≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

432)マイペースを創る

2016年04月21日 | 不登校・引きこもり

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「マイペースを創る」 について書きます。 

物心ついた頃からしつけという名のもとに、周りに合わせること(協調性)を強いられてきた人は多いだろう。
大人になってもいつの間にか周りに合わせることを基準にしてしまっているかもしれない。
そんな中で、周りに合わせることに疲れ、疲弊し、やがて外に出ていけなくなる人がいる。
その結果、「引きこもり」などという名称を付けられる。
彼らにとって、引きこもることは自分を守るための一つの手段でもある。
この観点から考えると、無理やり引き出そうとすることは必ずしも得策とは限らないだろう。
引きこもるにはそれだけの理由があるのだろうから。

自分のペース(以下マイペース)が解らなくなってしまった時はどうすればいいのだろう。
まず、マイペースを創ること。
なぜならほとんどの場合、何がマイペースかさえ解らなくなってしまっているから。
それまで周りに合わせることばかり考えてきたのだから、解らなくて当たり前。
それなら今から創ればいい。
その一つの基準は「自分が楽な方を選ぶこと」
まずこれを決め、それに従って判断する。
これを少しずつ重ねていくと、マイペースがみえてくることだろう。

追記
これらを実践するには、他者のサポートが必要となってくることを申し添えておきたい。


418)欠如を作れば動く

2015年07月24日 | 不登校・引きこもり

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「欠如を作れば動く」 について書きます。

動かない状態にも色々あります。
例えば、
動かなければならないのに動けない。
動きたいのに動けない。
動きたくないから動かないetc

ここでは、
動きたいけど何をしたらよいか分からないから、結果的に動いていない場合を考えます。
つまり、動くためのエネルギーと意志はあるけど、その目標が定まらない場合です。
このような状態の場合、欠如を見つければ(自認)動きます。
それは、お腹がすいた→何か食べたい→食べるものを探す、と同じです。
お腹がすいた(欠如)を自認するから 、その欠如を埋めたいとの欲望を持ち、その結果動くという行動へと繋がります。

食欲と同じように考えると、人は欠如を自認すれば、必ず何らかの行動を起こす(行動しないことも含む)ことでしょう。
ここから、欠如を作れば動くというのです。 

大切なことは、動いていない状態をしっかり見極めることです。
見極めを間違わなければ対応の仕方もはっきり見えてきます。
そのために精神分析は有効だと考えます。

シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitterでは気づいたことをつぶやいています。 https://twitter.com/rakuhomanami
 

 

 

 


331)うつ・引きこもりを助長しないために

2013年03月22日 | 不登校・引きこもり

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「うつ・引きこもりを助長しないために」について書きたいと思います

春は、うつや引きこもりの人たちにとって辛い時期です。
なぜなら、他者との差をより感じてしまう時期だからです。
では、その差を感じないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。
うつや引きこもりを助長しないためには、何が必要でしょうか。
ここでは、引きこもることの大切さを書きたいと思います。

春は、卒業、入学、就職など変化の大きい季節です。
また、芽吹きや開花など自然の成長が目に見えやすい時期でもあります。
うつや引きこもりの人たちには、
「言えない」「出せない」「動けない」があります。
ですから、自己主張し、活動的で、どんどん変化、成長してゆく姿を目にすると
自分との落差の大きさを感じてしまうのです。

例えば、
幸せそうに見える光景は、不幸な自分を感じてしまう。
楽しそうな姿を目にすると、苦しい自分をより意識してしまう。
嬉しそうな人を見ると、より辛い自分を見い出してしまう。
活動的な人に接すると、動けない自分と比べてしまう。
そして、自分を責めてしまうことになる。

ある人が言いました。
<幸せな人を見ると腹が立ってくる。
いつしか、大声を上げてすべてをぶち壊してしまいたくなります。
刃物を持ち出して、あたりかまわず振り回したい衝動に駆られるのです。
そして、そんな自分が怖くなり、益々落ち込むのです。>

この時期に一番大切なことは、幸せそうな人に会わないことです。
つまり、その人が一番安心できる環境の中に引きこもっていること。
周りの人も、持ち込まないことです。
ですから、
一番避けなければいけないのは『結婚式』への出席です。
うつや引きこもりを助長しないためには、
これらのことを周囲の人が理解し、引きこもることが必須です。
まずは、これが助長しないための第一歩です。

なぜ人は落ち込むのか、引きこもるのか、
共に考えてみませんか。

シニフィアン研究所では、これらの勉強会もしています。
詳しくはお問い合わせください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/


299)引きこもりと自己奪還

2012年10月29日 | 不登校・引きこもり

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「引きこもりと自己奪還」 について書きたいと思います。

「母性剥奪」という言葉がありますが、
「自己剥奪」され、人間でないものにされてしまった人が、
自分というものを取り戻すことを『自己奪還』と呼んでみました。
ここでいう「自己剥奪」とは
自らの意志と考えによって言動することを根こそぎ奪われている状態のことをいいます。
「自己奪還」とは、自らの意志と考えに基づいた言動を取り戻すことです。
それは≪私は人間だとの自己規定≫でもあると思います。

