3月11日(金)
最初の揺れがあった時
私は 娘が通う小学校にほど近い 小さな郵便局の中にいた
偶然 近所に住む親戚に会い 立ち話をしていた
はじめは
「あ、地震だよね」
と 顔を見合わせるくらいだった
このあたりでは 地震は珍しいものではなく
震度3くらいの揺れでは 動じない人も多いように思う
私もその中のひとりだ
この日も いつもと同じだ と思っていた
しかし
揺れはいっこうに収まらない
それどころか どんどん激しくなり
とにかく外へ出よう と
局の建屋から 1,2歩出たところで
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
と 音をたてて
激しい揺れが襲ってきた
足を踏ん張らないと立っていられない
まるで 以前見た映画の一場面に 入り込んでしまったよう
揺れが収まって 周りを見回すと
近隣の住民も 屋外に出てきていた
皆が指さす方を見ると
民家の屋根瓦が崩れている
時計を見ると 14:45(私の記憶では)
家の様子を見てくるという親戚と別れ
私は いつも娘を迎えに行くコンビニへ 車で向かった
すでに 信号は消灯
コンビニの照明も 消えていた
駐車場に車を止め ワンセグ放送をつけると
すぐさま地震の第一報を伝えている
さっきの揺れが 震度6強であったこと
ここだけでなく 東日本の広い範囲で
大地震が起きたことを 知った
この時点での映像は すぐに入手できる東京近辺の様子で
お台場から見える火災などが主だった
そして 以後 停電が解消するまで
私が得ることのできた映像での情報は これが最後
道行く人たちは 皆
ケータイを耳に当て 足早に歩いてく
あちこちの家で 瓦や 塀が 崩れている
そうしている間にも
とても余震とは思えないような 大きな揺れが
何度も 何度も 襲ってくる
波に翻弄される船のように 車が揺さぶられ
動いてしまいそうで 思わずブレーキを強く踏む
やがて 時間は15:10を過ぎ
こども達は いっこうに下校してくる様子がない
この状態では 当然だ
皆 校庭に避難しているはず
ここで私は 学校へ娘を迎えに行くべきか 迷った
本当は 最初の地震が収まった時にも
迎えに行こうかと思った
1年生は 五時間目の授業が終わり
下校の支度をしているであろう時間帯だった
この点 幸運だったのではないかと思う
もしも 昼休みで てんでバラバラに遊んでいたら
先生方は さぞや大変だったことだろう
クラス全員が 教室に集合しているからこそ すぐに無事を確認し
速やかに 避難指示を出すことができるのだから
そして 下校途中に地震にみまわれたなら
もっと大変だった
きっと こどもたちは パニックになっていただろう
一番安全な場所にいてよかった
そう思った
だから 今 迎えに行くべきなのか 迷った
余震は 後から後からひっきりなしに 大地を揺らし続ける
連れて帰る途中で なにかあったらどうしよう
自宅に帰るほうが危ないような…
自宅に学校から連絡がくるかもしれない
それで 結局
とにかく 自宅の様子を見てこよう と
家へ向かった
今振り返ると やはりこれは 間違いだったのかなと思う
こどもの気持ちを考えると
怖くて 不安で
早く 家族に迎えに来てもらいたかっただろう
でも その時は
こどもの身の 安全を守る事が
私にとって 最優先だった
(ケガしてるかも ってことは
カケラも思わなかった アホな母)
そして 大勢のこどもたちが避難しているなか
自分のこどもだけを 迎えに行くことが
自分勝手な 混乱を招く行為になるのではないか
という気持ちも 大きかった
家へ向かう途中にも
瓦が崩れてしまった家を 何軒も見た
うち(実家)もダメかも…
築45年 土葺きの瓦屋根は
一度もメンテナンスされたことなどない
仮に 母屋は被害を免れたとしても
西側の物置は 以前から 南側の屋根が崩れかけていたから
間違いなく瓦が落ちているだろう
もしかしたら 建屋そのものが潰れてしまったかも…
覚悟しながら車を走らせた
果たして 自宅付近まで来ると
急に景色が変わった
どの家も 私がうちを出発した時と
なんら変わらぬ姿で 立っていた
新しい家も 古い家も
平屋も 2階建ても…
そして 我が家も!
