の場合、「辛かったら無理しなくていい」「辛くても、誰かがやらねばならないことなら、みんなで楽しくできる方法を考えよう」そして「子どもだけ喜んでもPTAじゃないよ!親も先生も一緒に楽しまないと」ということを、常日頃から役員さんたちと話をします。
うちのPTAを通して、余計なストレスを経験させたくないからです。
会長は決して偉い立場だとは、思っていません。でもPTAという組織を運営する代表者は、時に強力なリーダーシップを求められるのも事実です。基本理念を校長や教頭に作ってもらっては、本末転倒だと思うのです。
でも川端さんのブログを読んでいて、ハッとさせられましたね。
>一筋縄ではいかなけれど、校長同様、会長も、PTAの性格を決める大きな要素なのだ
うーん、自分ではよかれと思っていても、気づかぬうちに間違った方向に持って行っているかも・・・。会長のいないPTAっていうのも、ありかもしれませんね。
P.S.
「PTA再活用論」かなり愛読してます。今は嫁も一緒に読んでます。
さてさて、178Rさんのコメントを読んで「すばらしき新世界」を思い出しました。
これは一般にはディストピア小説だということになっていて、ぼくもそう思っていますが、実は、開明的な専制君主の強力なリーダーシップによって、よりよい社会が実現した未来と読むこともできるんです。
もちろんタイトルの「すばらしき」は反語です。全然、すばらしくありません。
でも、この小説に描かれる社会は、すべての人々が自らの権利にばかり汲々とし、万人が万人に対して闘争している社会よりはまし、という味方もできるわけです。
というわけで(?)、開明的なPTA会長にめぐまれたPTAは、学校や地域に追従するだけのPTA会長を持つPTAよりずっと幸せです。
ましてや、178Rさんは、常に自らを省みて、PTAを悪い方向へと導いていないかと自問される。
ぜひ、その「迷い」を常なるものとして維持してくださいませ。
貴校PTAが、ストレスが少なく、子どもためにも、親のためにも、教師のためにも、実効あるものであるよう、つまりは、費やす労力に見合ったものでありますよう、願っております。