自己奪還のためには、まず「引きこもること」が必要であることを書きたいと思います。
「奪還」という言葉は「剥奪」に対して用います。
つまり、根こそぎ奪われているから奪い返すという意味です。
奪還という言葉を使うに至ったのは
日々の精神分析という面談の中で、クライアントの叫びとして聞こえてくるからです。
非行や引きこもり、不登校、いじめ、うつなど子どもから大人に至るまで
≪私は人間だ≫との切実な叫びを痛感しています。

ある引きこもりになった男性(以下Sさんと呼ぶ)の言葉を紹介したいと思います(本人の了解済)。

自分は今まで、親をはじめとする周りの人たちの姿や言葉に従ってきた。
そして、それに対して何の疑問も抱いていなかった。
ところが、あるきっかけから引きこもり、気付いたことがある。
今まで自分の考えや意志がなく、周りに用意されていたことに従っていただけだった。
引きこもりと言われるようになって初めて、
自分というものが無かったことに気が付いた。
何も語れない自分を知った。

そして、今、自分が何を考え、何を求めているのか、いないのかを見つめている。
そんな暇さえ持っていなかったことに驚いている。
初めて迷っている。初めて真剣に悩んでいる。考えている。

このようにSさんは語りました。
Sさんは引きこもったことにより、周りに用意されている事柄に対して受身であったことに気付いたというのです。
例えば、学校や習い事、就職、仕事などに対しても
自らの意志で積極的に関わってこなかったことに気づいたのです。

Sさんは、引きこもることによって、その機会を得ることができた。
否、このままでいいのか、との無意識からの強いメッセージにより
引きこもりという状態になった、とも考えられるのではないでしょうか。
こうして考えてみると
引きこもることは、知らないうちに自らの意志と思考を剥奪された自己を奪還するための一つの方法ではないかと思うのです。

ここではSさんの言葉を中心に書きましたが、
引きこもることは、自己剥奪された人が自己奪還への叫びの行動化の一つだと思えてくるのです。
つまり
人間でないものにされてしまった人が、≪私は人間だ≫と叫んでいる姿のように感じるのです。
人間であるとは、言語で語れることの意味で使っています。
分析家はその語らいを聴いています。
受身から能動への転換、
それが自分らしく生きていくことでもあるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
「不登校の子どもの母より」サイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
「思春期の悩み」サイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。

 


272)茨城・コインロッカー乳児遺体事件 

2012年09月11日 | 不登校・引きこもり

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「茨城・コインロッカー乳児遺体事件 」 について書きたいと思います。

茨城・つくば市でコインロッカーの中から生後まもない赤ちゃんの遺体が発見された事件で、母親が逮捕された。
この事件は9月8日、つくば市のバスターミナルのコインロッカーから、女の子の赤ちゃんの遺体が発見されたもので、10日、死体遺棄の疑いで長峰 美由希容疑者(30)が逮捕された。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120911-00000267-fnn-soci(フジテレビ系)より引用

この事件を、精神分析的な視点から長峰容疑者の行動を検証してみたいと思います。
*なぜ産んだのか(流産しなかったのか)?
*なぜ死体遺棄したのか?
この二つの疑問を中心に考えたいと思います。
結論からいうと
『母は自分をどのような眼差しで見たのかを知りたい』との欲望に突き動かされた結果ではないかと言いたいのです。

精神分析的観点から、女性が妊娠する意味を考えた時、
二つあると言われています。
1)自分が母からどのような眼差しで見られたのかを知りたいと思った時
2)理想的な子育て(自らがしてもらいたかった子育て)をすることで、してもらえなかった自らを補償(育て直し)しようと思った時

長峰容疑者の場合は、乳児を死体遺棄していることから、1)の場合が考えられます。
自分の妊娠を母が喜んだかどうかだけを知りたかったなら、流産を選択したでしょう。
なぜなら、妊娠が分かった瞬間、
その妊娠を喜べたなら、母も自分の妊娠を喜んだと解るし
困ったと思ったなら、母も自分の妊娠を困ったことだと思ったと実感できる。
それで充分のはずですが、長峰容疑者は産んだ。
ということは、産んでわが子を見たかったと考えられる。
ここから、妊娠そのものではなく、
自分が誕生した時、母はどのような眼差しで自分を見たのだろう?
それを知りたいと思ったのではないでしょうか。

わが子を見た瞬間、湧き上がってくる想い=母が自分を見た時の想いに重なる。
それを長峰容疑者は知りたかった。
そして、それを今や知ってしまった。
だから、もう乳児は長峰容疑者にとってその役目を終えたものとなる。
だから、死体遺棄した。
このように考えたなら、
長峰容疑者のとった行動は理解できるのではないでしょうか?

精神分析的視点では、道徳、倫理、常識という視点から見ず、
なぜそのような言動をとらざるを得なかったのか?との視点から、その人の精神世界をひも解いてゆきます。
道徳、倫理、常識では理解できない事柄が、現実のものとして目前にあるのですから。
それらの視点以外のものでしか解明できないのではないでしょうか。

「なぜ?」「どうして?」との疑問をもったなら
それに対する自分なりの答えを見出さない限り
人は一歩も前に進むことができないもののようです。
それに精神分析は向き合ってゆきます。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
HPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
精神分析の理論を学ぶ講座も用意しています。
やさしい精神分析講座http://signifiant-lab.com/#11
インテグレーター養成講座http://signifiant-lab.com/#13