我が家の向かいはお風呂屋さん
生まれた時から、我が子のように凄く可愛がってくれた
兄の体が弱く 仕事が一番忙しくなってる時で 私は親に構ってもらえなかった
ある日、昼寝から目を覚ますと家族が誰もいなくて
寂しさと怖さで家を飛び出したら、仕事場の自転車が倒れてきて
下敷きになって泣き叫んでるところを、おばさんに助けてもらった
たぶん2歳 あの瞬間が自我の目覚めというか、物心がついた瞬間だったんだろうな〜
そのまま、お風呂屋に連れて行かれて「こんな小さい子を一人にして!こらしめんと!」
と、私を昼寝をしてるおじさんの腕枕に…泣き疲れた私は爆睡!{[(-_-)]}zzzzZZZZ
あの時の腕枕の温かさよりも、自分の心が温まった事を今でも忘れられない
夕方、母親が探しに来たけど「知らんで〜」と、おばちゃん
実は、おばちゃんの後ろに隠れていた私 ┃壁┃_ ̄) ジィー・・・・・・
それから30分して「もう懲りたか?」って私を連れて行った
その日から私の居場所になったお風呂屋さん
お風呂屋さんは4時開店〜11時閉店
お風呂屋のおっちゃんは、お風呂を沸かすのに準備が終わると昼寝をする
その頃を見計らって、私は毎日腕枕付きの昼寝を狙って顔を出し
幼稚園に行き始めると、おばちゃんと番台の交代をして閉店後の掃除の為に体力温存で夕寝
その時間を見計らって、こっそりおっちゃんのいる掘りごたつに潜り込む
おっちゃんとの昼寝は第二の父の温もり
おばちゃんと出掛けると「お父さんとお母さんには内緒やで〜」と、お子様ランチをご馳走になり
時に「ご飯食べ〜」と、おばちゃんの味を楽しみ
「一緒にクッキー作ろうか〜」と、おばちゃんと小麦粉まみれになったりした
おばちゃんの料理は第二の母の味
おばちゃんが入れてくれたホットミルク お茶までも 味も温もりも全部覚えてる
番台に座らせてもらって「お一人様150円ですぅ」っと得意気に店番をしたり
薪や油の買出しに行くおっちゃんに連れられて行ったり
おっちゃんに拉致されて、おっちゃんの田舎の三重まで二人でドライブ
あの時、御婆ちゃんが焼いてくれた焼餅 美味しかった〜
お風呂屋さんでは、男湯も女湯も走り回って遊び放題
私が幼稚園から帰るとお風呂に入りに行き、おっちゃんも仕事中なのにお風呂に入って
壁越しに「○○子〜いるか〜?背中洗ってくれ〜」と声が響き
女湯から男湯へ走っていき、背中の洗いあい(3歳〜7歳ぐらいまで続きました(; ̄ー ̄A アセアセ)
お風呂から上がると「○○子〜アイスか〜?ジュースか〜」と、またしても壁越しに声が響き渡り
番台の隙間から「マミー飲む〜(〃∇〃) てれっ☆」と、私
大きくなると、閉店間際に風呂に入りに行って、その日最後のお客さんになってた
男湯に誰もいなくなると「○○子〜表の自動販売機でジュース買ってきて〜」と声が響く
その頃の自動販売機は何本目に当たりがあって、もう一本貰える機能が…
「おっちゃん!当たった〜!」「そうか〜○○子は運がええな〜」
と、おっちゃんは掃除前のコーヒー 私は好きだったホットミルクセーキで乾杯!!
