草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

東海道中膝OK? 「見附」→「浜松」旧友たちと再会のご褒美(*^^)v

2016年12月25日 | 東海道53次

駅前は朝一で行ったので、あえてJR磐田駅ちょっとだけ手前から浜松方向に向かって歩きます。

    

「宮之一色」を目的地にして今回はちゃんと旧街道を歩かねば。久しぶりで勘が鈍っていたけど、ちょっと戻ってか怪しげな分岐を間違わずに旧道に入れました。

    

ちょっとだけ松があったりして一応東海道の雰囲気は残っております。

     

安東氏にラインでご在宅か確認、「今どこ?」「森下交差点」「ご苦労さん。待ってます」ってことでいちご大福食べるのにお茶をご馳走になろう(*^^)v

その前に遂に天竜川を渡ります。見えてきたけど人が歩くのは「新天竜川橋」という方、振り返ったら富士山が見えた!

                

ここを渡ると「六所神社」があります。六社神社は三柱の海神と三柱の航海の守り神の六柱の神様が祭神として祭られているとのこと。

    

安東氏のお宅もすぐそばだけどその前に天竜川の治水事業に貢献した、「金原明善翁生家」「記念館」があるので前を通りました。地元では超有名人です暴れ天竜の治水事業をした「金原明善」。ここのお生まれでしたか。

        

ゆるキャラ昨年日本一の「家康くん」あちこちに登場しております。

奥様の手作り野菜や果物が沢山ならぶ安東家の食卓に一緒に座っておいしいお茶を戴いて「いちご大福」戴きました。「苺の断面がみえたら楽しいでしょ?」とお店の奥様考案のきれいに切るための糸を使ってみました。たしかに一口で食べてはこの景色が見えない。

    

ここから浜松駅まではやくキロ1時間半あれば歩けそうだったので出発。安東氏はちょうど明日東京に打ち合わせでお出かけだそうで在宅の日で良かった!今後の作品の構想など伺いながら少し散歩がてら送っていただきました。

浜松宿の手前の源頼朝の弟の範頼が、娘の出産祈願で創建したといわれる「子安神社」が見つからずあっさり諦めてしまったのだけど実はちょっと左に曲がったらあったのだと判明(-_-;)まだまだ詰めが甘いのを反省。ってことで悔しさもありgoogleの「ストリートビュー」で確認して一応写真だけ載せるという姑息な手段に出ます(笑)あー悔しい(-_-;)

旧掛塚道への岐路→馬込橋を超えると浜松宿みたいです外木戸跡くらいしか残ってないなぁ。

    

浜松宿は浜松城の城下町であったことから、本陣6軒、旅籠94軒と東海道最大規模の宿場であったにもかかわらず、大火や大戦時の空襲の影響で、本陣や高札場の跡が案内板に残っている程度で、旧態はほとんど留めていません。

浜松駅近くのスパゲッティ専門店の「オレンジパパ」さんも高校の時の同級生のお店で、WEBサイトを作らせていただいたのですがオレンジママさんがブログに精通しておられるのでほとんど更新しておりません(-_-;)来年十くらいにはスマホやタブレット対応版にしたいと思っておりますが、ブログですっかりお客様をガッチリつかんでおられるので安心しております。

そもそも歩けるかどうか分からないし、お店もやっているか分からないので連絡なして伺ったのですが、ママさんがFBをチェックしてくださっていたらしく「予感はあったよ」とのことで元気になったオレンジパパさんと数年ぶりに再会できてよかった。いちご大福もおすそ分け、、あちゃ、、磐田はご夫妻の地元だった(-_-;)

    

ここから浜松駅までは5分で到着。何しろ青春18切符なので5時間がかりですから。滅多にないことですが月額300円も払って「乗換案内」では「青春18きっぷ」と「ジパング」検索できるようにしております。この4,000円が2,380円で乗れるという事に幸せを感じますが、さすがに2日連続たくさん歩くのは、、今後の後半戦東海道広重ごっこの作戦をいかに立てるか?冬眠しながら考えよう。