あの物置まで 瓦1枚割れることなく
そのままのボロ屋でいてくれた
どうやらこのあたりは地盤が固いらしい
とりあえずホッとはしたが
万が一に備え 家の前の道路に車を停め
(瓦が落ちて下敷きにならないように)
庭に入っていくと
父と 愛犬が 外に出ていた
中の様子を聞くと
特に被害はない というが
部屋に入って確かめる事もできない
話をしている間にも
強い揺れが 幾度となく地面を波立たせる
犬が 私に体をすり寄せて
プルプルと震えている
傍若無人で怖い者知らずの暴れん坊が!
これには正直ビックリした
自然の驚異を 変なかたちで再認識してしまった
結局 家に帰ってきたものの
学校から連絡があるわけもなく
(できるわけがない)
余震は収束しそうにないし
どうしたらよいものか 迷っているうちに
16時を過ぎてしまった
やはり あの時
学校に迎えに行けばよかったのか…
「おかあさ~ん!ただいま」
突然 黄色い帽子が 垣根のむこうに見え
娘が 庭に 飛び込んできた
「どうやって帰ってきたの?友達とみんなで歩いてきたの?」
娘が答えるより前に 叔父が庭に入ってくるのが見えた
「あのね ○○くんのママが 学校に迎えに来てくれたんだよ」
郵便局で一緒だった あの親戚が
自分のこどもと共に 娘のことも 連れてきてくれたらしい
そして 彼女の父である叔父が うちまで 娘を送ってくれたのだった
「学校放送があったんだ 各自家族が迎えにくるようにって」
学校放送では 音が届く範囲は 限られているが
電話が混線し 回線がつながらない この非常時下では
それしか 手立てがなかったのだろう
親戚の家は 学校のすぐ近くなので
放送が 聞こえたようだ
学区の一番端にある我が家には
当然のごとく 放送は届かない
娘を引き取ってきてもらえて
本当に 本当に ありがたかった
そうでなければ 娘は
次々と 友達が 家族と帰っていく その後ろ姿を
不安な気持ちで 見つめ続けていたにちがいない
やはり すぐに迎えに行くべきだった
自分の誤った判断への反省と 親戚への感謝の気持ち
娘に申し訳ない気持ちで いっぱいになった
「あのね 最初は机の下に隠れてね その後 先生が
『みんな そとー!!』
って 真っ赤な顔で叫んで 校庭に逃げたんだよ」
娘が ニコニコと当時の事を話し始める
その笑顔に こみ上げるものを こらえながら
「ずっと校庭にいたの?」と聞くと
しばらく校庭にいたが その後
体育館に移動した ということだった
この日は 週末で
体操服や上履きなどの持ち帰りもあったのだが
ランドセルをはじめ すべての荷物を置いて
体ひとつで 帰ってきた
娘が下校する時には まだ家族が来ていない子もいたようで
ケータイのメアドがわかる保護者には 連絡しようとしたが
(といっても 数少ないのだか)
こんな時に限って 充電が切れそう…
しかも 通話だけでなく
メールの状態も 不安定のようで
送信したが 返事が来ない
と話している人に 何人か出会った
そうこうしているうちに 日が落ち
あいかわらず 余震は続いているのだが
寒さが 厳しくなってきたので
不安を抱えつつも 家に入ることにした
家の中は 不思議なほど
何も変わってはいなかった
食器棚の中で コップが倒れていたくらいで
割れたものは ひとつもなく
棚などからも ほとんど物が落ちていない
うちの壁は 砂壁と漆喰で
ヒビが入ったり はがれ落ちているのではと 思っていたが
ざっと見た限り 全く被害を受けていなかった
ホッとしたが 休んでいる暇はない
夜に備えて 必要な物を 用意しなければならない
まずは ロウソク
これは いつも仏壇の中に
非常用の 赤いロウソクが置いてあるので
すぐに用意できた
懐中電灯も 居間の本棚の中に入っている
幸い電池も入っていた
そして この時 まだ 水道の水が出たので
お風呂にめいっぱい水を張り
鍋という鍋に 水を汲んだ
この水が 後々まで 本当に役立った
いよいよ 辺りが真っ暗になり
火を灯したロウソクを 家族みんなが囲んで座った
夫も 歩いて会社から帰ってきた
部屋は締めきっているが(といっても障子だが)
いざという時のために 玄関は開けてある
暖房器具が使えないため
厚着をして 湯たんぽを足元に入れ 暖をとる
いつも 寝るときに 湯たんぽを愛用していた
これが 思わぬところで 大活躍した
湯たんぽだけあっても お湯が入っていなければ意味がない
幸運なことに うちはコンロがガスで
しかもプロパンなので 火を使うことができた
おかげで 停電期間中も
ずっと 暖かい食事をとることができ
これが 本当に 嬉しかった
この日も 買い置きしてあったカップ麺を
みんなで食べた
これまたラッキーなことに
つい最近 箱買いしたばかりだったのだ
ついでに ドックフードも 2、3日前に届いたばかり
1ヶ月は心配ない
不運な中にも ちょっとずつの幸運が集まり
それを 数えられる幸せ
ラップもたくさんある
ティッシュの在庫もまだまだある
食べ物だって 当分の間困ることはなさそう
うちは とても恵まれている
夫の話だと 会社の中はメチャクチャになったそうだ
天井板が剥がれたり 壁にヒビが入ったりし
もう死ぬかもしれない と 覚悟した
と言っていた
家に向かう途中も
道路がひび割れたり 陥没した箇所があったり…
沿岸部では 津波が押し寄せ
国道のほうまで 浸水していたらしい
そんな話を聞いている間にも
余震が 何度も 家を揺らす
その度に 息を潜め
大きい揺れを感じると 玄関まで出ていく
しかし 19:30になり
どんどん寒さが増してきたので
とりあえず 布団に入ることにした
避難に備え 服は着たまま
靴下も履いておく
いつでも外に出られるように
窓ガラスの鍵は開けておき
その外側に 靴を置いた
荷物も 枕元に置いておく
犬も 足元で寝ている
いざという時のために リードをつけておいた
湯たんぽを入れた布団の中は とても暖かいが
とにかく 頻繁に 地震がやってくる
その度に 起き上がり 窓を開ける
そうして その晩は過ぎていった
最初の揺れがあった時
私は 娘が通う小学校にほど近い 小さな郵便局の中にいた
偶然 近所に住む親戚に会い 立ち話をしていた
はじめは
「あ、地震だよね」
と 顔を見合わせるくらいだった
このあたりでは 地震は珍しいものではなく
震度3くらいの揺れでは 動じない人も多いように思う
私もその中のひとりだ
この日も いつもと同じだ と思っていた
しかし
揺れはいっこうに収まらない
それどころか どんどん激しくなり
とにかく外へ出よう と
局の建屋から 1,2歩出たところで
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
と 音をたてて
激しい揺れが襲ってきた
足を踏ん張らないと立っていられない
まるで 以前見た映画の一場面に 入り込んでしまったよう
揺れが収まって 周りを見回すと
近隣の住民も 屋外に出てきていた
皆が指さす方を見ると
民家の屋根瓦が崩れている
時計を見ると 14:45(私の記憶では)
家の様子を見てくるという親戚と別れ
私は いつも娘を迎えに行くコンビニへ 車で向かった
すでに 信号は消灯
コンビニの照明も 消えていた
駐車場に車を止め ワンセグ放送をつけると
すぐさま地震の第一報を伝えている
さっきの揺れが 震度6強であったこと
ここだけでなく 東日本の広い範囲で
大地震が起きたことを 知った
この時点での映像は すぐに入手できる東京近辺の様子で
お台場から見える火災などが主だった
そして 以後 停電が解消するまで
私が得ることのできた映像での情報は これが最後
道行く人たちは 皆
ケータイを耳に当て 足早に歩いてく
あちこちの家で 瓦や 塀が 崩れている
そうしている間にも
とても余震とは思えないような 大きな揺れが
何度も 何度も 襲ってくる
波に翻弄される船のように 車が揺さぶられ
動いてしまいそうで 思わずブレーキを強く踏む
やがて 時間は15:10を過ぎ
こども達は いっこうに下校してくる様子がない
この状態では 当然だ
皆 校庭に避難しているはず
