精神分析家 迎意 愛≪シニフィアン研究所≫ 精神分析で不安を安心に換える

自分の未来(運命)は自分で書き換えられることを知っていますか?精神分析でそれは可能となるのです!

181)「安全な道」と「未知なる道」

2012年03月29日 | 育児・子育て
安全な道」とは?
大勢の人が歩いていて、予測可能だと思っている道?
先人がいて、知っている道?
真似をすれば大丈夫と思える道?
きっと、大抵の親はこのような「安全な道」を
我が子には歩いて欲しい
そのように思うかもしれない

だから
親にとって「未知なる道」を我が子が歩もうとすると
心配のあまり、反対する可能性が高いだろう

「何でウチの子が・・・」
と言う言葉をよく耳にする
これは、
自分の予測に反して行動したことを物語っている
年齢や立場に関係なく
人は常に選択を迫られている
どちらの道を選ぶのか?
既知の道」を選択する方が、精神的に省エネだし経済的だ
一方、「未知なる道」を選択することは、エネルギーが要るし
それだけ不経済でもある
だから、つい「既知なる道」は「安全な道」だと感じるのだろう

既知の道」はその人にとって、安全な道だと思えるが
反面、変化に乏しい、「過去の道」だとも言えるだろう
あるいは、成長しない道だとも言えるかもしれない
なぜなら
成長とは、常に過去を否定し、新たに創り出すことだから!
もちろん
未知なる道」は、決して成長する道とは限らない
とんでもない道かもしれないし、危険なけもの道かもしれない
だからこそ、挑戦してみたくなるのではないだろうか?

あなたは「安全な道」を選択しますか?
それとも「未知なる道」を選択してみますか?
ただ言えることは
未知なる道」も歩けば「既知の道」となる、である

シニフィアン研究所では「未知なる道」の併走をしています
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180)難行苦行が私の生きる道

2012年03月28日 | 家族
「人には真似のできないことをすること」
これが自分固有の道だと勘違いしてきた
難行苦行では誰にも負けない】
そのように語った人がいた
その人がある日
【自分の苦労など大したことはないと思った】と語った
何があったのだろう?

艱難辛苦を望んだのではないけど
その環境しかなかったから
その道を歩いてきた
そのことがいつしか心の中に
難行苦行が私の生きる道】
という生き様(=言語)を創り上げていたのだった

精神分析と言う語らいの場
自分の無意識の語らいに気付いたとき
難行苦行の道を、自ら好んで選択してきたことの意味を知った
その時から、その人は自分の生きる道を書き換えた
『難行苦行の道』から『喜びの道』へ
楽しいと思えること、喜びを感じることを選択する
このように書き換えたのだ

それからその人は変わった
楽しいと思えることだけをする
そしたら、
毎日が楽しくなり、
どんな苦難や障害に出合っても、突破できると思えるようになり
事実、乗り越えられるようになった
その先に「喜び」を見出せ、手にすることができた
半世紀を難行苦行の道で生きてきた
気付き、喜びの道と書き換えるのは瞬時
その時から、その人の人生は大きく進路変更した

まず知ることからスタート
そして、必要なら書き換えること
ただそれだけ
それがすべて

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179)信じる心が子どもを育てる

2012年03月26日 | 育児・子育て
「子どもさんを信じていますか?」
このように聞かれたら、
即座に「はい 信じています。」
と答えられるでしょうか?

では
「子どもさんの何を信じていますか?」
さあ、どうでしょう?

ある人は
「子どもの言う事は全て信じられません」
と言いました
この人は、子どもさんの言う事を信じると考えたようです
また、ある人は
「信じていますよ、わが子が悪いことなんか絶対しません」
と言いました
この人は、子どもさんが悪いことをしないと考えたようです
また、ある人は
「人間は嘘をつくから、信じられるときと信じられないときがあるわ」
と言いました
他にもたくさん考えられることでしょう

「お母さんは私のことを信じてくれている」
と思う時
自分の何を信じてくれていると思っているのでしょう?