発着時間:16:09発 → 20:56着
所要時間:4時間47分
乗車時間:4時間23分
乗換回数:3回
総額:4,000円
距離:248.0km
■浜松     
|  東海道本線(東海)(熱海行)   152.5km   中央
|  16:09-18:43[154分]
|  4,000円
◇熱海     [10分待ち]
|  東海道本線(東日本)(黒磯行)   75.8km   前~後
|  18:53-20:15[82分]
|   ↓ 
◇横浜    8番線着・4番線発 [5分待ち]
|  京浜東北線(大宮行)   1.8km   6・9号車
|  20:20-20:24[4分]
|   ↓ 
◇東神奈川    4番線着・3番線発 [9分待ち]
|  横浜線(橋本行)   17.9km   4・6号車
|  20:33-20:56[23分]
|   ↓ 
■長津田 →自宅についたのは21時10分でした。天気に恵まれていいお散歩できました。再会のおまけはご褒美(*^^)v

    

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東海道中膝OK? 「見附宿」と磐田の街

2016年12月25日 | 東海道53次

心配していた「こむら返り」も起きず、爆睡出来て嬉しい朝を迎えてほっと、足腰も思ったよりもダメージが感じられない。無料朝食は貸し切り状態でゆっくり戴きました。

   

「見附」という地名は故郷にいたときにも聞いていたけどよく分かっていなかった。「京側から旅をしてきてここで初めて「富士」が見れたため、「見附」の名前がついたとも言われている。」って聞いて(@_@)。そ、そうなんですね。「見附宿」の場所は大体把握してバスで向かおうと思ったが1時間に2本くらいしかない上に登校の学生さんが長蛇の列、、ここは「タクシー」を使ってみようと大英断(笑)

磐田のゆるキャラは「じっぺい」君らしいですが、やはり「Jubilo」の色が濃いです。当時はまさかジュビロがJ2になるなんて信じられなかったけどやっと復帰!

          

タクシー1,090円で「旧見附小学校」まで乗車、女性の運転手さんだったけど、一般的な観光ポイントはご存知でも、東海道に関連した知識となるとそれほど無いようでした。

日本最古の洋風木造小学校舎「旧見附小学校」は残念ながら月曜日は休館日でした。まぁ広重様の時代には無かったものなので、そんなに気にしない(笑)

宿場の東の端が昨晩明かりがともっていた場所だと判明。東の木戸、本陣、などもちゃんとしていて、酒屋さんでパンフレットもいただけました。

「遠州見付宿 木戸跡」→「大見寺」→「見附宿脇本陣大三河屋門」の門が歴史的に貴重らしい、(よくわかったないが「2本の本柱上に冠木を渡し、その上に梁と切妻屋根を載せている。武家や商家の屋敷の門には棟門が使われるが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門の形をした門である」らしい(-_-;)ふーん(笑)

見附宿西木戸は「西光寺」の表門に西木戸と書かれたものがあるだけですが往時は、加茂川橋に西木戸があったらしい。「木戸」の重要性を認識!

どうしても見てみたかった「姫街道追分」は「見附宿」と「御油宿」を結ぶ東海道の脇街道で浜名湖の北側、本坂峠を越える道、つまり浜松→新居と浜名湖の海岸沿いでなくて山を越えるのだけどなんで「姫街道」なのかは諸説ありすぎて、まぁよくも色々な方が調べるもんだと感心するけど、浜松の気賀という町では昔から「姫様道中」というイベントがあって、成人式くらいの若い女性が姫様になって駕籠に乗って都田川沿いを行列するというもの。実際に見たことは無いのだけど、まだやっているんじゃないかな?来年は見に行ってみようかな。

昨晩も真っ暗だったけど前を通ったなと覚えがあった「遠州国分寺」と「府八幡宮」も寄ってみました。

    

