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ミセス・ダロウェイは、お花は私が買ってくるわ、と言った。

2007年06月02日 | 名文[西洋文学]
●ダロウェイ夫人
(ヴァージニア・ウルフ)

2005/01/12

p10
 ミセス・ダロウェイは、お花は私が買ってくるわ、と言った。
Mrs.Dalloway said she would buy the flowers herself.


 なんという晴れやかさ! 大気のなかへ飛び込んでいくこの気分! ブアトンの屋敷でフランス窓を勢いよくあけ、外気のなかへ飛び込んでいったとき、いつもこんなふうに感じたものだった。いまでもあの窓の蝶つがいの少しきしむ音が聞こえるようだ。早朝の空気はなんとすがすがしく、穏やかだったことか。もちろんここよりずっと静かだった。ひたひたと打ち寄せる波のように、その波の接吻のように、空気は冷たく、刺すようで、しかも(あのとき十八歳だったわたしには)厳粛な感じがした。そして花や、木々からほどけながらのぼってゆく煙や、飛びだっては舞い降りるミヤマガラスをながめていたのだった。するとピーター・ウォルシュが話しかけてきた。「菜園でご瞑想?」──それとも「ぼくはカリフラワーなんかより人間を眺めているほうがいい」だったかしら。
……
 思い出すのはあの人の言葉、それにあの目、あのポケット・ナイフ、あの微笑み、あの不機嫌さ。無数の出来事が完全に消え去ったというのに──なんて不思議なんだろう!──キャベツかなにかについての些細な言葉は残っているなんて。

 ウェストミンスターに──もう何年になるかしら?──そう、二十年以上も住んでいると、往来のただなかにいても、夜中にめざめたときにも、ビッグ・ベンが鳴るまえには独特の静けさや厳粛さ、なんとも言えない小休止、不安(サスペンス)を感じるようになる(でもそれは心臓のせいかもしれない、インフルエンザのあとおかしくなっているそうだから)。ほら! はじまった。まずは予告の音楽的な響き。それから二度とかえらぬ時刻を知らせる鐘の音。鉛の輪が空中に溶けてゆく。わたしたちはなんて愚かなのだろう、とヴィクトリア・ストリートを横切りながら彼女は思った。誰ひとり知らないのだから。なぜ人がこれほど人生を愛するのか、どれほど人生をながめ、つくりあげ、自分のまわりに築いてはとり壊し、一瞬一瞬また新たに創造しなおしているのかを。でも実際どんなむさくるしい女だって、戸口の踏み石にすわっているどんなにみじめで失意に沈んだ男だって(彼らの失敗に乾杯!)、人生を愛している。だれもが人生を愛しているのだ。