愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

親愛なる祖母へ

2015-11-06 01:48:12 | 日記




私の大好きだった祖母は、私の子供4人すべて、抱っこした。
93歳でこの世を去ったわけであるが、最後の最後、数週間だけ寝たきりになって、永眠した。

毎日冷たい水道の水を洗面器に溜めて、タオルを絞って顔を拭くのが朝の日課。
80歳を過ぎても、自分の服は自分が手洗いで洗っていた。
おしめは90歳近くなってからだろう。

私は学生時代時々洗濯機で、祖母の洗い物の服やら、シーツなど、大物などを洗ってあげた。
声をかけるとニコニコして喜んでくれていた。
大して美味しいわけでもない私の料理を、毎回毎回、「おいしい、おいしい」そう連呼して食べてくれていた。
声をかけるといつもニコニコしている顔をする。
そう、この写真のように。

一度もむっとしている顔をみなかった。
一度も感情的になって人を叱ることがなかった。
一度も人を批判することがなかった。
他人を褒めることしか聞いたことがなかった。
私に対しても些細なことで褒めてくれた。

根っからのいい人が、いつもそばにいてくれた。
そしていつも私を心配してくれていた。
だから、私が東京に就職するとき、震える手で私に千円くれた。自分のやっと持っていた貴重な千円を、私にくれた。千円はくしゃくしゃだった。

私の弟が小学生のころ、プラスチックのバットで、家の中で素振りしていた。ふとした瞬間、祖母の額に、バットが思いっきり当たってしまったことがある。
すごい音がしたので、びっくりして祖母の顔を見てみたら、額からみるみるうちに、大きなたんこぶがでてきたではないか。
しかし祖母はそれでも笑った。
笑いながら「あ~、痛い、痛い」優しく言った。

自分ならたとえ我が子でも、痛い目にあわされたなら、「なにするのよ!!!」と、しばらくは怒りが収まらないだろう。だろう、でなく、実際そんなことが何回もある。
しかし私の祖母は、人から痛い目にあわされても、笑ったのだ。瞬間にして、笑ったのだ。
なぜだろう。
祖母にしてみたら、私の弟も大事にしてきた孫だ。
孫の尊厳を、遵守したのであろう。私の弟がショックを受けないよう、瞬時に笑って処理したのだ。
宮沢賢治の雨にもまけずの詩を初めて読んだとき、感動した。
その詩はまさに私の祖母の生きざまそのものであったから。
自分の欲はそっちのけで、他人のために生きてきた祖母を心から尊敬する。
身内だから尊敬するだのなんだの、おかしいと思われるかもしれない。
だが、この人以上の人の好い人間は、今のところ思いつかない。
全く誰にも苦にもされず、そういうものに、祖母はなっていた。

人の価値ってなんだろう。地位、名誉、お金、家柄。
目だって人に役に立っている人もいい。
でも目立たなくても、常に人にやさしいなら、それもすごいと思う。それを死ぬまでやってのけたからすごいと思う。
私がすごいと思う以上に祖母は私を大事にしてくれていた。私以外の人間も大事にしていた。自分をへりくだってばかりだった。
そんなにへりくだらなくてもいいだろうに、と私は思っていたが、祖母はそれを心底思っていた。


私の母親の手も、私の手も、息子の手も煩わせないでさいごまで優しい祖母のまんま、この世を去った。

天国でゆっくりまったり暮らしてくれているといいな。
夢で時々会えるといいな。きっと笑顔で会うんだろうな。



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