結局昨日歩いた道をほぼ駅近迄戻って歩く羽目になったわけです。

しかも袋井→磐田の昨日回避した「明治の道」からの古戦場・鈴ヶ森処刑場は諦めましたので次回以降何とかリベンジせねば。

「見性寺」には大泥棒の「日本左衛門」のお墓があるって!という事で目指したのですが想像以上に回り道になってしまい、遠い遠い。おまけに広ーいお寺でそれらしい何の看板も無いので諦めようと思ったが、お墓参りに来ていたおばあちゃんに遭遇、、教えていただきました。

     

  

「白波五人男」の日本駄右衛門のモデルになった方が実在したんですね。吉右衛門さま、団十郎さま、染さんなどいろんな役者さんが演じていて一言でかっこいい!

元々は名古屋の生まれだそうですが、本名は浜島庄兵衛さんで29歳で処刑されちゃったんですね。金谷に住んでいたので首は金谷にあるんだそうです。

磐田と言えば最近は卓球の「水谷準選手・伊藤美誠(みま)選手」小さな橋の欄干にこんな横断幕見つけてテンション上がりました。「磐田自慢 メダルが3個も!」かっけぇ!

大通りにもジュビロの足跡、

  

「甘泉堂」の「いちご大福」が美味しそうなので6個入りを買ってみました。在宅かどうか確認していないけど浜松に向かう途中で安東氏とオレンジパパさんご夫妻と食べる予定!

    

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東海道中膝OK? 「掛川」→「袋井」 浮世絵が沢山(*^^)vと浮かれていたら、、

2016年12月25日 | 東海道53次

掛川宿を出ると、倉見川に架かる大池橋があり、この橋を渡ると宗心寺、蓮祐寺があります。蓮祐寺の門前には「大池一里塚」の石柱が立っています。

        

バイパス→高速の下をくぐって歩きます。「善光寺」(通称仲道寺)が京都と江戸の中間地点らしいのでそこを目指しますが、ちょっと手前で名古屋から来て「袋井」→「掛川」を歩いているというマダムと遭遇。物好きもいるもんです(笑)この方はちゃんと調べて自分で書いたメモと地図を持っていました。情報交換してお別れしました。

それにしてもせっかくの「仲道寺」なのにもうボロボロ、、誰か何とかしてあげて、、と言いたい。

    

松並木が続く「東海道」をひたすら歩きます。「原川松並木」という間の宿もあります。

      

「金西寺」→から国道の地下道を通り、「同心橋」を渡って「名栗松並木」には広重様の浮世絵がたくさん紹介されております。

同じ東海道物でも「行書版」「保栄堂版」「「隷書版」「双筆版」などの種類があるのです。

松並木を過ぎると、赤い大きな「富士浅間宮鳥居」見えてきます。ここを過ぎて「妙日寺」→「久津辺一里塚」→「常夜燈」があります。遠くに見える「妙日寺」は写真撮っただけ(-_-;)

  

     

「東海道五十三次どまんなか東小学校」って名乗っていいんですかね?「七ツ森神社」を通過します。

  

やっと次の「袋井宿」のハズなんだけど、匂いがしてこないのはなんでかな?立ち止まってググってみたら、、ありゃ?「東海道」を歩いてはいるけど、「旧東海道」から反れている!!

気が付いたので戻ることに、、「袋井宿」丸々スルーしたかも(;´・ω・)

でも「どまんなか」前回の袋井宿は観光的にも整備されていて必見です。特に天橋(阿麻橋)は袋井宿の東の入口にかかっていた土橋で、有名な広重の版画「出来屋ノ図」にその姿が描かれている。ってのは必見と結局最後まで戻ることになってしまったけど後悔は無し。

 結局2時間以上ロスタイム発生、今回は急に出かけることになったのに、地元感覚があって(笑)何とかなるさみたいな勘違い(-_-;)そんな気はしたけど日没間際で暗くなって来たのでどこまで続くか分からなくて上に向かう「明治の道」を回避して「大正の道」を歩いたのも大チョンボ。

