桒田三秀税理士

公式HPは「桒田会計」で検索

好物

2016-12-05 07:12:07 | 日記
 母は甲殻類が好きだった。

 カニ、エビ、シャコ。

 しかし、甲殻類なら何でも好きという訳ではない。

 カブトガニやカブトムシ、フジツボ、攻殻機動隊などは食べなかった。

 食わず嫌いだったのかもしれない。

 母の父は戦争で亡くなった。 

 終戦時、11歳だった母は、長女で長子だったため、

 二人の弟と二人の妹の面倒を、残された母親とよく見ていたという。

 「卵とかバナナは、体の調子が悪くなって寝込んだ時にしか食べられなかった」と

 よく言っていた。そんなバナナ。

 母の世代は、荷車からトラック、蒸気機関車から新幹線、春画からエロ本、

 オート三輪車からハイブリッドカー、白黒真空管テレビから3Dテレビ、手紙からメール、

 木の冷蔵庫からパナソニックの大型冷蔵庫、洗濯板から全自動洗濯機、

 アイスクリンからガリガリ君、黒電話からスマホ、大河内伝次郎から石田純一、

 金田正一から大谷翔平など、すべてのものが進化を遂げた。

 何もなかった時代から、これだけ発展すると誰が予想できただろう。

 激動の時代を一世代で経験したと言える。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の料理

2016-12-05 06:43:20 | 日記
 ほうれん草の旬は冬。

 母のほうれん草の料理で特徴的だったのは、ほうれん草のお浸し。

 通常は、カツオブシだが、母のそれは錦糸卵をまぶしてあった。

 私の好きな料理だった。

 母のカキを使った料理は鍋一辺倒。

 大学になって初めて「カキフライ」という美味しい料理を知った。

 結婚して以来、ほとんど家の料理は女房が作ってくれていた。

 母の料理も上手かったが、総じて女房の方が料理は上手い。

 祭りの時などは、よく親戚や知り合いを呼んでは料理を作っていた。

 女房が作るのだが、みんなには「母の手料理」ということになっていた。

 一度、個性的な味の麻婆ナスを作ってくれた。

 「へえ、変わった味じゃのう。どこのメーカー?」

 食べ終わってレトルトの箱を見たら、賞味期限を10年過ぎていた。

 おかげで丈夫な体になりました。

 母さんありがとう。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする