北海道立釧路芸術館

北海道立釧路芸術館のブログです。北海道釧路からさまざまな情報をお届けします。

米坂ヒデノリ追悼展から⑩

2017年03月13日 08時00分00秒 | 日記

《人びとの容れ物A キリスト教会》
2005年 個人蔵

 2005年、この作品を含む約40点の代表作を集めた回顧展が釧路市立美術館で開かれ、続いて釧新郷土芸術賞特別賞を受賞。翌年には母校の寿小学校(現・中央小学校)に米坂作品を常設展示するトッカリ美術館が開館、さらにギャラリー「ラ・メール」を開設するなど、長年の業績が顕彰され、釧路との結びつきが深まります。
 2007年、米坂は栗山町から釧路へ帰還、その「漂泊」に終止符を打ちました。毎週寿小学校へ出向き、子ども達と交流。旧友の孫だという子が訪ねて来たこともありました。その時、こんな言葉を残しています。「あんなに嫌いだった故郷がなぜか恋しくなる」。

投稿者:T.M.

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米坂ヒデノリ追悼展から⑨

2017年03月12日 08時00分00秒 | 日記

《頌韻(三管編成オーケストラ)》
1997年 個人蔵

 米坂の彫刻は、木彫と木彫から型を起こしたブロンズ像が中心ですが、一方で珍しいロウ型鋳造にも取り組んできました。真鍮の骨組みにロウを溶かし付けていくこの技法は繊細な肉付け表現が可能です。
 しかしロウによる原型は熱したブロンズを流し込むことで溶け去ってしまうので、一つの型から一体しか鋳造することができません。総勢約80人の大オーケストラを完成させるまでには10年もの長い歳月がかかりました。ステージの幅は3.6メートル。その前に立つと迫力に圧倒され、今にも壮麗な響きが聞こえてきそうです。
 会場にはロウ型鋳造の原型も展示しています。合わせてご覧下さい。

投稿者:T.M.

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米坂ヒデノリ追悼展から⑧

2017年03月11日 08時00分00秒 | 日記

《港町》
1984年 北海道立釧路芸術館蔵

 当時釧路に建ち並んでいた倉庫をモチーフとした作品。レンガと木を組み合わせて作られています。故郷への愛着を感じさせますが、この作品について米坂はこんなコメントを残しています。
 「当座のために金が要り/差し当たりの仕事を幾星霜/瞬く間に過ぎ去った取り敢えずの人生/返り見る疎ましき港町」(『北海文学』1984年)。
 米坂にとって故郷とは惹かれてやまないものであり、同時に憎まずにはいられない対象でもありました。
 1987年にはついに栗山町へ移住。廃校跡にアトリエを構え、私設美術館を設立。20年の長きにわたり、地域の芸術振興に力を尽くすことになりました。

投稿者:T.M.

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米坂ヒデノリ追悼展から⑦

2017年03月10日 08時00分00秒 | 日記

《争いの発端》
1978年 釧路市教育委員会蔵

 抽象化された人や物をいくつも組み合わせ、物語性・寓意性の強い作品も制作されるようになります。この作品では、一つのリンゴを中心に七人の人物が向き合い、今にも争いが始まりそうな場面が表現されています。
 主題はギリシャ神話の「不和のリンゴ」から取られたのでしょう。宴会の席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴが投げ入れられ、これをめぐって、それぞれ自分が一番美しいと思っている女神達が争ったという話です。
 この頃、米坂は地域の封建的な閉鎖性を繰り返し批判していますが、この作品にもユーモアとともに鋭い風刺を込めていたのかもしれません。

投稿者:T.M.

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米坂ヒデノリ追悼展から⑥

2017年03月09日 08時00分00秒 | 日記

《流し雛》
1974年 北海道立釧路芸術館蔵

 米坂の木彫は次第に抽象化の度合いを強めていきます。細部が省かれ、形態はいっそう厳しく研ぎ澄まされていきました。具体的に表現しないことで、かえって作者のさまざまな思いを作品に内包し、見る側の豊かな想像を引き出すことができると考えたのかもしれません。
 この作品は、雌雄一対の流し雛を表したものです。よく見ると人形にはゆるやかなカーブがつけられ、二体の幅と厚みも微妙に異なります。近づくと無数の鑿跡が残されていることもわかります。幾何学的ともいえる簡潔な造形の中にも、どこか人間的な暖かみを感じさせるのはそのためでしょう。

投稿者:T.M.

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