森の空想ブログ

花酒の旅へ―小幡英資・大黒愛子夫妻のこと― 「九州派の二人―大黒愛子・小幡英資展―<2>」 

2015年8月12日のこのブログ記事で、私は標記のタイトルで、大黒愛子・小幡英資夫妻のことを書いている。その記事を原文のまま再録する。



 かつて「九州派」と呼ばれた過激美術家集団があった。1960年代から70年代へかけて北部九州を主戦場としたその傍若無人の活動は、もはや伝説となり、当時の作家の多くは鬼籍に入った。あの世でも(それぞれの行先が地獄か天国かはわからぬが)、行った先々で、既成の価値観や常識をぶち壊す騒動を捲き起こしていることだろう。
 「花酒」が旅とアートに関連しているということを説明するために、以前書いた文を再録。ちょっと季節感がずれているが、暦の上では立秋を過ぎたので、季節の先取りということにしておこう。





花酒の旅

 山を越えた。峰は金色に光り、涼しい風が吹き渡り、遠い山脈は藍紫色に染まっていた。九州脊梁山地・米良の山脈には、南北朝伝説を秘める神楽が伝わり、今なお猪狩りや鹿狩りの古俗を残す村が点在する。 
 秋が深まり、私は米良を訪ねる機会が増える。産卵を終えて川を下る山女魚を観察し、きのこの生える森を歩き、神楽笛に誘われて、谷をさかのぼり、峠を越えて、深い山塊に抱かれた村を訪ねるのである。
 険しい崖に、白い花が咲いている。
 早咲きの白山菊(シロヤマギク)である。私は車を停めて、それを手折り、空き缶を探して水を入れ、運転席の前に飾る。風に揺れる小花が、旅の道連れとなる。戦国の武将は、戦陣の中にさえ茶室をこしらえて風流を極めた。私は、愛用の四輪駆動車の車中をささやかな風狂空間と見立て、旅を続ける。
 旅先で出会った折々の花を採取し、酒に漬け込み、「花酒」を作る。これにより、旅は一層、情趣を深める。
 五節句のひとつ「重陽」は、陰暦九月九日(新暦の十月初旬)に行なわれる祭りで、菊の節句とも呼ばれる。京都の町屋では、五月五日の端午の節句以来の「薬玉」を「ぐみ袋」に懸けかえ、室礼を整えて邪気を祓うという。古代中国から伝わり、宮中の儀礼としてとり入れられたものが、町人の習俗として定着したものであろう。
 重陽に菊の花を採り、酒盃に浮かべて飲んだことは、漢代にはすでに行なわれていたという。九の字の重なる佳節を嘉し、飲食したこと、農事を終えた好季節を喜び、茱萸(グミ)の袋を肘につけて野山に出て菊酒を飲み邪気を祓ったこと、などに由来するという。
 若者たちが野に出て飲酒し、男女別に分かれて恋の歌を歌いあう「歌垣」の風習は、アジアに広く分布する。この習俗は、宮崎の山地神楽の「神楽セリ歌」として今も伝わる。一年に一度の祭りの日は、嫁取りの日でもあり、許されぬ恋がみのる夜でもあった。



 10年も前に漬けた、白山菊の酒瓶を取り出し、ガラスの杯に注ぎ、飲んでみる。年月を経た酒は、まろやかな舌ざわりと芳醇な香りで、私を酔わせる。
 「花酒」の作り方は、福岡市在住の画家・小幡英資氏から習った。果実酒用のホワイトリカーに、四季折々に採取した花びらの部分だけを漬け込む。三ヶ月~半年を過ぎたころ、花びらを取り出し、捨てる。酒精と、花の色と、ほのかな甘味とが封印されてさらに半年、「時の旨味」を加えると、繊細な味わいをもつ花酒が出来上がる。密造酒に該当するかどうかは、判断が分かれるところである。
 桜酒は、燈火に浮かぶ夜桜の淡い色と葉桜の香りが絶妙に溶け合った風合いとなり、椿酒は、極上のブランデーのような色と香りを醸し出し、楮酒は、こくのある甘味で舌をとろかすばかりでなく、縄文人も飲んだらしいという最新の考古学のデータ、不老長寿と精力増強の秘薬としても用いられたという古記録などにより、われわれを幻惑する。
 私に花酒の作り方と効用を伝授した画家・小幡氏は、自宅に一石(一斗の10倍。すなわち一升瓶100本分)の花酒を秘蔵していると言っていた。小幡氏の奥様は1960年代、九州・日本の美術界に旋風を巻き起こした「九州派」の主力メンバーとして知られた美人画家であったが、重い病を患っていた。それで、私は、氏の花酒は、奥様の病を癒すための装置のひとつに違いない、と思ったものだ。
 2001年5月、私は二十数年を過ごした湯布院の町を離れて、宮崎へと移り住んだ。そしてこの地から、再び各地を巡る旅へと出かける。20年をかけて収集した300点の「九州の民俗仮面」の起源を求め、祭りや山の村を訪ね、人に会うのである。採集した花も増え、花酒の瓶も100本を越えた。



*「由布院空想の森美術館」の月報「空想の森から」に発表し「霧の湯布院から」(海取社/1995)に採録された「花酒の頃」に加筆。大黒氏、小幡氏、ともにも帰らぬ人となった。現在、古い教会を改装した「祈りの丘空想ギャラリー」に大黒氏の遺作「高原の四季」シリーズ6点を展示中。

*この記事が、ご夫妻の娘さんである原あや氏の眼に止まり、その後フェィスブックでの交流が始まり、今回の企画に結びついたのである。

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