葛葉のもっと音楽を聞こおー☆

もっと色々聞いて下さいな (´・ω・`) ノ

年明けのお買い物より。

2014-01-04 01:21:13 | Weblog
近年物価が下がり過ぎじゃないですか???
貧困層と金持ちの差の様で、レアな物は金額が上がり、普通の物ゎ300円くらいとか。
まぁ嬉しいけど、でも良いのだろうか・・・


JEAN-LUC PONTY「KING KONG」(WORLD PACIFIC/BLUE NOTE)

ヴァイオリンジャズロック。
タイトルでわかる通り、FRANK ZAPAの作品集というか、ZAPPAがコンポーザー&アレンジャーをしたジャズロック作品。
ZAPPAらしい感じの内容。
ZAPPAも1曲PONTYの作品でギターで参加してると言う。
GEORGE DUKEも参加し、フュージョン的なエレピを添え、良い味出してますな。
全然見かけないアルバムだったけど300円だったし、ZAPPA作品ばかり取り扱ったアルバムで、なおかつ監修がザッパと来たら買うしか無いでしょう♬
PONTY自体MPSのヴァイオリンサミットと「SUNDAY WALK」位しか聞いてないけど、ヴァイオリンジャズロックも70年代多く出て来たからなぁ。
シュガーケインと並んでPONTYゎ代表格。
とゆかこのアルバム、なんでPONTY名義なんだろうか?
ZAPPA名義でも良さそうだけど。
でも確かにZAPPAのレーベルだとロックな作風になるけど、このアルバムゎ基本的にジャズ路線。
ZAPPAをジャズロックすると言う目的なんだろうな。
単純にカッコいい作品だと思う。
PONTY作ゎジャズの形式でジャズロックしてて、MPS辺りの様な感じ。
そしてZAPPA本人のギターソロも100%ザッパ節だ出てる。
19分30秒にも及ぶ「Music For Electric Violin And Low Budget Orchestra」ゎザッパらしいコミカルであり、道化の様なサウンドと展開。
激しくなったり、優しくなったり。
すこしブロイカーコレクティフみたいだな。
こんなアルバムあったんだなぁって思いながら聞いてるけど、確かにWORLD PACIFICからのリリースだと全然見かけないかもしれない;
BLUE NOTEがこれを再発したのも意外な気もするけど、そしてジャケからしてBLUE NOTEらしくないw
しかし「KING KONG」のリフかっこいいなぁ☆


24-7 Spyz「Gumbo Millennium」

知ってる人、少ないかな?
METAL?
FUNK?
まぁミクスチャーって言ってしまえばそうなるかな;
24-7 Spyzの90年発表のセカンドアルバム。
90年って時代背景とリンクする様な音ですぉ。
スイサイダルとかボディカウント辺りが近い位置のバンドかな。
FUNK METAL。
EXTREME/NUNO的なアレとは違うけど、ちょっと不思議なバンド。
でもグルーヴィ☆
カッティングで聞かせたり、スラッシュメタルの様な曲やったり。
音作りゎヘヴィ。
多分今も活動してる。
このセカンドゎ「Don't Break My Heart!」が入ってる♬
この曲が古くさくて良い☆
今24-7 Spyz聞いてる人って激少ないと思うwww
上手いんだけどね。
中古あっても誰も買わないでしょ?
日本じゃウケないサウンドかも。。。
個人的にゎ今後色々聞いてみたなと思ってる訳です。



浅川マキ「幻の男たち+」

これ読んでます。
もうすぐマキさんの命日がやってきますね・・・

2002にこんなのがあったのか・・・

知ってたら確実に行ってたな。。。
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幼少期の家。

2014-01-02 22:17:47 | Weblog
前々から行ってみたかったそだった家の跡地、というか、場所。
記憶も曖昧だったけど、26年経って今日行って来た。
小学校入る手続き迄したあと引っ越したから、ちょうど26年とか・・・
話だとじいちゃんばあちゃんのバカ息子がギャンブルでの借金でこの家売ったとか聞いてた。
跡形も無いだろうけど、大体の場所迄行ってみたかった。
26年振りに青物横丁に降りた。