大日山には、江戸古道。古戦場大日堂があり、ここを過ぎると大盗賊日本左衛門の首が晒された「遠州鈴ヶ森刑場」があります。では日暮れにこの道を歩く勇気は出なかった(-_-;)

    

    

日没以降は歩かない方針だけど、タクシーもバスも通らない道沿いなのでひたすらホテルに向かって歩くことに、「見附宿」の明りの灯ったランドマークみたいなものに遭遇したのでほっとはしたけど明日バスかタクシーで戻ってリベンジするしかないと。

    

「磐田駅」近くの「磐田ステーションホテル」にたどり着く前に7-11でおろしハンバーグとサラダとスイーツをゲット。

一旦ベッドに入ったらお終い?予感でとにかくお風呂に入って、、ありゃ?意外に元気(笑)39709歩のスマホの歩数計を自虐的にFBに載せたりして。 おやすみなさい。

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東海道中膝OK? 「掛川 」→「袋井」10か月ぶりの「掛川宿」

2016年12月24日 | 東海道53次

快晴の予報、公園の鍵開け閉め当番の非番期間、青春18きっぷの期間、このトリプルラッキーが重なったので冬眠を休止して「広重ごっこ」再開しました。

冬の東海道線、富士山がこんなにきれいに見えているのに、、なんで地元の乗客は寝てるの!!

  

思えば今年の2月20日、まだまだ「広重ごっこ」スタート直後、広重様の浮世絵に惹かれて「小夜の中山」を選択、日坂峠を越してとんでもない目に合った後に意地だけでたどり着いた「掛川駅」。遠くに見えていた掛川城は「次に車で来る」と思っていたけど、「掛川」→「袋井」の起点として来られたのも、ここまで続くなどと思っていなかったので(笑)不思議な感覚。

駅前の道をまっすぐ歩くと見えてきました。おー想像以上にエレガントなお城。残っている紅葉もラッキー。もう一つの目的だった「甲冑屋」さんは城の目の前でした。

触ってはいけないけど写真は撮らせていただきました。実際に映画やテレビでの撮影に使われたりするそうで、たくさんの取材の色紙がありました。

  

「戦国合戦相関図」というクリアファイルを記念に購入。これから時代劇を視る時のお供にします。

来年のNHKのドラマの主人公は「おんな城主直虎」でこれは故郷のある天竜にも近い「遠江井伊谷(とうとうみいいのや)」というこの辺りのお話なので盛り上がりそうです。

掛川城は入らずに先に進みます。「清水銀行」には「掛川城主山内一豊と妻」のレリーフも。なるほどなるほど。凝ってますね。

「円満寺」の境内に現在も残っている「蕗の門」は、掛川城の内堀のほとりに建てられていた四足門で、廃城後に円満寺が買い受けて移築したそうだが、「蕗の門」というネーミングが素敵。山茶花も青空に映えていい気分のお散歩です。成田山東光寺の山門前の碑には「成田山遥拝所」と刻まれている。おそるべし「成田山」日本中どこにでもあるような気がします。

    

天慶3年(940年)の天慶の乱の時に、藤原秀郷の一行に滅ぼされた平将門と18人の武将の首級が埋葬されていると言われている。「十九首塚」は(じゅうくしゅつか)と読むらしく、地域の名前でもあるらしく「公民館」とかも面倒な名前だ(笑)

ここにも登場!!「平将門」殿、、貴方の首が結局どこまで飛んでどこにあるのか?ここも最近「九首塚史跡公園」に19基の首塚が完成したそうです。

    

ここで珍しいものを発見!ポストにかごが付いていて輪ゴムが入っています(@_@)年賀状これでまとめて投函してねってこと?初めて見ました。誰が設置したのか気になります。

   

 

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