ここで私は 学校へ娘を迎えに行くべきか 迷った
本当は 最初の地震が収まった時にも
迎えに行こうかと思った
1年生は 五時間目の授業が終わり
下校の支度をしているであろう時間帯だった
この点 幸運だったのではないかと思う
もしも 昼休みで てんでバラバラに遊んでいたら
先生方は さぞや大変だったことだろう
クラス全員が 教室に集合しているからこそ すぐに無事を確認し
速やかに 避難指示を出すことができるのだから
そして 下校途中に地震にみまわれたなら
もっと大変だった
きっと こどもたちは パニックになっていただろう
一番安全な場所にいてよかった
そう思った
だから 今 迎えに行くべきなのか 迷った
余震は 後から後からひっきりなしに 大地を揺らし続ける
連れて帰る途中で なにかあったらどうしよう
自宅に帰るほうが危ないような…
自宅に学校から連絡がくるかもしれない
それで 結局
とにかく 自宅の様子を見てこよう と
家へ向かった
今振り返ると やはりこれは 間違いだったのかなと思う
こどもの気持ちを考えると
怖くて 不安で
早く 家族に迎えに来てもらいたかっただろう
でも その時は
こどもの身の 安全を守る事が
私にとって 最優先だった
(ケガしてるかも ってことは
カケラも思わなかった アホな母)
そして 大勢のこどもたちが避難しているなか
自分のこどもだけを 迎えに行くことが
自分勝手な 混乱を招く行為になるのではないか
という気持ちも 大きかった
家へ向かう途中にも
瓦が崩れてしまった家を 何軒も見た
うち(実家)もダメかも…
築45年 土葺きの瓦屋根は
一度もメンテナンスされたことなどない
仮に 母屋は被害を免れたとしても
西側の物置は 以前から 南側の屋根が崩れかけていたから
間違いなく瓦が落ちているだろう
もしかしたら 建屋そのものが潰れてしまったかも…
覚悟しながら車を走らせた
果たして 自宅付近まで来ると
急に景色が変わった
どの家も 私がうちを出発した時と
なんら変わらぬ姿で 立っていた
新しい家も 古い家も
平屋も 2階建ても…
そして 我が家も!
あの物置まで 瓦1枚割れることなく
そのままのボロ屋でいてくれた
どうやらこのあたりは地盤が固いらしい
とりあえずホッとはしたが
万が一に備え 家の前の道路に車を停め
(瓦が落ちて下敷きにならないように)
庭に入っていくと
父と 愛犬が 外に出ていた
中の様子を聞くと
特に被害はない というが
部屋に入って確かめる事もできない
話をしている間にも
強い揺れが 幾度となく地面を波立たせる
犬が 私に体をすり寄せて
プルプルと震えている
傍若無人で怖い者知らずの暴れん坊が!
これには正直ビックリした
自然の驚異を 変なかたちで再認識してしまった
結局 家に帰ってきたものの
学校から連絡があるわけもなく
(できるわけがない)
余震は収束しそうにないし
どうしたらよいものか 迷っているうちに
16時を過ぎてしまった
やはり あの時
学校に迎えに行けばよかったのか…
「おかあさ~ん!ただいま」
突然 黄色い帽子が 垣根のむこうに見え
娘が 庭に 飛び込んできた
「どうやって帰ってきたの?友達とみんなで歩いてきたの?」
娘が答えるより前に 叔父が庭に入ってくるのが見えた
「あのね ○○くんのママが 学校に迎えに来てくれたんだよ」
郵便局で一緒だった あの親戚が
自分のこどもと共に 娘のことも 連れてきてくれたらしい
そして 彼女の父である叔父が うちまで 娘を送ってくれたのだった
「学校放送があったんだ 各自家族が迎えにくるようにって」
学校放送では 音が届く範囲は 限られているが
電話が混線し 回線がつながらない この非常時下では
それしか 手立てがなかったのだろう
親戚の家は 学校のすぐ近くなので
放送が 聞こえたようだ
学区の一番端にある我が家には
当然のごとく 放送は届かない
娘を引き取ってきてもらえて
本当に 本当に ありがたかった
そうでなければ 娘は
次々と 友達が 家族と帰っていく その後ろ姿を
不安な気持ちで 見つめ続けていたにちがいない