当たる頃に私に声を掛けてくれてたんだな〜って、更に大きくなった頃気付いた
更に、自動販売機はボタンを押せば勝手に出てくる魔法の箱だと思ってたけど
私が行く前に、おばちゃんがコッソリお金を入れてくれてたのも大きくなってから気付いた
正月にはお年玉 4月には進級祝い 誕生日にはプレゼント クリスマスにはケーキ
人形 洋服 靴 ウォークマン ご馳走
色んな物をもらいました 色んな所に連れて行ってもらいました
甘えたい時はギュ〜って力いっぱい愛情を込めて抱きしめてくれた
親がしてくれなかった事を、おっちゃんとおばちゃんは 全てしてくれた
育ての親 頭が上がらない存在
でも、私は頭も心も悪い子で…家には兄の玩具はあるけど
私の玩具は全く無くて、物を買ってもらえる=愛されてる と、勘違いした考えを持っていました
高校に入り、アルバイトをして自分で稼ぎ物を買うようになって
仕事があってお金が入る事を実感 有難さを知った時
自分の心の貧しさを知り、お風呂屋さんに物を買ってもらってる時の自分の顔を想像し
初めて『恥』を知りました
高校生になると、友達もでき 自由になるお金があり 遊びに夢中 バイトに夢中
そんな毎日でお風呂屋さんの営業時間に帰れない事が増え
『恥』と共に顔を出す事すら申し訳なくなり
自分から溝を作っていってしまいました
品行方正とは逆の道にいる自分を悲しんでるかな〜って溝を更に深めた
20歳の時、晴れ着を着て「このままじゃ駄目だ!今がチャンス!
この姿で、ここまでの感謝を言いに行こう!」と、決意して おっちゃんがいる風呂屋の裏へ
「わかった わかった 後でな!」そう言って、おっちゃんは早々に私を裏から出しました
私は「もしかして、何かをねだりに来たって思ったのかなぁ(><。)。。」ってショックで…
でも、おっちゃんは「せっかくの晴れ着を汚したらアカン」って思ったのに気付かなかった
私は今までの謝罪の念から更に『申し訳ない』気分に陥り、離れてしまった
粗暴な生活をしていたせいで「あの子がなぁ〜…」って悲しく思ってるだろうな〜
そう思うと更にお風呂屋さんに距離をおいてしまった
それでも、おばちゃんは昔から今でも全く変わりなく接してくれてる…
何気ない愛情のお陰で、普通に生活が出来ている今の私があるって言っても過言ではないんよ
おっちゃんが肺の病気にかかったのは13年前
その時は症状が軽く元気なおっちゃんを見る事があったけど
5年程はおっちゃんの姿を見る事が無かった
3年前に久しぶりに見たおっちゃんの姿は 車椅子に酸素マスク…驚嘆した 言葉が出なかった
あの姿を見た時に、介護を明確に意識した
親の介護もしたいけど、お風呂屋さん…育ての親も介護をしたい!!って…
でも、今の私が手伝いに行っても、お飾りにもならない
私の失敗で骨折とかさせてしまうかもしれないし…
私、介護出来るよ 安心して任せてもらったらいいよ!って胸を張って言えるようになるまで
介護職に就いて、経験を積まなきゃ!って思った
経験を積んで、自信がついたら
おばちゃんに安心しておっちゃんを任せてもらえるかな〜
その時こそ、挨拶をしにいくぞ!と決心した
小学校2年の時に父&母の日の為に両親に対して作文を書きなさいって課題を出され
「私にはお父さんとお母さんが2人づついます」 今でも書き出しのこの文を忘れてないし
その想いは今でも全く変わってない
そんな父&父&母&母の為にも、介護ぐらいして恩返ししたい
介護の仕事に就いて、大変さは前のブログで紹介した「好子さん」から教わった
明るく楽しい気分になってもらえるような介護を目指し在宅からデイサービスに移った
未だ未熟者 まだまだだな〜って思ってる矢先
4日前に、おっちゃんが急変したって聞いた 救急車で病院に運ばれたって
お見舞いに行けるのは、休みの日曜日「4日後か…頑張ってくれるよね…」
3日前仕事場の歓送迎会の帰り 遅かったからお風呂屋さんの閉店時刻と重なった
外を掃除してるおばちゃんに会って、久しぶりに自分からおっちゃんの名前を出した
「おっちゃんは?どう?」って
「もうアカンって。やる事は全部やってきたし、覚悟も決めたわ」だって
遅かった!何もかも遅かった!おっちゃんの介護が出来なくなった
おっちゃんと話も出来なくなった 何もかも遅かった
今までごめんなさい
嫌いになったわけじゃなく、自分がおっちゃんやおばちゃんの愛情に恩返しが出来るようになるまで
そう決めて顔を見せなかっただけなの…
あふれ出るほどの愛情をありがとう
結婚の予定も無いけど、親族の席に座ってもらいたかった
子供が生まれたら、お爺ちゃんとお婆ちゃんやで〜って紹介させてほしかった
言いたい事は沢山あるのに…薬で意識が朦朧としてるって…今日も寝てたって…
見舞いに行ける時間には仕事で帰れない
意識が無くても、私の気持ちを手紙に書いて枕元で読んでもらおう!