当時ゎ線路が下で踏切だったんけど、平成くらいかな?線路上になった。
踏切が有った姿、少し覚えてる。
駅出て記憶たよりに歩くと、当時遊びで勝手に入ったビルがそのまま残ってた。
これも本当に過去に記憶の断片だけど、でも明確に覚えてた。
当時は古いタイプのエレベーターで、行きたい階のボタンを押すと、そこ迄の階数のボタンが光るタイプだった。
勿論それゎ安全面で新しくなってたけど。
でも当時のあのビルがまだあるとか、ちょっとびっくりした。
駅前や少し離れた所はベッドタウン的に高層マンションとか建って開発がされているのに、こんなボロそうな建物が未だにあるなんて。
そう思いながら、変わった町並みを見ながら歩いて、コンビニで軽くご飯食べて。
冷え込んで来た18時過ぎ、正月でもあって人が少ない。
自信は無かったけど、「多分」って事で歩いた。
記憶にある神社。
確か家の近くだった様なと、それだけで歩いた。
しばらくして、記憶の神社、それと路地も確かにあった。
次の瞬間・・・
真向かいに、殆ど姿を変えてない、ぼろアパートが有った。
確かに、ここだ。
ここに、26年前まで住んでた。

2階の奥の部屋。
手前の部屋は常に空いてて、いとこが遊びに来た時に泊めてた。
1階の入り口はわかりやすい茶色の扉の玄関だったな。
今は1階が病院になってたけど、少し急な階段を見て思い出した。
ある日、2階の窓から真下の路上でネコが轢かれてたのを見た。
幼少期に見た、絵に描いた様な「オバケ」が窓の隙間に見えたのも、この家。
ネコ好きの原点となる猫屋敷で、当時20匹近くが出入りしてた。
じいちゃんとばあちゃんの家だったんだと思う。
じいちゃんは会った事無い。
ばあちゃんゎ良くしてくれた。
料理だったかな?包丁で左手人差し指切ったのもこの家での出来事。
傷跡は今も有る。
2階には風呂が無かったと思う。
銭湯に行ってたんじゃないかな。
ばあちゃんはウチの見えない所でバカ息子に暴力ふるわれてたって聞いてる。
この家でばあちゃん死んで葬儀したのも覚えてる。
でも曖昧、この家で葬儀だったのか。
この家を離れ、池袋の親父の住んでたぼろアパートに引っ越し同居した。
  (ウチの家は結婚してなくて、一応片親で所謂鍵っ子。
  (長い間未婚の両親と同居ってのが続いた。
  (親父は別の家庭かしらんけど、他に家が出来てた。
  (その辺りからもぅバラバラ。
  (色んなことがあって、ウチの「親」と言う考えにはカナリ厳しくなったんだと思う。
それ以来振りにここに戻って来た。
当時親が働いてた会社が会った場所にはりそな銀行があった。
たぶんあそこだったと思う。
昭和な作りの、今も日本橋付近にありそうな階段の作りで、そこの3階で働いてた。
幼稚園/保育園が品川だったのかな?
それとも会社が?
そこら辺が曖昧だったけど、引っ越してからもしばらくは品川の方へ通勤を一緒にしてた。
山手の駅を覚えたのもこの時。
記憶って残るのは本当に残るな。
滞在時間も30分くらいだったけど、モヤモヤした(訳でもないけど)のが晴れた。
明るい時間に行きたかったな。
何よりも、幼少期を過ごした、思い出のあるぼろアパートがまだ存在してた事に、びっくりさせられた、年明け1発目の外出でした。
行って良かったと思う。
初詣行くよりも全然良かった。
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