
3月11日宮城沖でM9.0の地震が起きた。この時僕は白金台の瑞聖寺境内にあるギャラリーにいた。個展の初日で、公開製作として床一面に広げた紙の中心に数本の黒い線を引いたところで大きく揺れ始めた。来場されていた小島さん一家と一緒に屋外に避難すると、木造建築の本堂がぐにゃんぐにゃんと揺れていた。
大きな揺れがおさまり、19:00まで絵を描き、自転車で練馬の自宅まで帰宅。携帯も不通で、地震後ほとんど誰にも会わず絵を描いており、地震に関する情報をほとんど得ていなかった僕の目には、交通網が麻痺して車道に連なる車の列や歩道をぞろぞろ歩く人々の流れが、まるでお祭りのように映った。歩く人々の目には生き生きとした光が宿り、みな高揚しているように見えた。
大きな地震が起きると本能的に命の危機を感じる。命の危機を感じるということは、逆に生きていることも普段より強く感じる。だからみんな生き生きしてるのかな?などと思いながら、車と人の流れの中をふわふわとただようように自転車をこぎながら家に帰ると、落ちた食器や植木鉢が割れて散らばり、飼い猫のふじこがパニックになりミャーミャー啼いている。テレビを付けると、どのチャンネルも震災の惨状を映し、能天気な僕の脳内に不安がじわじわと沁みてくるのを感じた。
翌日からも同じように自転車で個展会場に通い絵を描き続ける。地震の影響でお客さんはほとんど来ない、寺の境内というのは時空のポケットのように世間から隔離されているようなところがあり、そこで絵を描いていると静寂であり、たまにある余震の揺れでハッとして、東北は大惨事であり、原発がコントロール不能に陥り、放射能の脅威が広がりつつあることを思う、しかし、今自分は穏やかな陽光の中で絵を描いているという事実。無力で無意味な存在、社会的役立たず、もっと現実的に出来ることはないのか?多分考えればいくらでもあるだろう、だが、これも何かの縁だと思い、絵を描き続けることに決めた。そのかわり、自分を律して、ダラケや甘えは一切許さず、精一杯の気を込めて描くという条件を心に決める。鎮魂や祈りを込めて絵を描くというのは、能天気な僕にとって嘘になる。だから何も思わずただ描く。
この絵を『地神』と名付けた。神とは人間が創ったものであり、人間がいなければ、ただ宇宙的秩序と混沌があるだけで、神など存在しない、人間が制御出来ない自然の力を前にして、それをどう納得するかというところに、神は生まれたのではないか、今回の地震からもいろいろなメッセージが受け取れる。しかし、人間的心情を抜きにして地球規模で考えれば、時期が来てプレートが跳ね上がっただけである。しかし地表に暮らす人間にとっては不条理な大災害である。だからこれからも人間が地表で暮らしていくためには、地神からのメッセージをしっかり受け取り、今までの習慣や価値観の幾つかを改めていかなければならない、今回は原子力という人間が生み出した力も地震に伴い強いメッセージを発している。
今回の絵は、中心から縦横斜め八方向に伸びる直線で、流動的な筆の線を制御した。たとえ大地が揺れたとしても心まで揺らすまい、という自分なりのプライドを込めたつもりでもある。