森の空想ブログ

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花野を行くー春の山旅ー  

2017年04月21日 | Weblog


里は新緑の季節となったが、山路は遅咲きの山桜に彩られている。
のどかな里山に囲まれた村を通り過ぎ、さらに山道を深く分け入る。
宮崎・西都から高千穂を経て阿蘇を経由し、日田へ、さらに福岡方面へ。
通いなれた山の道である。
峠を越える道の脇に、花桃と山桜と椿、水仙、たんぽぽなどが咲き誇る野があった。近くに風雅を愛する里人がいて、長い年月をかけて植え込み、育ててきたのだろう。
車を止めて、弁当を食べる。
老母(来年で90歳)が、隣にいる。道中、際限なく喋り続けていた。繰り返されるのは、「昔の話」である。少女時代に過ごした博多の町の思い出、空襲を受けて焦土と化した町を逃げ回った女学生時代のこと、若くして嫁いでいった山の村の暮らし(そこで私たち兄弟が生まれ、育った)など、など。
私は、それを、森の木立を吹きすぎて行く風の音のように聞き流している。
母は、一年に二度か三度、調子が狂う。病院に連れて行くと、精神科では精神病者ではないと言われ、内科では内臓疾患はないという。すなわち周期的に繰り返される老人性躁鬱症である。二ヶ月ほど欝の状態が続き、それが明けると、突然、不眠の周期が来る。すると、二~三週間ほど眠らない日が続き、朦朧とした幻覚状態の中に入り込む。その時、現れては消えるのが、過去の映像である。それを誰に語るともなく「ことば」として発する。つまり老人の独り言である。
この時期を見計らって、彼女の好きな博多の町へ連れて行き、玄界灘を望む「生の松原」の海岸を散策させる。すると、まるで憑き物が落ちたように、平常の状態に戻るのである。
今回もその小さな介護旅行。
世間には、もっと重度で深刻な介護の状況があるともいう。
私たちの世代が背負うべきありふれた社会現象のひとつだろう。



弁当を食べ終え、少し昼寝をする。長旅の疲れが出て、すぐに眠りの中に引き込まれる。
母が、車から降り、花の咲く野のほうへ歩き出す気配がする。が、私は気づかぬ振りをして浅い眠りに身を委ねる。
彼女は、普段より達者になったような足取りで、花野の中を歩いてゆく。そのけもの道のような山道の先は、ぼう、と朧にかすんで、空へと続いている。
私は、その幻像のような一人の老婆が、そのまま遠くへ歩き去ってくれれば良いと願ったり、そろそろ帰ってくるころだな、と予測したりしている。
ここは夢幻の里である。



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