やはり すぐに迎えに行くべきだった
自分の誤った判断への反省と 親戚への感謝の気持ち
娘に申し訳ない気持ちで いっぱいになった
「あのね 最初は机の下に隠れてね その後 先生が
『みんな そとー!!』
って 真っ赤な顔で叫んで 校庭に逃げたんだよ」
娘が ニコニコと当時の事を話し始める
その笑顔に こみ上げるものを こらえながら
「ずっと校庭にいたの?」と聞くと
しばらく校庭にいたが その後
体育館に移動した ということだった
この日は 週末で
体操服や上履きなどの持ち帰りもあったのだが
ランドセルをはじめ すべての荷物を置いて
体ひとつで 帰ってきた
娘が下校する時には まだ家族が来ていない子もいたようで
ケータイのメアドがわかる保護者には 連絡しようとしたが
(といっても 数少ないのだか)
こんな時に限って 充電が切れそう…
しかも 通話だけでなく
メールの状態も 不安定のようで
送信したが 返事が来ない
と話している人に 何人か出会った
そうこうしているうちに 日が落ち
あいかわらず 余震は続いているのだが
寒さが 厳しくなってきたので
不安を抱えつつも 家に入ることにした
家の中は 不思議なほど
何も変わってはいなかった
食器棚の中で コップが倒れていたくらいで
割れたものは ひとつもなく
棚などからも ほとんど物が落ちていない
うちの壁は 砂壁と漆喰で
ヒビが入ったり はがれ落ちているのではと 思っていたが
ざっと見た限り 全く被害を受けていなかった
ホッとしたが 休んでいる暇はない
夜に備えて 必要な物を 用意しなければならない
まずは ロウソク
これは いつも仏壇の中に
非常用の 赤いロウソクが置いてあるので
すぐに用意できた
懐中電灯も 居間の本棚の中に入っている
幸い電池も入っていた
そして この時 まだ 水道の水が出たので
お風呂にめいっぱい水を張り
鍋という鍋に 水を汲んだ
この水が 後々まで 本当に役立った
いよいよ 辺りが真っ暗になり
火を灯したロウソクを 家族みんなが囲んで座った
夫も 歩いて会社から帰ってきた
部屋は締めきっているが(といっても障子だが)
いざという時のために 玄関は開けてある
暖房器具が使えないため
厚着をして 湯たんぽを足元に入れ 暖をとる
いつも 寝るときに 湯たんぽを愛用していた
これが 思わぬところで 大活躍した
湯たんぽだけあっても お湯が入っていなければ意味がない
幸運なことに うちはコンロがガスで
しかもプロパンなので 火を使うことができた
おかげで 停電期間中も
ずっと 暖かい食事をとることができ
これが 本当に 嬉しかった
この日も 買い置きしてあったカップ麺を
みんなで食べた
これまたラッキーなことに
つい最近 箱買いしたばかりだったのだ
ついでに ドックフードも 2、3日前に届いたばかり
1ヶ月は心配ない
不運な中にも ちょっとずつの幸運が集まり
それを 数えられる幸せ
ラップもたくさんある
ティッシュの在庫もまだまだある
食べ物だって 当分の間困ることはなさそう
うちは とても恵まれている
夫の話だと 会社の中はメチャクチャになったそうだ
天井板が剥がれたり 壁にヒビが入ったりし
もう死ぬかもしれない と 覚悟した
と言っていた
家に向かう途中も
道路がひび割れたり 陥没した箇所があったり…
沿岸部では 津波が押し寄せ
国道のほうまで 浸水していたらしい
そんな話を聞いている間にも
余震が 何度も 家を揺らす
その度に 息を潜め
大きい揺れを感じると 玄関まで出ていく
しかし 19:30になり
どんどん寒さが増してきたので
とりあえず 布団に入ることにした
避難に備え 服は着たまま
靴下も履いておく
いつでも外に出られるように
窓ガラスの鍵は開けておき
その外側に 靴を置いた
荷物も 枕元に置いておく
犬も 足元で寝ている
いざという時のために リードをつけておいた
湯たんぽを入れた布団の中は とても暖かいが
とにかく 頻繁に 地震がやってくる
その度に 起き上がり 窓を開ける
そうして その晩は過ぎていった