子どもの何を信じることが、子どもの心を育てるのでしょう?
子どもは何を信じて欲しいと思っているのでしょうか?
子どもは親の何を信じているのでしょう?
信じるってどういうこと?

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「精神分析的子育て法」も参照ください
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178)不平不満は受身の気持ちから

2012年03月23日 | 育児・子育て
不平不満の気持ちはどこからやってくるのか?
それは
相手に求める気持ちがあるから
相手に「こうして欲しい」「ああして欲しい」
と求める気持ちがあるから
それに反して
自分の思っているようには返ってこない場合
心の底からムクムクと顔を持ち上げてくる
そして
怒りや不平不満となってこみ上げてくるのだ

「私がこんなにしているのに、何であなたは○○してくれないの!」
「私がどんなにアナタのことを思っているか分からないの!」などなど

自分が相手のことを思っているのに
相手はソレに対して何も答えてくれない、してくれない
分かってくれない、動いてくれない、与えてくくれない・・・・・

これらの根底には
「〜ねばならない」
「〜すべき」
が潜んでいる

私はしたいからしている。言いたいから言っている。
それに対して、
あなたがどのように思うか、するかはあなたが決めることだ。
私は私、あなたはあなた。
違っていて当たり前


このような観点を持っていれば
「あなたと私の考えが違う」
ということになり、不平不満や怒りは湧いてこないだろう

人は言葉を発するとき
相手に対して
「このようにしてもらいたい
「このように思ってもらいたい」と期待している
もらうのが当たり前になってしまっているのではないだろうか?
してもらうのが当たり前
そのような受身の気持ちがある
だから
その通りにしてもらえなかった時
自分の期待が裏切られたように感じて
自己愛が傷ついたかのように感じてしまう
だから
怒り、恨み、妬みなどへと広がってゆく

自分勝手な受身の気持ちが
自分の心をいらだたせ
自分の心を傷つけ
相手のせいにしてしまう

実は
不平不満は自分の受身の心から出たものだ
と言えるだろう

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177)無気力からの脱出

2012年03月21日 | 家族
無気力
これは気力がないこと。
積極的に物事をしようとする意欲に欠けること。
辞書にはこのように書いてある

怠けているわけじゃない
やる気が出ないのだ
『可もなく、不可もなく、とり立てて大きな不満もないが、
 すごく楽しくてたまらないという満足もない』
なぜ、やる気が出ないのだろう?

以前にも書いた気がするが
これは
【誰かから強く求められた体験がない】
「あなたが居ないとダメだ」
「あなたでないと他に誰も居ない」
「あなただけ!」
このように、誰かから切望されたことがない

切望され、欲望されたとき
人はやる気が湧いてくる

人から聞いたことがある
引きこもりになってゲーム三昧の日々だった人が
大震災の被害状況をテレビで見て、
ボランティアとして参加したという
最初は、
何らかの強い意志を持っていたわけじゃない
ただ、「何かできるかもしれない」
それくらいの気持ちだったらしい
引きこもっていたこともあり
体力的にも大きな何かをしたわけでもないのに
ある時
こんな自分でも必要とされている
そのように感じたという

それから自分の中で、何かが変わった
自分は必要とされている=存在する意味がある=生きる意味がある

それ以後、その人がどのようになったかは、想像に難くない
誰かに必要とされる事によって
そこに自分の生きる意味を見出したのだ
無気力で引きこもり
無意味しか見出せなかった日々が
一転して気力溢れ
気力は行動を生み出し
その人を根底から変えた

必要とされる=欲望されることによって
まさしくその人は
自分の人生を書き換えたのだ

無気力なのは、怠けているのではない
必要とされた、欲望された体験がないのだ
だから気力が湧いてこないのだ
強く欲望すること
強く必要とすること
それが
無気力から脱する方法である

生きる意味を見出したい方
やる気を出したい方
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