そう決めて、上に書いた思い出と反省を手紙を書いた…
封じ込めてたこの思いは、私の両親に「寂しい想いをさせたのかなぁ」って思わせるかも
それが心配で、書き終わったのは夜中だけど、こっそりポストに入れてきた
「親が心配するかもしれないので、内緒にしてください」って一言をつけて…
それからずっと、私がお見舞いに行くまで、おっちゃんがもちます様にって祈ってた
今日休みだったから、お見舞いに行こうと思って家を出ようとしたら
おばちゃんがお見舞いから帰ってきたとこで
息子さんの車で、もう一度病院に一緒に行ってくれる事になった
ベットの上で山ほどの管を取り付けられて苦しそうに息をするおっちゃんがいた
長く長く顔を見てなかったおっちゃん
隣に母親がいたので、心の中で「ごめんなさい」って謝った
「○○子やで〜 おっちゃんわかるか〜 来たで〜」
「私な〜 今、介護してるねん おっちゃんが帰ってきたら 介護したるさかいなぁ」
そう言って手を握ったら薬で意識も無いはずなのに、目を開けて私の手を握り返した
目じりから涙がこぼれてた
握った手は、とても温かかった
意識は無いんだろうけど…偶然なんだろうけど…
「私らが何を言っても無視してんのに ○○子が声を掛けたら目開けたわ」
「○○子の言葉が嬉しかったしやで」…たぶん、願いを聞いてくれて
意識の無いおっちゃんに、わざわざ私の手紙を おばちゃんは読んでくれたんやろうなぁ
帰る前に、もう一度握った手はビックリするほど冷たくて「まさか」と思ったけど
目を閉じ息はしてたから 気のせいだと思い、そのまま帰った
30分後病院から電話があって、おっちゃんは亡くなった
おばちゃんと息子さんが
「○○子の顔を見て、声が聞けて思い残す事無くスッキリして逝ったわ」と優しく報告をしにきてくれた
近所の仲良しご夫婦2組と、母と私で葬祭場に到着したおっちゃんのところへ行ってきた
おばちゃんが泣いてないから、我慢しようとしたけど
情けないほど涙が止まらなかった…
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない もう一度おっちゃんの声を聞きたい
私の名前をあの優しい笑顔で呼んで欲しいのに 自分の行動が遅かった
おっちゃん 本当に今まで有難う 13年間の闘病 お疲れ様でした
おばちゃん 4日前までオムツを使用しない介護をしてたんだってね
オムツをすると「もういいや」ってベットから出なくなって、寝たきりになるからって
それが、どんなに大変な介護か…おばちゃん 凄いね 本当に凄いよ
本当に、お疲れ様でした。これから気が抜けて寂しくなっていくけど、
私の子供=孫を見るまでは元気で!お守りをしてもらうから覚悟してね!
相手もいないし、いつになるやら…
おばちゃんの事は、私が看るからさ!
親にも言えず、おっちゃん&おばちゃんにも言えず、今まできた想い
長い長い手紙にして、渡したけれど
爆発しそうなぐらい溢れ出てくる後悔 謝罪 感謝
書くことで、残す事で、更におっちゃんの魂に届くかな〜って…妄想だけど
全部書きたくなった
今までごめんなさい 有難う お疲れ様でした
おっちゃん おばちゃん 生まれた時から、ずっと変わらず、これからも…大好きだよ
明日の御通夜と、明後日のお葬式
身内の不幸でもないのに…育ての親みたいな人なんですがって言ったのに
「こっちは大丈夫 二日休んでね」と言ってくれた職場の皆さん 本当にありがとう
お葬式だけ抜け出して行かせてもらうつもりだったけど
実際、今でも目がパンパンに腫れて…元の顔がわからない状態なので
…有難う ゆっくりお別れの挨拶をしてきます